琥珀色の戯言

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ブタがいた教室 ☆☆☆☆


ブタがいた教室 (通常版) [DVD]

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あらすじ: 6年2組を担任することになった新米教師の星(妻夫木聡)は、食べることを前提として子ブタを飼うことをクラスの生徒たちに提案する。校長先生(原田美枝子)にも相談し、卒業までの1年間26人の生徒が子ブタの面倒を交代でみることになる。最初は戸惑っていた子どもたちも、“Pちゃん”と名付けた子ブタを次第にかわいがるようになり……。(シネマトゥデイ

「食べるのか? 食べないのか?」
それが気になって借りてきました。
この映画、もともと「ドキュメンタリーとしてテレビ放映され話題を呼んだ、大阪の小学校の新任教師による実践教育を基に映画化したもの」だそうで、109分という上映時間は、ちょっと冗長な感じ。
ただ、そういう「子どもたちとPちゃんとのふれあい」の場面を丁寧に描いているからこそ、僕も「もし自分がこの小学校の生徒だったらどうするだろう?」という感情移入がしやすかったのも事実です。
子どもたちが、本当に楽しそうなんですよね、逆に「小学校生活なんて、こんなに楽しいものじゃないだろ」とか思ってしまうくらいに。

説教臭い作品だったら嫌だな、と考えていたのですが、この映画のなかで、妻夫木聡演じる星先生(妻夫木さんは先生役がすごくよく似合います)と26人の子どもたちは、「卒業したあとPちゃんをどうするのか?」について、ひたすら悩み続けます。観ている僕のほうが、「そろそろ決めないとダメなんじゃないの?」とか「自分がこの決断を迫られる立場じゃなくてよかったなあ」と思うくらいに。

よく、「人間は他の生き物の命をもらって生きているんだ」とか「自分で育てた家畜を殺して食べる経験をさせるべきだ」なんて話を耳にしますが、僕が小学生だったら、やっぱり、「自分たちが育てて、仲良くしてきた動物」を食べるのはイヤだと思う。
正直、30代半ばを越えた今だって、イヤです。
「ふだん、誰かが同じように育ててきた動物を食べているんだから、自分で育てた動物を食べられないのは差別だ」と言う人もいるけれど、そこに「情が移る」のが人間じゃないか、とも思うしね。
この映画のなかでの子どもたちは、すごく率直でした。
「他の動物の命をもらって生きているっていうのはわかるけど、だからって、私たちがここでPちゃんを食べなくても飢え死にするわけじゃないし、食べたければ、他のブタを食べればいいんじゃない?」

僕は子どものころ、肉が(魚も)すごく苦手で、「焼き鳥にされるのは自然死した悪い鳥」だと思っていました。
いまの世の中で「肉がつくられるまでのプロセスが隠されていること」には、「良識ある大人」として「それだから命のありがたみがわからないんだ!」とか言ってみたい一方で、「人間って、やっぱり動物を殺して食べるということに後ろめたさを感じてしまう生き物だから、そういうふうに『隠せる』ほど豊かになるのは、けっして悪いことじゃない」という気もするんですよね。
人間というのは、「知りたくないことを知らずにすませる」ために、いろんなものを「進歩」させてきたのかもしれません。
もちろん、その陰で、それを生業にしている人たちがいて、彼らに対する偏見がある、という現実もあるのですが……

ネタバレしてしまうと、全然面白くなくなる作品ですので、彼らの「結論」は書きませんが、なんというか、「それで本当にいいのか?」という気持ちと、「そこまでやるなら、もっとキッチリ『責任』を果たすべきなのでは?」というような、ものすごく複雑な気分になりました。

でも、「飼っているブタを食べるかどうか?」で悩める時代に生まれた僕たちは、やっぱり恵まれているのかもしれません。
そして、「そんなことを『教育』しなければならない」ということも。

歴史には、大飢饉の際に、「食べるものがなくて、2つの家族がお互いの赤ん坊を取り替えて食べた」というような話が残っています。
「かわいそう」とかいう「感傷」が通用しない時代もあったし、本当に食べるものがなければ、そういうことができてしまうのもまた「人間」なのです。
僕は、こういう「いのちの教育」が本当に子どもたちにとってプラスになるのか、ちょっと疑問でもあるんですよね。
せっかく、「そういうことを感じなくてもすむ時代」に生まれてきたのだから、あえて、苦しませる必要があるのか?
「食べられるために生きているのだから、食べてあげるべきだ」「かわいそうだけど、食べないと自分たちも生きていけないから」
こんなふうに考えられるようになるのは、人間としての「成長」だと素直に考えていいのだろうか?

小学校6年生の話なので、同じくらいの年齢の子どもには、ぜひ観てもらいたい作品です。

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