琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「客であること」をふりかざす人々

ボードゲームサークルの運営について(by 卓上遊戯創造館別館(11/8))
http://d.hatena.ne.jp/stelmos/20061108#1162993420
↑のエントリを読みながら考えたのだけれど、こういうのって、ある集団が大きくなっていく過程において、必ず出てくる問題なのでしょうね。僕にとって身近な例で言えば、この「インターネット」というやつだって、大昔の「パソコン通信」の時代には、「パソ通をやっている人間」というだけでお互いに「同好の士としての仲間意識」みたいなものがあったのだけれども、いまや「インターネットをやっている人」だからといって、お互いに親近感を抱いたりはしませんし。まあ、「ヘビーブロガー」同士とかなら、多少はそういう連帯感みたいなものも生まれやすいのかもしれませんが。
考えてみれば、個人サイトとかブログなんていうのは、まさに「無料のサークル」みたいなもので、あまりに反社会的なものでなければ、自分が気に入らないという理由で罵倒したりするのは筋違いのような気がします。もちろん運営側もたくさんの人に来て欲しければそれなりに居心地が良いように調整する必要があるでしょうし、「人が来ない」ことで誰かを責めるのも筋違いなわけですけど。

しかし、実は「お金が介在する」というのは、非常に厄介なことではあるんですよね。僕が常日頃感じているのは、「お金を払っている」というだけで、人というのはここまで精神的優位に立てるのか、ということなのです。いや、例えばトゥール・ダルジャンで接客マナーがなっていなかったら、それは客が怒っても然るべきだと思うけれど、ファミレスで店員さんの皿の置き方が多少ぞんざいだったからといって、烈火のごとく「客をなんだと思っているんだ!」と怒るのが「客としての当然の権利」なのだろうか、と。やっぱり、そういうことには「分相応」というものがあるのではないでしょうか。「お客様は神様です」って言うけどさ、神様っていうのは人々を助けてくれるから崇拝されるのであって、災厄ばっかりまきちらすような「神」には近づいてほしくないです。

運営側も「参加してくれてありがとう」、参加側も「運営してくれてありがとう」というような感謝の気持ちを持ち合っているような状態がベストなのだとは思うのですが(なんだか自己啓発本みたいだな……)、「無料」だと「タダで運営してやってるんだから」となり、「有料」だと、「こっちは金払ってるんだから」となってしまいがち。
そもそも、今の世の中なんて、みんなあるときは「客」であり、またあるときは「運営側」じゃないですか。
あなたが無理難題を言って困らせている相手は、明日の自分かもしれないのですよ。

アクセスカウンター