琥珀色の戯言

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朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 ☆☆☆☆☆


朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

出版社/著者からの内容紹介
私は大量の放射線が人間にもたらすものについて、わかったつもりになっていた。
そのわかったつもりを打ち砕かれたのが、本書によってだった。
                     柳田邦男


1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者の命を救うべく、
83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった──。
「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生することなく次第に朽ちていく体。
最新医学を駆使し、懸命に前例のない治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問いかける、渾身のドキュメント。
(『東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録』改題)


id:hibigenさんが紹介されていた本。
東海村の臨界事故で被曝した、作業員・大内久さん。
東海村の事故が起こったのは1999年ですから、この本が書かれたのは、もちろん、福島原発の事故が起こるずっと前のことです。
僕も、こんな痛ましい事故があったことを、すっかり忘れてしまっていました。
「ニュース」としてみると「2名の犠牲者」だけれど、あの事故のあと、こんな凄まじい「たったひとつの生命をめぐる闘い」が繰り広げられていたことに、僕は圧倒されてしまいました。


この本では、「会社の責任追及」を声高に叫ぶわけでもなく、「患者・家族・医療者の感動的なエピソード」を過剰に押し付けてくるわけでもありません。
「被曝してしまった、ごく普通の成人男性であり、夫であり、息子であり、父親であった男性」ノ病状経過と、彼とともに病気と闘った家族・医療関係者の行動が、静かに時系列で語られていくだけです。


被曝したあとしばらくは意識がしっかりしていて、「集中治療室に入院しているのが不思議に見えた」という大石さんに生じた被曝後の体の変化には、さまざまな病気を診て、年相応に経験も積んできたはずの僕もただ圧倒されるばかりでした。

 10月5日、被曝から6日目。無菌治療部の平井久丸のもとに、転院の翌日に採取した大内の骨髄細胞の顕微鏡写真が届けられた。
 そのなかの一枚を見た平井は目を疑った。
 写真には顕微鏡で拡大した骨髄細胞の染色体が写っているはずだった。しかし、写っていたのは、ばらばらに散らばった黒い物質だった。平井の見慣れた人間の染色体とはまったく様子が違っていた。
 染色体はすべての遺伝情報が集められた、いわば生命の設計図である。通常は23組の染色体がある。1番から22番と女性のX、男性のYとそれぞれ番号が決まっており、順番に並べることができる。しかし、大内の染色体は、どれが何番の染色体なのか、まったくわからず、並べることもできなかった。断ち切られ、別の染色体とくっついているものもあった。
 染色体がばらばらに破壊されたということは、今後新しい細胞が作られないということを意味していた。
 被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまったのだった。

 この「破壊された染色体」の写真が、この本には掲載されています。
 僕は、この写真をみた瞬間、「ああ、これはもうどうしようもない……」と感じずにはいられませんでした。
 いちばん多量の放射線を浴びた「右手」の被爆8日目から26日目の変化をとらえた写真にも、ただただ圧倒されるばかり。
 これは、本当に「生きている人間の手」なのだろうか……


 そんな厳しい状況のなか、大内さんの治療が行われていきます。
「いままで誰も経験したことのない病気」、それだけに、やりがいと困惑を担当医たちは抱え続けます。


 この本を読んで、「被ばくすることのおそろしさ」と同時に、僕はやはり「医療とは何なのか?」を考えずにはいられませんでした。


 率直に言うと、僕は骨髄移植が成功しても全身状態が改善せず、粘膜障害や皮膚障害がひどくなった時期(被曝30日目くらい)を読んでいて、「もう、この患者さんを助けるのは、難しいだろうな」と思いました。むしろ、「その状態から50日間も生命を維持したこと」が信じられなかったのです。


 そして、一度心臓が停止してしまった場面では、「蘇生しても、本人もつらいだけなのでは……」と考えてしまいました。
実際は、それからしばらく大内さんは「生き続ける」ことができたのですが、それは、本当に「よかった」のだろうか?


もちろん、「患者さんを助けたい」「家族の期待にこたえたい」という医療者としての良心にもとづく頑張りではあるのです。
でも、「もしこの患者さんが、『過去に世界で誰も経験していない、珍しい症例』でなければ、ここまで徹底的な治療はやらなかっただろうな……」とも思います。
同じひとつの「いのち」で、「救命が難しい状態」でも、高齢の末期がんの患者さんであれば、ここまでの経済的・人的なコストをかけて、「延命」しなかったはずです。


大内さんが「俺はモルモットじゃない」と憤る場面が、一カ所だけ出てきます。
もちろん、大内さんはモルモットじゃない。
しかしながら、「少しでも救命・延命の可能性がありそうな、実験的な医療」が行われていたことは否定できないし、医学・医療の進歩のためには、そういう「挑戦」をどこかでやらなければならないのです。
それはたぶん、「人類全体のため」にはなるはず。
でも、大内さん自身にとって、良かったのかどうかは、本人にしかわからないでしょう。
大内さんの治療に携わっていた医者や看護師は、みんな選び抜かれた優秀なスタッフなのですが、彼らの医者としての「使命感」とひとりの人間としての「苦悩」もまた、このドキュメンタリーのなかで紹介されています。

大内さんを治療したチームの一員であった、研修医の山口先生の葛藤。

 山口は、自分のやっていることが実際にだれの幸せや喜びにつながっているのかが、わからなくなっていた。客観的に見ると生きながらえる見込みが非常に低い患者であることは、だれの目にも明らかだった。助かる見込みが非常に低いという状況のなかで、日に日に患者の姿が見るも無惨な姿になっていく。その患者の治療に膨大な医薬品や血液などの医療資源が使われていく。しかし、そうしておこなった処置は患者に苦痛を与えているのだ。医療者はこの状況に、この治療に、どこまで関わっていくことが許されるのか、山口はつねに考えつづけていた。
 同時に、医療チームの多くのスタッフが同じようなことを思いながら、それをだれも口に出せないということも感じていた。もし大内に積極的な治療をおこなっていくことにたいして、医療チームのだれかが疑問をもち、それが他の人たちにも伝わってしまったら、自分たちは何のために、そしてだれのためにやっているんだろうという疑問が広がってしまう。その疑問は全体の士気に影響するだろう。
 山口はそれが少しこわかった。


ひとりの人間の命を奪うことの簡単さに比べて、それを救うのは、なんて難しいことなのだろう?


災害のあまりの大きさに感覚が麻痺してしまいがちだけれど、今回の福島原発の事故でも、たくさんの人たちが多量の放射線を浴びています。現場で作業していた(あるいは、今現在も作業中の)人たちに、放射線による障害がでてくる可能性は、十分考えられます。


大内さんが亡くなられた後、主治医の前川教授は記者会見でこう仰ったそうです。

原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。 責任ある立場の方々の猛省を促したい」

残念ながら、こんな事故が起こり、命が失われても、責任者たちは「猛省」しなかった。
社会全体も、「責任者」の罪は問うても、現場から「人命軽視」への苛立ちを訴えた前川教授の言葉に、真剣に耳を傾けようとはしなかった。


原発のこと、そして、医療のこと。
この「ひとつの命をめぐるドキュメンタリー」は、まさに、「いま、この時期にこそ、読まれるべき物語」なのかもしれません。
本当は「もっと前に読まれ、そして、役立てておくべき物語」であったのだとしても。


最後になってしまいましたが、つらい話や写真を、こうして社会に公開することを選んでくださった、大内さんのご家族に、謹んで敬意を表します。

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