http://www.geocities.jp/hasep1997/_6/09/21.htm
ある講演で
「個人化が進む社会では、自伝をつくることが礼賛される」
として、その一例として、ブログが流行していることを挙げられた。
そうで、それに対して↑の筆者は「ブログは自伝なのだろうか?」と疑問を呈されています。
もちろん、ブログ(あるいは個人サイト)の中には、「自伝であることを明らかに志向していないもの」が多くありますので、それらは除いて、「自分の日常を書いているブログ」というのは、果たして「自伝」と考えてよいものなのでしょうか?
「何のためにブログや日記を書くのか?」って、言葉にするのは、けっこう難しいことなのです。
僕自身は、今までに何度か、こうしてブログや日記に書いているのは「書きつづけられる遺書」なのだと言明していますが、それは今も基本的には変わりません。僕の場合は、かなり「自伝的」なものであるという意識は持っています。
人間には、「自分の生存証明をしたい」という欲求がもともとあるのですが、少なくとも人類の歴史の大部分においては、「歴史書に自分が生きてきた証を残せる人」というのは、ごく一部の「英雄」とか「偉人」だけでした。残りの人々は、自分の無力を受け入れて日常のなかに朽ちていくことを受け入れ、あるいは、子孫を残すというかたちで直接的に「生存証明をしてきた」わけです。
ところが、このインターネットというツールは、自分の力で「世界中に発信」することを可能にしたのです。そう、「普通の人」も、ネット上で自分自身を「歴史に残す」ことが可能になったのです。実際に、今の形でのインターネットそのものやネット上の情報があとどのくらい続くかなんていうのは、予想がつかないのですけど。
人間というのは誰でもいずれは失われてしまうという宿命を持っていますから、やはり「何か」をこの世界に残したいという気持ちって、誰にでもあると思うのです。でも、今までの世の中では、「普通の人」にできることは、日記を書くか、写真を残すくらいしかありませんでした。「個人化」云々よりも「自分の一部を世界に残しておきたい人は今までもたくさんいたのだけれど、現在になってようやくそのための道具ができた」というだけのことなのかもしれません。
だから、ブログというのは「自伝」というか、生きているうちは「自分のプロフィール」であり、死んでしまえば「墓碑銘」になるものではないかな、と僕は感じています。
僕はたぶん、自分が消えちゃうのが怖いから、こうしていろんなことを書き続けているのです。どんなに人気ブログになったとしても、歴史というものを長いスパンで視れば、早いか遅いかの違いだけでいずれは消えてしまうものであることにかわりはないのですが。