- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/01/24
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
「無類」とは、単なるアウトサイダーやドロップアウトのことではない。人としての心の持ち方、生きる姿勢のことをいう。情報や知識、主義やイズム、他人の意見や周囲の評価…安易に頼るな、倒れるな、自分の頭と身体でこの世の波乱万丈を突き抜けろ。ギャンブルや恋愛から、仕事、社会、戦争、死生観まで総まくり、著者ならではの経験と感性から紡ぎだされる「逆張り」人生論!
伊集院静さん、最近は「御意見番」として、さまざまな機会・場所で採り上げられています。
僕も長年、伊集院さんの作品を読んできたのですが、これは「伊集院静の美学を、新書サイズにまとめたもの」という感じで、これまでの伊集院さんのエッセイを読んだことがない人にとっては、入門編としてうってつけかもしれません。
この新書の最初の項で、伊集院さんは、こんなエピソードを紹介しています。
若い頃、周りからうつけとかバカ殿と呼ばれた織田信長が、あるとき立ち寄った沼のほとりで、どうにもここには河童がいるらしい、という話になった。
「河童とはどういうものか?」
「いや、中国の話ではこういうものらしく――」
あとは終いまで聞かずに沼に飛び込んでしまったという。
端的な逸話ですが、他人の言うことに左右されない、確かな姿勢というものが感じられる。人の言うことに左右されてばかりだと得られるものは少ない。セルフ・コンフィデンス、ここぞという時に自己確信がなければ勝負事には勝つことができません。
あえて聞く耳を持たないから何かが得られる。それも無頼の一つだろうと思います。
信長のこのエピソードは、はじめて聞いたのですが、「らしい」話だなあ、と。
頭で「わかったつもり」になってしまっていることの弱点について、もっと考えてみるべきなのかもしれません。
ネットの普及で、多くの「知識」を簡単に得られるようになっただけに、なおさら。
僕は伊集院さんみたいに強く生きられる人間じゃないのですが、松井秀喜選手や武豊騎手など、「勝負師」たちが伊集院さんに私淑していることには、やはり、それなりの理由があると思うんですよね。
頑固なトラブルメーカーのようだけれど、人間としての筋は通す。
保身に走らず、自分を貫く。
私の父は、「人に物乞いをしたら、もう廃人と同じだ」と徹底して言っていました。
家では年に一度、かつて父を助けてくれた日本人漁師のお墓参りに行って、おかげさまでこうして無事に全員生きています、と報告するのが慣わしで、家族全員が揃って出かけるその日は外食になるから、子どもたちにとって楽しみな行事でした。
ところがある日、さあ出かけようという時に、近所にいた物乞いが母親に向かって、「奥さま、先日はありがとうございました」と言うのです。その瞬間、父は顔を真っ赤にして怒り出し、その物乞いに近づいていって肩を揺さぶりながら言いました。
「どうしたお前、ちゃんと二本足で立ってるじゃないか、自分で動けるじゃないか。だったら働け!」
そして母に向かってさらに怒鳴った。
「こいつに何をやったんだ? モノをやったのか。自分で働こうとしないやつにモノをやるから、いつまでたっても物乞いし続けるんだ。それは人間として一番卑怯なやり方なんだ。二度とするな!」
その光景を思い出すと、頭も身体も人並みに動かせるのに働かない若者も、年金が少ないだの言っている老人も、国家に物乞いしているように見えてきます。
怠けることをよしとし、物乞いに与え続けるような国家はやがて潰れるしかありません。
率直なところ、この話に、そのまま同意することは、僕には難しい。
見た目は「二本足で立って、自分で動けている」のだとしても、内面の問題があったのではないか、とか考えてしまいますし。
でも、こんなふうに書ける伊集院静という人の覚悟に、惹き付けられるのも事実なのです。
この話のなかでお父さんがいちばん責めているのは、「何かをあげた」お母さんに対して、なんですよね。
いまの世の中って、ちょっとした発言から、「炎上」してしまう芸能人や文化人って、多いじゃないですか。
みんな、リスクマネジメントに汲々として、「いかに揚げ足をとらせないか」にあくせくしているようにみえます。
僕自身にも、間違いなくそういうところはあるのです。
でも、伊集院さんは、そんなしがらみにこだわらずに、やや古臭くもみえるようなこだわりを、言葉にしつづけている。
そうすると、周囲も「ああ、伊集院静だから、しょうがないな」と、かえって矛を収めてしまう。
ただ、傲慢なだけの人じゃない。
この人は、自分がその立場になっても、たぶん飢え死にするほうを選ぶ覚悟をしているのだろうし。
色川武大さんについての、こんな話も紹介されていました。
それからテレビゲームが流行りはじめた当時、ある女性編集者が、「ああいう一人遊びって、よくないですよね」と言うと、「あれは一人遊びではありません。夜の八時や九時に空の上から日本全国の家の屋根を剥がしてごらんなさい。子どもはいっせいに同じことをしているのですから、一人遊びではなくてみんなで遊んでいるんです」――。
もののとらえ方が人とはまったく違う。そのうえで、
「どうも、そんなカンがするね」
「そっちの方は、具合がよくない気がする」
こういう言い方をよくする人でした。
僕などは「孤独」というのものを、あまりにも狭い範囲で、考えすぎているのかもしれません。
目の前に誰もいないことをおそれて、やりたくもないことに付き合ったり、聞きたくない話を聞かなくても、この世界には、たぶん、自分とつながっている人がいる。
先日、『文藝春秋』の芥川賞受賞作掲載号を読んでいたら、テレビ東京の大橋未歩アナウンサーの日記に、「伊集院静さんからの激励のメッセージが届いて、すごく元気づけられたこと」が書かれていました。
強い言葉、妥協のない行動の一方で、他者への礼儀とか気配りも忘れない。
「無頼」な一面ばかりが採り上げられがちだけれど、そういう「人としての温かさ」があるからこそ、多くの人が、伊集院さんに惹かれるのでしょう。
僕のようなズボラな人間が参考にすべきなのは、むしろ、そういう「気配りの積み重ね」なのだと思います。
伊集院さんに100%同意できる、という人は少ないはずです。
でも、こういう考え方、生き方をしている人がいる、というのは、知っておいて損はないと思いますよ。
- 作者: 伊集院静
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