琥珀色の戯言

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【読書感想】欲望の民主主義 分断を越える哲学 ☆☆☆

欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)

欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)

欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)

内容紹介
世界の知性が見る「民主主義の限界と現実」とは?
大反響のNHK異色教養ドキュメント、
待望の書籍化!


世界中で民主主義が劣化している。アメリカのトランプ現象、イギリスのEU離脱、フランス極右政権の台頭など、多数の民意を反映した選択は、目先の利益のみを優先し、自国の生き残りを賭けたものばかりだ。協調、共和といった精神からかけ離れたむき出しの欲望が民主主義と結びつき、社会の分断は加速する。今、世界の知性たちは何を考えるのか──?若き天才哲学者、マルクス・ガブリエルら六人が考察する政治変動の深層と民主主義の混迷。世界の現実を知る必読書。


 この本のタイトルをみて、イギリスのEU離脱トランプ大統領の就任という「民主主義の分断」を象徴するような出来事について分析した本だ、というのはわかったのですが、読んでみると、かなり難しい内容だったんですよね。
 「分断を越える哲学」の「哲学」の部分が、いまの西欧世界で活躍している「哲学者」たちの話をまとめたものだったのです。
 看板に偽りあり、というわけでは全然ないのですが、「哲学」という言葉は、いま、「考え方」とか「持論」というような意味で濫用されているのだよなあ。
 本物の「哲学者」の言葉には重みがあるのと同時に、やっぱり、難解だなあ、とも感じるのです。


 この本の「はじめに」には、こう書かれています。

 民主主義とは何か? この素朴にして、手あかがついたように思われる問いを、世界の知性たちに投げかけることの必要性が、今浮かび上がる。そしてそれは、とりもなおさず、主権とは何か? 自由とは何か? と、次々に極めて原初的な概念の意味するところを掘り起こす問いを惹起しないわけにはいかない。その先には、すべての人々が自由を愛して生きることは実現できるのか? という問いにまで繋がっていくはずだ。いささか、飛躍があるように思われるだろうか? だが、今「民主主義」について考えることと、さまざまな個性を持って生まれた人々が、それぞれの本性を解放し、伸びやかに生きていく方法を考えることは、かなり近い距離にあることのように思う。
 本書は、NHKBS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」で世界の知性たちに、この素朴かつ本質的な問いを行った記録である。2016年から2017年にかけて、イギリスのEU離脱アメリカのトランプ大統領の誕生、フランスの急進的な右翼の台頭、そして世界で頻発するテロ……と大きく揺れ、激しく変化する世界の中で、言葉の真の定義において、ラディカル=原初的に考えてみた、思考の軌跡でもある。本書では、そのインタビューの中から、6人の言葉を抜き出し、再構成した。


 アメリカの政治学者であるヤシャ・モンクさんは、アメリカの民主主義が直面している問題のひとつとして「人々がかつてのように民主主義に対して熱意をもっていないこと」を挙げています。
 その「民主主義が軽視されるようになってきた理由」として、モンクさんは「長年の社会構造の変化」を指摘しているのです。

 民主主義の社会的、政治的な前提条件が変わってきたのです。例えば、かつては人々の生活水準は急速に向上していきました。世代交代のたびにね。アメリカでは、1945年から1960年で平均的な国民の生活水準は2倍に向上しました。1960年から1985年でさらに2倍になりました。でも1985年からは横ばいです。
 日本でも同様です。70年代、80年代、90年代初めまでは生活水準がものすごい勢いで向上しました。しかしその後、ほとんどの日本人の生活水準は伸び悩んでいます。このような状況においては、民主主義に対する人々の考え方が変わってきます。
 その背景をもう少し丁寧に考えてみましょう。人々が民主主義を好むのは、人民による政治や国民の平等といった民主主義の理念を信じているからという理由だけではなかったのです。人々が民主主義を好むのは、そこから得るものがあるから、民主主義によて生活豊かになり、明るい未来を描けるからです。その恩恵が受けられなくなると、人々は民主主義に対して批判的になっていきます。そのために昔に比べて政治システムが不安定になっているのです。


 民主主義の国での「分断」についてのレポートを少なからず読んでいて感じるのは、結局、人はイデオロギーよりも経済や自分たちの生活や娯楽を重視するものなのだ、ということです。
 もちろん、イデオロギーが一時的な熱狂を生み出すこともあるのですが。
 政治がうまくいっているから、経済もうまくいくのか、経済的に上り調子で、生活水準が向上していれば、多少の政治の問題は大目にみる心の余裕が生まれるのか、という疑問はあるにせよ。
 

 モンクさんは、こんな話もされています。

 グローバリゼーション、国家、民主主義の最適なバランスは、本当に、大事な問題です。
 経済学者のダニ・ロドリック氏は、その三つのトリレンマ(三者一択の窮地)について語っています。グローバリゼーション、国家、民主主義……、この三つのうちの二つの組み合わせのみしか選べないというものです。国家と民主主義を選ぶとグローバリゼーションは選べず、グローバリゼーションと国家を選べば民主主義を選べない、というようにね。でも私たちはロドリック氏の説が間違っていることを証明しなければなりません。この問題についてロドリック氏は鋭い考察をしていますが、その答えは三つすべてをいかに同時に成立させるかというものでなくてはなりません。


 とは言うものの、モンクさんも「間違っていることを証明できる」ではなくて、「証明しなければならない」とおっしゃっていrんですよね。
 僕は、このロドリックさんの説に納得してしまうのです。
 グローバリゼーションから、世界はもう、逃れられない。
 となれば、国家か民主主義か、どちらかを選ばなければならないのではないか?
 結局のところ、どちらも維持しようとして、中途半端な状況が続いていくような気もしますし、それはそれで、妥当な選択肢ではあるのかもしれません。


 フランスの社会学者、ジャン=ピエール・ルゴフさんは、こうおっしゃっています。

 私たちは数年前から「選択不可能な選択」に直面しています。すなわち「不況から脱出するために危険を承知で行う積極的な政策」「停滞を打破するための果敢な企て」です。ここではまずこの世界に適応することが求められます。誰もコントロールできない混沌とした世界ですが、それでも適応することが重要なのです。
 しかし、グローバリゼーションから締め出された社会階層の人たち、グローバリゼーションにおける敗者にとっては、こうした選択は取り得ないものです。彼らは、将来も変わらずコントロール不能な世界に適応することで、常に犠牲的立場を強いられるような話を支持できるはずがありません。ここに矛盾が発生するのです。一部の政治家は、国民に対してこのグローバル化された世界に適応しろと訴え続けているわけですが、彼ら政治家自身にはさほど問題ではありません。なぜなら、彼らは「開かれていること」「グローバル化すること」について十分な教育を受けた世界に生きているからです。
 しかし、これは何かに守られ、常に安心したいという欲求を感じている人も含めた社会のすべての階層には当てはまらないものです。たしかに、こうした市民を守り、安心させるということは国の政策における根本的な責務であったわけですし、今後もそうあり続けねばならないはずなのですが。
 EUがなぜこれほど障害にぶつかっているのでしょうか? それは、そもそも、その成立が「積極的な政策」「果敢な企て」と一致するものだったからなのです。他に方法はないからやらなくてはならないのだ、進めねばならないのだ、常に後ろから何かを追いかけなくてはならないのだ、休むことなく適応していく必要があるのだという強迫観念からなのです。目標や目的が明確でない時にどの方向に向かって進めばよいと言うのでしょうか? そこにあるのは、管理やコミュニケーションにおける積極的行動主義でしょう。「前進するのだ、適応しろ、変えろ!」と言い、重要なのはそこに参加することなのだというわけですが、自分たちがどこに向かおうとしているか見えていないのです。
 実は、それ以外の別の選択肢もあります。「もうここで止まろう」「以前の時代の方が良かったではないか」という考えに基づくものですね。これは神話であり、かつての国家のイメージへのノスタルジーとも言えるものですが、文字通り、過去の栄光に思いを馳せ、想像上の過去を基にしたものです。おそらく他の多くの国でも同じだと思いますが、フランスにおいては社会そのものと国民が数年前からこの「選択不可能な選択」にぶつかっているわけです。


 意識の高い人たち、世の中を動かしている人たちが、自分たちの手の届かないところで、「グローバル化」とかを進めているけれど、それは自分たちの仕事を奪い、少しずつ生活を苦しくしていっているだけで、得をしているのは「選ばれた人々」ばかりではないのか?
 変化に適応しろ、とは言うけれど、自分たちはどうすればよいのかよくわからないし、追い立てられるばかりで、明るい未来は想像できない。
 発展途上国では、グローバリゼーションで多くの人々の生活は豊かになっていく一方で、先進国では、中流階級の没落が止まらなくなっています。

 民主主義というのは、長年、「最大多数の最大幸福」にもっとも近い政治形態だと思われてきたけれど、本当にそれは正しいのか?
 このままじり貧になっていくのが目に見えているのなら、リセットボタンを押してしまいたい……
 
 そんな人々の叫びに、民主主義は解決策を見いだせるのだろうか?


 
日本衆愚社会(小学館新書)

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