Kindle版もあります。
私たちの日常に潜む小さな"歪み"、
あなたは見抜くことができるか。家庭教師の派遣サービス業に従事する大学生が、とある家族の異変に気がついて……(「惨者面談」)。不妊に悩む夫婦がようやく授かった我が子。しかしそこへ「あなたの精子提供によって生まれた子供です」と名乗る別の〈娘〉が現れたことから予想外の真実が明らかになる(「パンドラ」)。子供が4人しかいない島で、僕らはiPhoneを手に入れ「ゆーちゅーばー」になることにした。でも、ある事件を境に島のひとびとがやけによそよそしくなっていって……(「#拡散希望」)など、昨年「#拡散希望」が第74回日本推理作家協会賞を受賞。そして今年、第22回本格ミステリ大賞にノミネートされるなど、いま話題沸騰中の著者による、現代日本の〈いま〉とミステリの技巧が見事に融合した珠玉の5篇を収録。
2023年の『本屋大賞』にもノミネートされているし、売れている話題の本だから、ということで読んでみました。
最近、すごくミステリを読みたい気分になっていることもあって。
結論から言うと「短編5篇で218ページの単行本で、ボリューム的にも文章も読みやすいし、あまり『叙述トリック』に頼らずに伏線をきちんと張りながら『どんでん返し』を見せてくれる佳作」という感じでした。
その一方で、伏線をちゃんと張る、となると、どうしても「ちょっと不自然な感じ」というか、「些細なエピソードがいきなり出てくるところの伏線感」があるのも事実です。だからといって、僕レベルのミステリ読みでは、すぐに真相に辿り着く、ということも無かったのですが。
こういうミステリって、帯とか書評で「容赦ないどんでん返し」って書かれているだけで、半分くらいネタバレしているようなものですし。
『シックス・センス』という映画があります(もう「古典」みたいなものではありますね)。
あの映画の「どんでん返し」が最も効果的な観客は、「何の予備知識もない人」です。
ところが、「宣伝」「集客」として考えると、やっぱり、「すごいどんでん返しがある映画なんです。最後に裏切られますよ!」ってアピールせざるをえない。
そういう先入観を持って用心深く接すると、大概の「どんでん返し」は、「想定内」になってしまうし、「驚く」よりも「巧さに感心する」だけです。
「どんでん返し予告」は、どうせこのまま終わらないんだろ、と読者を身構えさせてしまう。
難しいですよね、ミステリのアピールのやりかたって。
僕は、なんだか「どんでん返しのために作られた舞台でのどんでん返し」という感じで、うまく入り込めなくて。
5篇のなかで、「#拡散希望」はミステリというよりは社会批評として興味深く読みました。でも、ネットの世界にけっこうどっぷり浸かっている僕は「そんなに簡単なものじゃないだろ」と言いたくもなるんですよね。ネットの観客の「ネガティブな力」はこんなに甘いものじゃない。
2000年代(00年代)に発表されたものであれば、「時代を切り取った、先取りした」と言えるのかもしれませんが。
インターネット時代の流行り物って、メディアに大きく採りあげられるときには、もうピークは過ぎている(ことが多い)。
読後感としては、『謎解きはディナーのあとで』に近いものがありました。
本をあまり読まない中高生が、話題になっているからと手にとって、「本って、案外面白いものだな」と思ってくれる、そんな「きっかけ」になってくれる作品ではありそうです。
重厚で長くてカタカナの名前で頭がこんがらがる海外ミステリや、警察の内部事情や社会問題を延々と読まされる「本格的なミステリ」を、いきなり読んで楽しむのは難しいですし。
僕みたいに、いろいろ拗らせた本好き、それなりにミステリ経験を積んだ人間にとっては、つまらなくはないが、そんなに騒ぐほどのものではなかろう、なんですけど、登場人物の行動や結末が、どうもスッキリしない。それがわざとそうしてあるのか、作者が意図していたように僕が読解できていないのかわからないところがあって、すごく「引っかかる」作品ではありました。
今あらためて思い返すと『謎解きはディナーのあとで』というのは、けっこうすごかったような気がします。
キャラクターが立っていて、決め台詞もあった分だけ、さらに「売れそう」だし、実際に売れたのだから。