琥珀色の戯言

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【読書感想】禍いの科学 正義が愚行に変わるとき ☆☆☆☆☆

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
科学の革新は常に進歩を意味するわけではない。パンドラが伝説の箱を開けたときに放たれた凶悪な禍いのように、時に致命的な害悪をもたらすこともあるのだ。科学者であり医師でもある著者ポール・オフィットは、人類に破滅的な禍いをもたらした7つの発明について語る。私たちの社会が将来このような過ちを避けるためには、どうすればよいか。これらの物語から教訓を導き出し、今日注目を集めている健康問題(ワクチン接種、電子タバコ、がん検診プログラム、遺伝子組み換え作物)についての主張を検証し、科学が人間の健康と進歩に本当に貢献するための視点を提示する。


 「科学的な根拠はあるのか?」「ソースを出せ!」と言う人を、ネットでは大勢見かけます。まあ、現実でみかけないのは、知りあいにわざわざそんなケンカ腰で対応しない、というのが大きいだけかもしれませんが。
 怪しげな民間療法やネットワークビジネスを「紹介」してくる人というのも少なからずいるのですが、いちいち「論破」しようとしても、相手にとっては「想定内」で、かえって危険な目にあうこともありますし。

 僕はネット上で、「自分はリテラシー(読解力・理解力)が高い」と思い込んでいるだけの人を大勢みてきました。
 彼らは声高に、自分が「科学的」な人間であることをアピールするけれど、出された「ソース」が妥当なものなのかどうか判断する能力に欠けているのです。
 たとえば、あまりにもn(被験者数)が少なくて統計的な意味をなさないデータを鵜呑みにしたり、リスクばかりをあげつらって、メリットを無視したり。まあでも、実際のところ、薬のデータそのものを捏造した事件もありましたし、100%信じられるデータはないし、「科学」も進歩とともに「何が正しいのか」は変わり続けているのです。
 「科学」そのものではなくて、人間の倫理観の変化によって、同じ行為に対しても、正しくなったり、誤りになったりもするのです。

 著者は、この本のなかで、7つの「世界最悪の発明」を紹介しています。
 アヘン、マーガリン、化学肥料(の研究から生まれた化学兵器)、優生学ロボトミー手術、『沈黙の春』によって使われなくなったDDTノーベル賞受賞者による「ビタミン過剰摂取健康法」。

 これらの7つの「発明」は、すべて、人々の「善意」から生まれたものなのです。
 苦痛を緩和したい、飢餓をなくしたい、地球を環境破壊から守りたい……
 ところが、こうした、善意からつくられたものたちが、「兵器」よりも、多くの人の命を奪ってきた、というのが「科学の歴史」の一面なのです。

 後世からみれば「なんであんなことをやったんだ……」というような事例も、当時の人々は、本気で「それが正しいと信じていた」。たぶん、われわれがいま「科学的に正しい」と思ってやっていることだって、未来の人類(ではないかもしれないけれど)からすれば、「未知であるがゆえの愚かさ」だったと見なされることになるものが少なからずあるはずです。


 いま、日本でも新型コロナウイルスに対するワクチン接種が進められているのですが、その副作用のリスクを不安視する声も大きいのです。
 僕も正直なところ、こんな短期間で開発されたワクチンが本当に安全なのか?という問いに対しては「この短期間で可能な範囲の安全性のチェックは行われているが、副作用のリスクは重篤なものも含めてあるし、長期的な影響についてはわからない面もある」と答えざるをえないのです。
 それでも、現状では、ワクチンを接種するほうが、「日本人、あるいは人類全体としてはリスクより利益のほうがはるかに大きい」と判断しています。
 少し前に、「人間が死ななくなる方法が開発された世界」を舞台にした小説を読んだことがあります。
 そのなかで、ごく一部の人たちが、「あえて、死んでしまう人間でありつづけること」を選んだ世界。
 ところが、その作品は、「死なない治療を受けた人たちだけに致死的な影響を与えるウイルスが出現し、死ぬ人生を選択した人間のほうが生き残って人類を存続していく」というオチだったんですよ。
 実際、現実にも、長生きできない赤血球の異常が起こる遺伝的な疾患を持つ人たちが、「マラリアにかかりにくい」という特徴を持っているために、その地域では(相対的に)長生きし、子孫を残してきた、という事例があるのです。

manabu-biology.com

 35年間にわたってワクチン開発を続けてきた科学者として、私は科学が万能の力を発揮する喜びと、予期せぬ結果を生む悲しみの両方を目にしてきた。例えば、経口ポリオワクチンは西半球からポリオをなくし、今でも世界中で使われているが、ワクチン自体がポリオの感染を引き起こすことがある。このような副作用はまれだが、現実に起こっている。1998年から1999年にかけての10ヵ月間、米国の乳幼児に投与されていたロタウイルスワクチンは、まれに腸重積(訳注:腸管が重なった状態で引き起こされる腸閉塞症)を起こすことがあり、一人の子供が死亡したことによって中止された。ヨーロッパと北欧諸国で2009年に行われたブタインフルエンザの予防接種は、ナルコレプシー(居眠り病)と呼ばれる睡眠障害をまれに発症させることが判明した。発症すれば、影響は生涯にわたって続く。これらはどれも命にかかわる恐ろしい感染症から人々を守ろうとする素晴らしい発明だったが、少数ながらも悲劇が生まれてしまった。


 「科学的」だからこそ、「100%安心、安全」はありえない。
 でも、一定の確率で誰かに起こるリスクだとわかっていても、それが自分の身に起こったら、「運が悪かったね」と納得することはできないんですよね。

 1962年、アメリカのサイエンス・ライターであるレイチェル・カーソンは、殺虫剤(DDT)による環境破壊や生物への被害を訴えた『沈黙の春』という本を出版しました。
 この本は大ベストセラーとなり、世論の高まりによって、DDTは使用を禁止されていったのです。
 
 その結果、どんなことが起こったのか?

 環境保護庁が米国でDDTを禁止した1972年以降、5000万人がマラリアで命を落とした。そのほとんどは、5才未満の子供たちだった。
 『沈黙の春』の影響は、枚挙にいとまがない。
 インドでは、1952年から1962年の間に行われたDDT散布により、年間のマラリア発生件数は1億件から6万件に減少した。しかし、DDTが使用できなくなった1970年代後半には600万件に増加した。
 スリランカでは、DDTを使用する前は280万人がマラリアに感染していた。散布をやめた1964年には、マラリアにかかった患者はわずか17人だけだった。その後、DDTを使用できなくなった1968年から1970年の間に、スリランカではマラリアの大流行が発生し、150万人がマラリアに感染した。
 1997年にDDTの使用が禁止された南アフリカでは、マラリア患者は8500人から4万2000人に、マラリアによる死者は22人から320人に増加した。
 最終的に、99の国でマラリアは根絶され、ほとんどの国で根絶のためにDDTが使用された。「DDTの禁止は、20世紀の米国において最も恥ずべき出来事の一つだった」と作家のマイケル・クライトンは書いている。「私たちには多くの知識があったのに、そんなことはお構いなしに、世界中の人々が死ぬにまかせ、気にもとめなかった」。
 環境保護活動家たちは、DDTの禁止は究極のジレンマだと主張する。DDTが禁止されれば、マラリアで死ぬ人が増える。しかし、DDTが禁止されなければ、白血病や各種のがんをはじめとする様々な病気にかかり、死ぬ人が出るだろう。この論法には、一つの誤りがある。『沈黙の春』でカーソンが警告したんもかかわらず、ヨーロッパ、カナダ、米国の研究により、DDTは肝臓病や早産、先天性異常、白血病、あるいは彼女の主張にあった他の病気の原因にはならないことが示された。DDTの使用期間中に増加した唯一のがんは肺がんだったが、これは喫煙が原因だった。何といっても、DDTはそれまでに発明されたなかでは最も安全な外注対策だった。他の多くの殺虫剤に比べれば、はるかに安全性が高かった。
 それでも、環境活動家たちは、人間が地球で唯一の生物ではなく、他の多くの生物種と共存しているのだと訴えた。彼らに対する責任は私たちにはないというのか? 『沈黙の春』の極めつきの皮肉は、レイチェル・カーソンが人間の健康に対するDDTの影響を誇張しただけでなく、動物の健康に対する影響も誇張していたことだ。

 『沈黙の春』のなかでは、詩的に「(DDTの影響で死んでしまって)鳥は歌わなくなった」と書かれているのですが、実際に鳥の数をカウントしたデータでは、DDTが使われている期間も、鳥はむしろ増えていたのです(DDT散布後に、地元の人が鳥の死骸をみつけた、というのは嘘ではないとは思いますが、DDTとの因果関係ははっきりしません。鳥の死因は、DDTだけではないでしょうし)

 レイチェル・カーソンと、DDTの禁止から得られる教訓は、繰り返しになるが、データがすべてということになる。しかし、ここでは2つの新たな教訓も示唆されている。
 環境保護庁でDDTの禁止が検討されたとき、彼らの手元には2種類のデータがあり、どちらを選ぶこともできた。一つは、科学、毒性学、農学、環境衛生学の専門家100人以上によって作成され、数百のグラフや図が入った9000ページにおよぶ報告書だ。この報告書では、DDTによって鳥や魚が死ぬことはなく、人間の慢性疾患の原因にもならないと結論づけられている。うんざりするほど退屈ではあるが、内容は正確だ。
 もう一つの根拠は、1冊の本だった。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』だ。文章は美しく、聖書のような語り口で胸を打つ物語が語られている。ただし、専門家による報告書とは違って、データにはあまり触れず、具体的なエピソードにページの多くを割いている。例えば、DDTが原因でハクトウワシが死んだことの証拠として、カーソンはバードウォッチングを趣味にしていたフロリダの元銀行家の目撃談を挙げている。最終的に、環境保護庁はデータではなく、恐怖と誤解に基づいてDDTの禁止を決定した。
 カーソンの話には、もう一つの教訓がある。16世紀のスイスの医師で哲学者だったパラケルススは、「量次第で薬は毒にもなる」と言った。レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いて1960年代の人々に訴えかけたとき、自然回帰思想を支持したのは若く情熱にあふれる、社会意識の強い活動家たちだった。人為的な活動が環境を破壊するという、カーソンの基本的な前提は正しかった。現代の私たちが、地球に人間が与える影響をはっきり意識するようになったのは、レイチェル・カーソンのおかげだ。しかし残念ながら、カーソンはゼロ・トレランス(ゼロ容認)という概念も誕生させた。濃度や量に関係なく有害物質は一切認めず、全面的に禁止すべきだという考え方だ。(農業で使用されるような)大量のDDTが有害な可能性があるなら、(蚊に刺されないようにするための)ごく少量の使用も避けるべきだということになる。ある意味では、レイチェル・カーソン予防原則の最初の提唱者であったといえるかもしれない。


 まさに、いま、新型コロナウイルスに対するワクチン接種が行われているタイミングだからこそ、この本を読んでみてほしいのです。
 人は、自分が信じたいものを信じてしまいがちですし、今の自分が健康であれば、「予防のためのワクチンで悪い影響を受ける」リスクをより高く見積もってしまうんですよね。
 「ちゃんとした科学」って、めんどくさいし、つまらないんですよ、大概。「絶対大丈夫です」って、安心させてくれることもない。
 それでも、こういう試行錯誤の繰り返しで、少しずつでも、人間は進歩してきている、というのも事実なのです、たぶん。


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ヘンな論文 (角川文庫)

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