琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

コクリコ坂から ☆☆☆☆



あらすじ: 東京オリンピックの開催を目前に控える日本。横浜のある高校では、明治時代に建てられた由緒ある建物を取り壊すべきか、保存すべきかで論争が起きていた。高校生の海と俊は、そんな事件の中で出会い、心を通わせるようになる。

映画『コクリコ坂から』公式サイト


今年18本めの劇場鑑賞作品。
金曜日の19時からの回を観ました。
観客は30人くらいで、若いカップル、中高年層が多かったです。
小学生くらいの子どもが、2人いたかな。


5年ぶりの「宮崎吾朗監督作品」ということで、内心、黒い期待を抱きつつ観にいきました。
ネットでは、「いや、そんなに悪くない」という声も少なからずあったんですけどね。


観終えての率直な感想は。
「ああ、これは悪くないな。というか、40男がみんなの前では言いにくいけど、けっこう好きかもしれない」でした。


でも、この作品のどこが魅力なのか?
そう問われると、ちょっと困ってしまいます。
アニメーションとしての、「絵」のクオリティは、『ゲド戦記』よりはマシだと思うけど、『千と千尋』のような強烈なキャラクターのトリッキーな動きとか、『ハウル』の城が動くときのような、「おおっ、これを動かすのは大変だっただろうなあ!」という感動はありません。
「絵」は、ジブリ作品のなかで、「中の下」レベル。


ストーリーは、『耳をすませば』『猫の恩返し』ほどの「妄想系」ではなくて、主人公や周囲の人々のキャラクターも受け入れやすいものです。
ただし、主人公の海は、良くも悪くも「いい子すぎる」かもしれません。海が通っている高校の生徒たちも「いい人」か「変な人」ばかり。そんな高校ないよね、絶対。


高校生たちが「カルチェラタン」の取り壊しについて、講堂でやりあっているシーンには、学生運動を彷彿とさせられたのですが、僕はあのシーンを観ながら、「ああ、この映画で鈴木敏夫さんと宮崎駿監督がいちばん楽しんでつくっているのは、この場面じゃないかな」とニヤニヤしてしまいました。
ちょっと押井守エッセンスも入っている感じです。


たぶん、この『コクリコ坂から』の最大の魅力って、いまの高校生が観たら腹が立つんじゃないかと思うほど、みんなが「上を向いて歩いている」ことだと僕は感じたんですよ。
携帯電話も、インターネットもないし、家にはテレビすらない。
「高校生」にもかかわらず、食事の準備や洗濯、掃除などの「下宿屋の仕事」を押しつけられているのに、それに対する不満を口にすることもなく、新聞部に「何か仕事はありませんか?」と、さらに自分の時間を犠牲にする海(まあ、それには「下心」もあったんだろうけど)。

どうみても、「うらやましくない境遇」のはずなのに、そういう「あたりまえの日常をきちんと送りながら、未来に希望を持って、生きている人たちの姿」って、いまの僕には、すごく新鮮に見えたのです。
けっして、いいことばかりの時代じゃなかったはずです。
「上を向いて歩く」のは、「涙がこぼれないように」なのだから。


この物語の登場人物たちは、けっしてラクな暮らしをしているわけではないのに、みんなが「それでも、世の中は、この先きっと良くなる」「私の人生には、希望がある」と思っているように、僕には見えました。
そして、「自分の力で、少しずつでも世の中を良くすることができる」と信じている。
いまの僕たちからすれば、「何の根拠も無い自信」です。

そういうのは、「泣きたいときには、泣けばいい」という歌を聴いて育った僕には、全然うらやましくないはずなのに、この映画を観ていると、なんだかとても、うらやましくなってくるのです。


ゲド戦記』が、「宮崎吾朗監督が、自分でつくりたいものをつくった」とすれば、この『コクリコ坂から』は、「宮崎駿鈴木敏夫両氏がつくりたかったものを、宮崎吾朗監督につくらせた」ように僕には思われます。
この規模、この内容の作品を「宮崎駿の名前を前面に出してプロモーションする」のは、ここまで社会に期待されるようになったスタジオジブリには難しい。

あるいは、あえて、「宮崎駿がつくりそうな作品」に仕上げたのかもしれません。
それはそれで、この『コクリコ坂』は、成功している作品だと思うんですよ。

ゲド戦記』で苦楽をともにした(というか、一緒につらいめにあった)岡田准一さんや手嶌葵さん(『さよならの夏』は、すごく良い曲ですね)に今回もこだわって、それなりの「成功」をおさめたのは、宮崎吾朗という人のこだわりを見たような気がします。
ああ見えて、けっこう執念深い人なんだなあ。
前作があれだけ叩かれたら、なるべくイメージを変えようとするじゃないですか、普通は。


個人的には、最後にもうひとつ「どんでん返し」があるのではないかと内心期待していましたし、素直にハッピーエンドだと解釈するには、ちょっと微妙なところもあるのです。どうも不自然に感じたシーンもあったから。
登場人物は、みんな本当のことを言っているとは、限らないしね。


宮崎吾朗ジブリの少女漫画原作、非ファンタジー系と、「期待しがたい要素」が勢揃いした作品だったのですが、僕はこれ、『もののけ姫』以降のジブリのなかでは、『もののけ姫』の次くらいに好きな作品です。
ほんと、「何がそんなに良いのか、自分でもよくわからない」のだけれど、「おっさんキラーの映画」であることは間違いなさそうです。



以下はネタバレ感想です。結末についても触れていますので、未見の方は、鑑賞後に読んでくださいね。

 正直、僕としては、「実のきょうだいなのに、お互いの気持ちを抑えられない海と俊」というストーリーのほうを、観てみたかったような気がするんですよね。
 「そういう時代だった」「海の父親は、そういう男だった」と制作側は言いたかったのかもしれないけれど、あの海のお母さんの行動は、「海と俊を傷つけないために、昔の夫の友達に頼んで、ひと芝居打った」と解釈できなくもないし。
 そもそも、本当のきょうだいじゃないのなら、あの2人は、あまりに似すぎなんじゃない?
 そういう伏線のためじゃなければ、あれだけ似たキャラクターにするのは「反則」のような気がします。


 そして、あれだけみんなが苦労した、カルチェラタンの存続が「物わかりが良い成りあがりの社長である理事長の一存」で決められてしまうというのは、いくら生徒たちが高校生で、自分の力ではどうにもできないとはいえ、なんだか悔しくなりました。
 これじゃあ、僕が大嫌いな『ハウルの動く城』の魔法使いおばさんの「それじゃあ、このバカバカしい戦争を終わりにしましょう」と同じことなんじゃないか、って。
 結局のところ、「ものわかりのいい権力者に気に入られる」ことでしか、問題を解決できなかったのに、「全面勝利」って喜んでも良いのだろうか?
 あの人たちが「やっぱり取り壊し」「やっぱり戦争やる」って言ったら、また同じことの繰り返しになるだけなんじゃない?
 僕は全共闘世代より20年以上若いのですが、ジブリはいつも、なんでこんな「権力者への直訴」で世界を変えようとするのだろう?と考えてしまうのです。
 「それが現実」なのかもしれないけれど……
 その「御都合主義」がイヤだから、僕は、登場人物たちが、自力で立ち向かっていく、『ナウシカ』や『紅の豚』が好きなんだと思う。


 あと、これは率直なところ「インテリが昔を懐かしむ映画」だよね。

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