- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/02/23
- メディア: 単行本
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これで1000円かよ!と思わず呟いてしまうくらいの薄い本なのですが、最近の僕は、むしろ町田康さんの『告白』とかの圧倒的なボリュームを目にしただけで引きまくってしまうくらい「ページをこなす力」が落ちているので、このくらいすぐ読み終わってしまう本のほうが好ましく思えたりもするのです。どんどん、めんどくさいことに向かっていくエネルギーが少なくなっている気がします。
まあ、それはさておき、この「沖で待つ」は、絲山秋子さんの芥川賞受賞作なんですが、僕にとっては身近な場所である博多の街の話なども出てきて、けっこう楽しく読めました。
うーん、でもなんというか、感想書きにくい物語ではあるなあ。仕事仲間である同期の男女の、恋愛ではない限りなく親密な関係。基本的には男も女も同じ仕事をしている医者という仕事をしていた僕にとっては、確かにこういう関係ってあるよなあ、とか思い当たるふしもありますし。
とにかく忙しくて、「誰かが倒れたら、みんなそのしわ寄せで倒れる…」なんていう状態で病棟で仕事をしていると「男と女の友情は成り立つのか?」なんていう以前に「運命共同体としての感情」が芽生えてくるのですよね。僕はもちろん体験したことはないのですが、「軍隊」というのはこういうものなのかもしれない、というような。
ただ、他の人はどうだかわからないのですけど、僕にとっては、同僚の男よりも女性のほうが「弱みを見せやすい相手」ではあったような気がします。男同士っていいよなあ!とか言ってはみるけれど、実際に男がたくさん集まってできることって、酒飲むくらいしかないんですよねほんと。いや、飲めばそれはそれで楽しいんだけどさ。それに、同性の同級生だとどうしても「負けられない」という意識みたいなのってあるし。
以下ネタバレです。
ところで、この「沖で待つ」って、淡々とした物語みたいで、最後にちょっとした「仕掛け」があるのです。というか、あの「観察日記」の話って、この物語に必要なエピソードだったのだろうか?及川さんも(というか、及川さんのほうが?)病んでいる、というのは、「人間というものの現実」を描くのには必要なのかもしれないけど、なんだか、全体の流れのなかで、ものすごく浮いているエピソードのように思えたのです。まあ、ハードディスクをわざわざ傷つけに行くという行為そのものが、かなり病んでいるとも言えるし、そもそも、同僚にそんなことを頼んでわざわざ合鍵作ることも病んでるよなあそういえば。太っちゃんは、本当は夜這いしてほしかったのではないか、とかも考えてみたり。いや、なんのかんの言っても「恋愛なんてありえない関係」というのは、ある意味「恋愛的」なのではないかなあ、とかさ。
ああ、なんだかすべてが歪んでる。
ところで、「沖で待つ」っていうタイトルを耳にするたびに、あの沖雅也さんの事件で話題になった「涅槃で待つ」を思い出してしまうのは、僕だけでしょうか……