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戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、日本軍の最重要拠点である硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立つ。アメリカ留学の経験を持つ栗林は、無意味な精神論が幅を利かせていた軍の体質を改め、合理的な体制を整えていく。上官の理不尽な体罰に苦しめられ絶望を感じていた西郷も、栗林の登場にかすかな希望を抱き始める。栗林の進歩的な言動に古参将校たちが反発を強める一方、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技金メダリストの“バロン西”こと西竹一中佐のような理解者も増えていった。そんな中、圧倒的な戦力のアメリカ軍を迎え撃つため、栗林は島中を張り巡らせた地下要塞の構築を進めていく…。 (by allcinema ONLINE)
観終えての感想です。この映画、『ユナイテッド93』と同じように、観客のほとんどは、この激戦の「結果」を知っています。でも、2時間21分、目が離せないのです。確かにいい作品だと思います。その一方で、予告編を観たときに僕が抱いた「これって、普通の日本産の『戦争映画』じゃないの?」という印象は、そんなに間違っていなかったかな、とも。ただ、これがクリント・イーストウッドの作品として、アメリカをはじめとする全世界で上映されるということには、非常に大きな意味があるとは思うのですけど。イーストウッドは、日本兵にアメリカ兵が殺される場面(というか、アメリカ兵そのものがこの映画にはあまり出てきません)はあまり描写していませんが、アメリカ兵たちが戦場で行った、「非人道的な行為」を避けずに描写していますし。あと、この作品のいちばん凄いところは、「日本人には描けなかった、日本の戦争」を描いているということよりも、「戦場という理不尽極まりない場所を容赦なく描いてみせた」という「臨場感」だと僕は感じました。あんなふうに敵軍の爆撃の音が四六時中響いていては、夜も眠れずに精神的にボロボロになっていくだろうなあ、とか、もうすぐ敵軍が上陸してくる、という「決戦前」の時間のやるせなさがしみじみと伝わってくるところとか。この映画では、アメリカ軍は「なかなか攻めてこない」のですが、「いつ攻めてくるかわからない」という時間もまた、「戦争」のひとつなんですよね。ああいうのって、本当に怖いし辛いと思います。
それにしても、『父親たちの星条旗』では、戦時国債の宣伝のために利用された「英雄」たちが描かれていて、あの戦争はアメリカにとってもけっして「楽勝」ではなかったというのをあらためて感じたのですが、この『硫黄島からの手紙』での日本軍が置かれた状況をみると、やっぱり、「これは日本には勝ち目のない戦争だよな」と思わざるをえません。「軍費のために、国民に国債を買ってもらう国」と「パンを焼く機械まで国民から問答無用で徴発しなければならなかった国」の戦争なんて、どちらが勝つかは目に見えているわけで。でも、イーストウッドはこの映画をあえて「感動のドラマ」にはしなかったし、「戦争反対」と誰かに叫ばせることもありませんでした。積極的に戦おうとした人も、そうでもない人も、ひたすら死んでいく、それだけのことです。
僕はこの映画を見ながら、日本という国、そして日本人である僕は、彼らの「犠牲」に少しでも応えられているだろうか?と考えずにはいられませんでした。そして、こんなふうに食べるものに困ることもなく、映画を観たりネットをやったりできる時代に生まれてきたことは、本当に幸せなのだ、とも感じました。それは、けっして「当たり前のこと」なんかじゃない。
そうそう、二宮和也さんの演技は、ちょっと現代の若者風すぎる気はしましたが、少なくとも「こんなヤツもいたかもな」とは思いましたから、そんなに悪くはなかったと思います。あと、驚いたのが、花子ってどこかで観たことがあるなあ、という気がしていたのですが、裕木奈江さんだったんですね。こんな大作でさりげなく復活していたなんて驚きました。どういう経緯でここにキャスティングされたのだろうか。ただ、二宮和也の妻役としては、ちょっと年齢的に厳しくないか?
以下ネタバレなのでご注意ください。
しかし、この映画を観ていると、栗林中将が有能な軍人だったのかどうかって、なんとも言えないような気がします。少なくとも作品中では、彼が行った「地下要塞作戦」というのが本当に有効だったのかどうかはよくわかりませんでした。純粋な「戦果」という意味では、海岸線での全力防衛のほうが上だったのではないかとすら思えますし。ただ、栗林中将にとっての「唯一の勝てる可能性」というのは、時間を稼いで本土からの援軍・連合艦隊とアメリカ軍を挟撃するという作戦だったのでしょうから、「時間をなるべく稼ぐ」というのは当然の戦略だったのかもしれません。結果的には、中将が部下に「その場を死守せよ」と命じたように、中将は大本営から見捨てられてしまうのですけど。
そして、この映画ではひたすら美化されている栗林中将なのですが、ちょっと客観的にみると、「アメリカかぶれで、責任者なのに机で絵を描いてばかりで現実逃避をして部下には煙たがられ、一兵卒のことにまであれこれ口を出すめんどくさい司令官」にも見えるのです。「彼の素晴らしい作戦がうまく機能しなかった」と言いたいのかもしれませんが、実際のところこの映画での中将は部下の人身掌握に失敗していますから、それだけで「名将」とは言い難いし、やっていることって家族に手紙を書くことと、最後の突撃シーンでの「ラストサムライ」だけ。いやほんと、最後は「結局、『ラストサムライ』かよ!」と言いたくなってしまったものなあ。渡辺謙さんの演技って、『ラストサムライ』も『硫黄島』もそんなに変わってないし。まあ、「滅びの美学キャラ」という共通点があるからなのかもしれませんが。あと、バロン西がアメリカの傷病兵を助けるシーンには正直引いた。勝ってるときならともかく、あのシチュエーションで敵の手当てを優先するような指揮官はいくらなんでも嘘臭いよ。しかも、みんなもう明日をも知れない状況で、アメリカ兵のお母さんの手紙を朗読。いや、人間としては素晴らしいのかもしれないけど、最前線の指揮官が、兵士たちに「敵の兵士のお母さんからの手紙も一緒なんだ……」なんて、戦意を喪失しまくるようなこと教えるなんて、どう考えてもありえねえ。
もちろん、イーストウッドは「ありえねえ」ことをわかっていて、あえてやったのだと思うけれども。観客的には「ひどい!」と感じる人が多いのかもしれないアメリカ兵の「捕虜殺し」のほうが、「まあ、あの状況なら、そのほうが当然なんだろうな」と妙に納得してしまいました。そもそも2人だけで2人の捕虜を監視するなんて、すごく怖いと思うしね。
ところで、この作品の感想をいろいろ読んでみたのですけど「思ったほど泣けなかった」というのが多かったのには驚きました。最近の「泣けるかどうかで映画を評価する傾向」は、なんだかもうどうしようもない。この『硫黄島からの手紙』のいちばん凄いところって、「戦争とか戦場というのは、根本的に感動を生み出せるような場所じゃないんだ」ということを「エンターテインメント」に転ばずにキッチリと描いているということなんだと僕は思っていますし、その点においては、「今までの日本人には作れなかった戦争映画」であることはまちがいないのです。