琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】名探偵のままでいて ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

第21回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作

認知症の老人」が「名探偵」たりうるのか?
孫娘の持ち込む様々な「謎」に挑む老人。
日々の出来事の果てにある真相とは――?
認知症の祖父が安楽椅子探偵となり、不可能犯罪に対する名推理を披露する連作ミステリー!

<あらすじ>
かつて小学校の校長だった切れ者の祖父は、七十一歳となった現在、幻視や記憶障害といった症状の現れるレビー小体型認知症を患い、介護を受けながら暮らしていた。
しかし、小学校教師である孫娘の楓が、身の回りで生じた謎について話して聞かせると、祖父の知性は生き生きと働きを取り戻すのだった!
  そんな中、やがて楓の人生に関わる重大な事件が……。


 本のオビに「応募前の原稿を一気読み!」したというナインティナイン岡村隆史さんの推薦コメントが書かれています。
 岡村さん、ミステリ好きなのか?それにしても、応募前の原稿をなぜ?と思ったのです。
 もしかして、『KAGEROU』ふたたび……?


fujipon.hatenadiary.com


 最近のミステリって、「ミステリのなかで、ミステリの知識を語る」みたいな作品が多いのです。
 監視カメラとかNシステムが整備され、スマートフォンや科学捜査が進化で密室がつくれなくなり、叙述トリックも行くところまで行き着いた感じがあるミステリは、もう、マニアに対する「ミステリ懐古主義」か、「ミステリっぽい調味料をふりかけた何か」になってしまいつつあります。

 この『名探偵のままでいて』は、レビー小体型認知症を患った、元小学校校長の祖父が安楽椅子探偵役のミステリなのですが、読むと「認知症」に関する知識がそれなりに得られると同時に(レビー小体型認知症に対してかなり調べて書かれているのは間違いないのだけれど、こんなに都合よくコンディションが良い状況が出てくるだろうか、とは思いましたが)、主要登場人物に「悪い人」がいない、読んでいて心地よい小説でした。
 「日常の謎」から「家族の過去の因縁」に行き着くという展開は、『ビブリア古書堂の事件手帖』みたいだな、とも。

 キャラクターの「悪い人がいない」「わかりやすいキャラクター設定」に関しては、これを文学賞選考委員的に「人間が描けていない」と感じるか、この作中であるキャラクターが言っているように「登場人物の名前を覚えるだけで苦労してしまう翻訳ミステリ」に対する、作者の「ミステリマニアではない読者にも読みやすくするための意図的な設定」だと考えるかは難しいところです。というか、第三者が考えてもわかるわけがないし。
 作者からは、古典的なミステリへの知識と愛着が溢れているのだけれど、2023年の「一般的な本を読んでくれる人」には「ミステリマニア向けのミステリ」は読まれづらいし、面白さに辿り着くまでのハードルが高すぎる、ということも理解しているように思われます。


 ある登場人物は、こんなことも言っているのです。

”インホテプの娘、レニセンブ”が登場しても、まるきりアタマに入ってこない。なんだろうな──ネーミングに凝りすぎて、いっそう作りもの感が浮き彫りになっているような気がしてなりません。ややこしい苗字を付けるくらいなら下の名前だけでいいし、渾名でもいいし、もっとスッキリさせるならばいっそのこと、”祖母”とか”兄”とか、人称代名詞でいいんじゃないかとさえ思います。要するにですね、翻訳もののクラシカルな本格って、ミステリという所詮はつくりものに過ぎない鋳物の中にさらにいくつかの鋳物が入っちゃっているんです。僕は、”マトリョーシカ・ミステリ”って呼んでいるんですけどね」


 僕はこれを読んで、最近読んだ、『密室狂乱時代の殺人 絶海の孤島と七つのトリック』という密室トリックを集めたミステリのことを思い出しました。この作品では、登場人物の名前がその「属性」を示すわかりやすいものに「記号化」されていたのです。
 この『密室狂乱時代の殺人』のシリーズ前作は「『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作」なんですよね。
 『このミス』大賞は、あまりにもミステリマニア向けになりすぎてしまっている、現在の公募ミステリ賞におさまりきれないミステリ(風の小説)の受け皿として機能している面はありそうです。

 この『名探偵のままでいて』、大変読み心地も後味もいいし、ちょっと賢くなった気分になれるという「お土産」もバッチリなのですが、この作品の事件のトリック(とされるもの)に関しては、「その狭い空間でそんなことが怒ったら誰か気付くんじゃない?」とか、「えっ、いくら昔とはいえ、四半世紀前って、もう1990年代後半なのだから、そんな杜撰な犯行で捕まらなかったの?」とか「その状況だと、神頼みよりも他にやることがあるだろ、あるいは、神頼みしながらでもできるだろ」とか、色々言いたくはなるのです。あまりにも、周りが不注意だったり、無能であることに頼りすぎた仕掛けだよなあ、というか、現実的に想像したら、無理だろそれ。

 審査員からも、同様の指摘は出ていたのですが、「それでも、読者に読んでもらえて、愛される作品としての魅力を評価した」ということのようです。
 年寄り=老害、悪、みたいな風潮になってきている世の中で、こういう「祖父と孫との愛情あふれる物語」というのは、心洗われる気がしますし。


 ちなみに、冒頭の「なぜ、岡村隆史さんはこの作品を応募前に読み、オビにコメントを書いているのか?」という疑問は、巻末の著者紹介を見て氷解しました。
 著者の小西マサテルさんは、放送作家で、『ナインティナインのオールナイトニッポン」などのメイン構成を担当されているそうです。

 そうか、あの岡村隆史さんが、不謹慎発言で大炎上して『オールナイトニッポン』が続けられるかどうか、という状況になったときに、岡村さんや関係者と懸命に折衝し、「矢部浩之復帰、『ナインティナインのオールナイトニッポン』復活」のために頑張ってくれた、あの小西さんだったのか!
 コンビでの放送復活が発表された夜、岡村さん、矢部さん二人でのタイトルコールを聞いて目が潤んでいた(らしい)小西さんの作品だからこそ、長年苦楽を共にしてきた岡村さんは応募前に読み、オビにコメントを書いたのです。
 そして、この作品が、ミステリマニアであろう著者なのに、小難しいトリックの整合性よりも読みやすさや心地よい読後感を優先しているように感じたのは、著者が長年「ふつうのリスナーに届ける仕事」をしてきたからではないか、とも想像してしまいます。
 なんだか、そういう「物語」で、☆1つ増えてしまったような気もしますが、「感想」とか「評価」って、そういう「ひいき目」みたいなものから自由になるのは難しい。半世紀近く本を読んできて、つくづくそう思います。


fujipon.hatenablog.com

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