琥珀色の戯言

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【読書感想】世間とズレちゃうのはしょうがない ☆☆☆☆

世間とズレちゃうのはしょうがない

世間とズレちゃうのはしょうがない


Kindle版もあります。

世間からはじき出されないことを願う理論派・伊集院光と、最初から世間からはみ出している理論超越派・養老孟司。博覧強記でゲーム好きという共通点がある二人が、世間との折り合いのつけ方を探ります。見た目が大きくて、子どものころから同級生との違いをひしひしと感じ、「世間からはじきだされることがこわかった」という伊集院さんは、不登校になった理由や落語の道に進んだわけを明かしつつ、「人間はそもそも群れの中で生きる動物。『他人に優しくなるほうが得』ということになるんじゃないかな」と語ります。一方「自分ははじめから世間から外れていた」と語る養老さんは、「都市においては、意識で扱えないものは排除されます」という都市論・世間論を展開。さらに、たまには世間から外れて世の中をながめてもいいんじゃないか、と世間から抜け出す方法を提案します。抱腹絶倒のトークから、世間とズレながら生きていくヒントが得られる一冊です。


 タレントの伊集院光さんと解剖学者の養老孟司さんの対談本。このふたりにどんな接点が?と思いながら読み始めた。
 伊集院さんが最初に養老先生のことを意識したのは、伊集院さんが司会をしたテレビゲームのイベントで、選考委員をつとめていた養老先生が、理路整然と「ゲーム中毒と言うけれども、楽しいことは多かれ少なかれ中毒になるものですよ」と話しているのを聞いたときだったそうです。
 伊集院さんは、「自分より年上なのに、こんな人がいるんだ」と驚き、ゲーム好きとして味方をしてもらった、と感じたのです。
 ちなみにそのとき、養老先生は「二宮金次郎は勉強中毒で、当時は役にも立たない勉強を夢中でやっているどうしようもない変わり者だと言われていた。そういうものですよ」とも仰っていたのです。
 いま、アスキーを創業し、日本のマイコンの基礎をつくった西和彦さんの自伝を読んでいるのですが、西さんも、コンピュータが好きでたまらなくて、お金や名誉よりも、自分の理想のマイコン(パソコン)をつくりたい、という思いで仕事をされていたのです。結局、人が一生懸命やれることって、それが楽しいか好きかであって、それが時代のニーズに合えば偉人や成功者となり、合わなければ「ただの物好き」と見なされるだけのことなのかもしれません。
 伊集院光さんのラジオでの発言などを聞いていると、世の中の日陰にいる人とか、炎上している物事について、「常識的な人たちの意見」に配慮しながら、マイノリティへのサポートをしているように感じます。
 それは、伊集院さん自身も、「身体が大きくて周りから特別扱いされた子ども時代」があって、「落語という主流ではない古典芸能の道を選んだ」人だから、というのもあるのでしょう。

伊集院光これ僕の中で大きな課題なんですけど、100%にならないことを「おもしろい」とするのか「きりがない」とするのか……。


養老孟司科学の授業をしているときに、学生からよく聞かれることがありました。「先生、脳のことは今どのくらい分かっているんですか?」これ、どこかで100%分かると思っているんだよ。全部わかるわけなんてないのに。


伊集院:若いころは無限のもの、果てしないことを征服できるとどこかで思っていて、だからこそ始めることができるとも思います。先生は「脳について全部分かる」「虫は全種類分かる」と思わずにスタートしているんですね。


養老:そんな極限なんか全然考えないものね。


伊集院:なんでこの話にこだわっているかというと、僕は高校を出ていないんです。やめた理由はいろいろありますが、ある日突然、勉強が嫌になったんです。それは「勉強をすればするほど達成度のパーセンテージが下がる」と思ったんです。

 たとえば、僕の通っていた小学校では三年生まで「私たちの荒川区」と題して、地元の荒川区の勉強をするんですよ。それを覚えて四年生になると、今度は「私たちの東京都」が始まる。よし、全部覚えたと思ったら、次は「日本」の話が始まった。そのときに「勉強ってすればするほど自分の考えていた達成度が下がる」と思い始めたんです。高校のときに、それじゃあもう手に負えない、とちょっとノイローゼみたいになって、学校に行くのが嫌になっちゃった。登校拒否ですよ。これがこの本のテーマの「世間とのズレ」の決定的なやつかもしれない。
「学校に行かなかった理由は何ですか?」と聞かれたとき、僕はいじめられてもいなかったので、そういう意味での障害は何もなかったんです。でもある日突然、「勉強すればするほど、おれは頭が悪くなっていく」と思った。それは自分の中で衝撃でした。いつか100%征服できるものだと思っていたから。


 この「勉強すればするほど、自分の知らないこと、わからないことが出てきて、打ちのめされる」という経験は、伊集院さんだけのものではないはずです。

 人間、何かを究めようとすれば、かならずどこかで壁にぶち当たることになります。

 超進学校に行けば、自分なんてたいして賢くはないのだ、ということを思い知らされ、大阪桐蔭の野球部に入れば、自分くらいの選手はゴロゴロいることを目の当たりにしてしまう。
 
 そこで、「やればやるほど、自分の無知を思い知らされるだけだ」と絶望するか、「それでも自分は100%に近づきたい」と努力を重ねるか。
 大概の人は、頂点を目指そうと思うほど傲慢でもなく、さりとて、全部投げ出してしまうほど潔くもありません。
 結局、世の中をうまく渡っていくために、それなりに「勉強」というものをやっていくことになるのです。
 頂点は程遠くても、そこに「楽しさ」を見いだせれば良いのだけれど。


 養老先生は、自らの価値観が劇的に破壊された体験として「終戦」を挙げておられます。

伊集院:僕、そのことを前から思っていたんです。自分の親たちの世代にちょっと敵わないなと思うのは、彼らが戦争を経験しているからなんです。親父がいつも言ってたのは、生徒が校庭にある銅像か何かに一礼しないといきなりぶん殴っていた先生が、戦争が終わった途端、まったく関係のないことを言いだした。そのときのポカンというか恐怖というか、わけの分からない感じ。
 親父に「戦争が終わったとき、うれしかったの?」と聞いたら「うれしくなかったことはないんだけど、うれしいとかいう感情じゃなくて、もっとすごいことなんだ」と言うんです。そのとき言われたのが、「おまえ、今まで習ってきた教科書が全部ウソだと言われたらどう思う?」


養老:そうです。ウソだと言われる以上に、自分で墨をすって、教科書の戦争に関係あるところを全部黒く塗らされたわけだからね。みんなで声を揃えて何度も読んだところですよ。だから理屈じゃないんだよね。感覚ですよ。肉体感覚。


伊集院:そのガラガラポン体験が生きているから、先生には「何かしらそういうことは起こるよ」という覚悟があるんですね。


 たしかに、子どものときにそういう体験をすると、「世の中、何が起こってもおかしくない」と思うようになりますよね……
 あらためて考えてみれば、そういう価値観の劇的な変化というのは、この先の日本人、あるいは人類にも起こる可能性はあるのです。
 少なくとも、新型コロナウイルスの流行によって、人と人との接触についての考え方は、それ以前とは大きく変わってきています。
 たぶん、「新型コロナ以前」に戻ることは、もう無いはずです。

養老:幽霊っているんだよね。だっていなきゃ言葉にならないでしょ。頭の中にいるんですよ。それは間違いない。だから世界中にいますよ。
「外にいる」と言いだすから変なことになるわけです。頭の中には間違いなくいるだろうという話。だから「幽霊を見たから」と大急ぎで逃げて、転んで足の骨を折ったりするわけです。そういうとき、「幽霊は現実だ」と言えるでしょ。


伊集院:ふむふむ。


養老:「幽霊はいます」でいいじゃん。幽霊の絵だってたくさんあるよ。

 あと、幽霊のことを考えるにしても、戦争中と平和なときとではまた違うものね。人ってそういううものでしょう? たとえばフィリピンで終戦を迎えて帰ってきた人が「飢えた兵隊が戦友を食ったことがありました」と証言する。そうすると、人間はそういうことをするものだと性悪説を取りがちですよね。
 でもそのとき、「それは違うんじゃないかな」と思いました。人間は性悪でも性善でもなくて状況次第だろう、と思ったんです。状況次第で自分だって、「食わなきゃ死んじゃう」となれば食うかもしれない。性悪とか性善とかは、その状況に置かれたことがない人が言うんですよ。人間の性は本来善だとか悪だとかいう考え方が変なんだと思いますよ。


伊集院:すごい話だ。頭の中の幽霊が、現実に足を骨折させた。骨折の原因は幽霊という理屈も成り立つなあ……。ああ、また理屈っぽいや。


養老:(笑)。


伊集院:先生のその発想は、世間とはまったく違うところから来ているんでしょうか。


養老:そんなことはないですよ。基準になっているのは世間があるからでしょ。世間と折り合わないから考えるんですよ。「なんでみんなそういうふうに思うんだろう」「どこに問題があるんだろう」。そうすると、分からないんですよ。答えは簡単には出てこないんです。
 だから、そういう疑問がいつも溜まっているわけ。疑問が解けないで頭の中にずっとあるのは、トゲが刺さっているのと同じなんです。
 
 普通の人はそれを丸めるんです。覚えている辛抱がなくて、とりあえず忘れる。だから「どうしてこうなんだよ」と聞いたとき、「いや、そういうもんだと思ってました」となる。「そういうもんだ」と思ってしまえばトゲにならない。だから痛くないわけですよ。
 僕はどうもたちが悪くて、ずっと気になっているんです。二十年三十年と気になっている。そうすると、あるときふっと気がついて、「ひょっとしたら、これが答えじゃないか」というのがボコッと出てくるんです。そうすると、頭の中のトゲが抜けるので非常に気持ちいいんですよ。だから、まず辛抱がいるんですよ。それから体力がいるんです。


 正直、養老先生の話を聞いたり、文章を読んだりしていると、僕は「空気を読まない人だな」とか「老害?」とか思ってしまうことが多いのです。
 それでも、マイペースで発言を続けている養老先生は、すごい人ではありますよね。
「ズレている」と自覚しながらズレ続けるというのは、そんなに簡単なことではないはずです。
 養老先生は「そういう人」だとみんなが認識しているからこそ、いちいち炎上もしない。
 伊集院さんもそうなのですが、「この人が言うことだから、みんな納得してしまう」っていう面もありますし。


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バカの壁 (新潮新書)

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