琥珀色の戯言

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『こころ』は本当に名作か ☆☆☆☆


『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

『こころ』は本当に名作か―正直者の名作案内 (新潮新書)

出版社/著者からの内容紹介
読むべきは、長篇か、短篇か?
源氏物語』か、『金閣寺』か?
三国志』か『水滸伝』か?
ドストエフスキーシェイクスピアか?
川端康成芥川龍之介か?
文学に普遍的な基準はありません。面白いと思うかどうかは、読者の年齢や経験、趣味嗜好に大きく左右されます。「もてない男」に恋愛小説が、そのケのない人に同性愛的文学がわからなくても、仕方のないことです。世評高い漱石の『こころ』やドストエフスキーは、本当に面白いのでしょうか? 世界の古典を「大体読み終えた」著者が、ダメならダメと判定を下す、世界一正直な名作案内。

うーむ、この「『こころ』は本当に名作か」というタイトルは、ブログ的にいえば、まさに「釣りタイトル」って感じです。
本文中で『こころ』あるいは漱石に触れてあるところは、10ページくらいだし。

 近代になって、国民国家というものができて国民が均一化したという有力な議論があるけれども、あれは、生活の細部が次第に同じになっていった、たとえばみなが「朝日新聞」を読むとか、NHKのニュースを観るとか、そういったことであって、そもそも藝術として小説を読む、などということは、日本人でいれば十万人くらいの人しかやっていないことだし、その十万人の中でも、さまざまな人がいる。老若男女、という違いもあるし、もてる男女ももてない男女というのがある。たとえば藝者遊びをしたことのない人に、川端康成の『雪国』がどれほど共感をもって読めるか、結婚したことのない人に、結婚生活の不幸を描いたトルストイの小説がどれほど分かるか、もてない男に、二人の女に惚れられて悩む男の小説が共感できるか、といった具合に、ある文学作品をいいと思うか、共感するか、ということは、読者の側の年齢や経験、素質、趣味嗜好といったものに、かなり大きく左右される、と私は思っている。もちろん、たとえば高校生の私が、川端の『眠れる美女』という、老人の性を描いた小説に感動したように、思いがけないところで、かちりと嵌まる場合もある。
 だからといって、文学作品のよしあしについて議論するのが無駄だとは言わないが、結局それは、学問上の論争ではないし、好き嫌いの問題に帰着せざるをえないのである。あるいはむろん、優れているのは認めるけれども、好きにはならないということだってあろう。

トルストイについて)

 しかし、では『復活』が名作かというと、私は読んでまったく白々しいものしか感じなかった。なぜなら、今の日本で、女中を置いている家などというのはほとんどないし、ましてや息子と女中のセックスなどという問題は現実的ではないからだ。ただ、今の日本でも、好きでもない女をセックスの相手として確保しているような男なら、少しは感じるところがあるかもしれないが、少なくとも私には関係ない話だ。

小谷野さんは、「いまの時代に生きているわたしたち」の目からみて、あまりにも違和感がある設定の物語に対しては、いくらそれが「歴史的名作」とされていても異議を唱えておられますし、また、もてない男に「恋愛小説」が理解できるのか?と、「個々の読者の個人的な状況」にまである程度踏み込んでコメントされています。これはたしかに「正直」です。
僕も「非モテ」なので、実は「恋愛小説」ってすごく「苦手」なんですよ。「お前らがちちくりあっていることを長々と書いてるけど、それって、人類にとって何の意味があるんだ?」とか、つい考えてしまう。どうせ自分に手が届かないものならば、「美しい恋愛」よりも「歴史上の英雄の物語」のほうがはるかに面白い。

ところが、小谷野さんは「小説の価値なんて、受け手によって変わってくるものだから、それをランク付けすることに意味なんてあるのか?」と仰っている一方で、この新書のなかでは、しっかりと「ランク」をつけておられるのです。
読む側としては、「こういうふうに読む人もいるのか」という参考にはできても、「小谷野さんがそう言っているから、『こころ』は駄作だ」なんて受け売りをする必要はないでしょう。「こういう人もいるのか」と参考にすればいいだけの話です。

僕はモテませんが、『こころ』はけっこう好きで何年かに1回は読み返しますし、『ノルウェイの森』も大好きです。もっとも、僕がこれらの作品を初めて読んだのは中学生〜高校生くらいで、「まだ僕だってこれからモテる可能性があるんじゃないか」という夢がみられていた時代だったから、なのかもしれません。
そして、「モテないから恋愛ものはわからない」はずの小谷野さんが「日本の古典の代表」として『源氏物語』を「日本人必読の名作」として挙げておられるのも、なんだかとても面白いな、と感じました。
あのくらいのスケールになってしまうと、ジェラシーも感じない、ということなのでしょうか。
「矛盾している」のだけれど、その気持ちは、なんとなくわかるような気もします。

「歴史的名作」が面白くない、と感じていることにコンプレックスを抱いている人は、ぜひ一度読んでみることをオススメします。
個人的には、「本を読むときくらい、『いつもの自分』を捨ててもいいんじゃないか」とは思うのですけどね。

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