- 作者: 北原みのり
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2012/04/27
- メディア: 単行本
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[要旨]
“ブス”をあざける男たち。佳苗は、そんな男たちを嘲笑うように利用した。「週刊朝日」で話題沸騰の著者、渾身のレポート。
[目次]
第1章 100日裁判スタート(やばい。私、振り回されてる;だまされた男たち ほか);第2章 佳苗が語る男たち(「名器」自慢に法廷内パニック!;本命の男たち ほか);第3章 佳苗の足跡をたずねて(初めての罪;母との葛藤 ほか);第4章 毒婦(判決;毒婦。)
[出版社商品紹介]
連続不審死などに関わったとして起訴された木嶋佳苗被告。マスコミは彼女を「毒婦」と呼んだ。裁判を通して実像に迫っていく。
事件の概要
2009年8月6日、埼玉県富士見市の月極駐車場内にあった車内において会社員大出嘉之さん(当時41歳・自分のブログではトーマシールド、愛称はトマちゃん)の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であったが、自殺にしては不審点が多かったことから警察の捜査が始まった。 その結果、大出嘉之さんは被疑者の住所不定・無職の木嶋佳苗(当時34歳)と交際していたことがわかり、捜査していくにつれて木嶋にはほかにも多数の愛人がおり、その愛人のうち5人が不審死を遂げていることがわかった。埼玉県警は木嶋が結婚を装った詐欺を行っていたと断定し、9月25日に木嶋を結婚詐欺の容疑で逮捕した。また、逮捕時に同居していた千葉県出身の40代男性から450万円を受け取っていた。
2010年(平成22年)1月までに木嶋佳苗は7度に及ぶ詐欺などの容疑で再逮捕されている。警察は詐欺と不審死の関連について慎重に捜査している。
2010年2月22日、木嶋は大出嘉之さんに対する殺人罪で起訴された。窃盗や詐欺罪などですでに起訴されており、あわせて6度目の起訴となる。10月29日、東京都青梅市の寺田隆夫さん(当時53歳)を自殺にみせかけて殺害したとして警視庁に再逮捕された。ただし寺田隆夫さんの遺体は当時は自殺と断定されて解剖されておらず、死因に関する資料が乏しい中での極めて異例の殺人罪の立件である。
各メディアで大きな話題となった「婚活サギ女」「平成の毒婦」木嶋佳苗被告の裁判の「女性による傍聴記」。
この本では、著者の北原みのりさんが、木嶋被告の100日間にわたる裁判員裁判を傍聴し、詳細にレポートしています。
読んでいて僕が感じたのは、著者の木嶋被告への「視点」でした。
こういう傍聴記って、被告人の感情の揺れみたいなものを中心に書かれることが多いのですが、この本では、木嶋被告の感情の揺れがよくわからないこともあるのか、木嶋被告の服装や法廷内での行動が、けっこう詳細に観察されています。
それにしても、この傍聴記を読んでいると、男として、言葉にしがたい哀しみみたいなものを感じずにはいられません。
佳苗は最初から「交際条件は経済的支援」と相当図太いことを言ってはいるが、文章がどこか謙虚”ふう”である。しかも「大出さんはハンサム」「素敵な方で驚きました」などと絶賛しつつ、セックスのことも同時に書いていく。
「嘉之さんは10年ほど彼女がいなかったと言っていましたが、女性に性欲は感じなかったのですか? 突然彼女ができても平気ですか」
そんな佳苗の挑発に、大出さんのテンションが上がっていくのが、手に取るように分かる。
「ぜひ泊まりに行きます! ムフー!」
「最初は合わなくても、だんだんよくなってくるから大丈夫ですよ。ムフフ」
「(相性の)確認のためにエッチするのもいいかも」
検事は大出さんのメールを読み上げる前に、
「大出さんはもう語る口を持っていません。残されたメールを大出さんの口だと思って、真剣に聞いて下さい」
と言った。当然のことと思う。それでも、佳苗からのセックスの提案に、ムフー! とユーモラスに返信する大出さんのメールをまじめに読み上げる検事に、そこは読み上げないでくれ、とお願いしたくなった。死してなお、佳苗に翻弄されるなんて!
お昼の休廷後、肩で切りそろえられた佳苗の顔の位置が、午前中と比べ明らかに上がり、きれいにカールされていた。
僕はこの場面、「これは死者からの告発の声なんだ!」と自分に言い聞かせつつも、失笑を禁じえませんでした。
ムフー!だって!!
でも、恋愛っていうのは、こういうバカバカしいやりとりが、つきものではあるんですよね。
命を落としたうえに、こうして「証拠」として私信が大勢の人に公開されるというのも、なんだかとても哀しい。
「それ、罠だから! 逃げてーー!」
思わずこう言いたくなるのですが、もう、大出さんの耳には届かない。
この裁判でのやりとり、読んでいると、不謹慎ながら、ついつい笑いたくなってしまうのです。
実際のところ、被害者たちと木嶋被告とのやりとりは、その死の直前まで、どんどんすごい額のお金をむしり取られているにもかかわらず、ほほえましく、そして楽しそうなのです。
これはたぶん、詐欺なのでしょう。
でも、「騙されたい人たちを、騙してあげて、その代価にお金をもらっている」ようにも思われるのです。
もちろん、殺したのだとしたら、それは重大な犯罪なのですけど。
著者によると、この事件が話題になるにつれ、木嶋被告に一目会いたい、という30代の女性が傍聴席に増えてきたそうです。
傍聴券を求めて並ぶ列に立ちながら、女性にはできるだけ話しかけてきた。
千葉県からやってきた30代の主婦は、「申し訳ないんですけど」と前置きをしながら、「被害者の男性に、同情ができないんです」と話した。
「男性の結婚観って、古いですよね。介護とか、料理とか、尽くすとか、そういう言葉に易々とひっかかってしまう。自分の世話をしてくれる女性を求めているだけって気がするんです。佳苗はそういう男性の勘違いを、利用したんだと思う」
都内から通ってきている30代の会社員は、ハッキリと、「佳苗に憧れている」と言った。
「堂々としているから。私は、男が求める女を演じて、ついつい媚びたり、笑ったりしちゃう。そういう自分が嫌なんです。でも、佳苗って、男に媚びる演技はするけど、実は全然媚びていない。ドライですよね」
佳苗のドライさと、その結婚観は、女にとっては、奇異に映るものではないのかもしれない。実際に婚活サイトを見ても、女性が手料理自慢をしたり、自らを癒し系とアピールしたりなど、分かりやすい女らしさを売りにし、高所得男性を求めるのが、”一般的”である。
対して男は、「白馬の王子様、ここにいるよ」という50代や、「手料理、食べたい」とかいう30代フリーターが、自分より10も20も若い女性を求めるなど、現実離れした状況が横行している。まるで全ての男性がカモであるような気すらしてくるほどだ。
実際、「すべての男性は、カモになりうる」のではないか、と僕は考えてしまうのです。
僕だって、40歳になって結婚もしておらず、老後のことが不安になってきたら、木嶋被告のような女性に惹かれてしまう可能性はあったのではないだろうか。
ただし、男の立場からすれば、女の側だって、「ハンサムで親と同居しなくてよくて、年収800万円以上」なんて条件を平然と口にする人もいるんですよね。
いないよそんなの、と。
この本のなかでは、木嶋被告の容姿について、何度も言及されます。
男は佳苗が不美人故にこの事件に関心を持たないが、女は佳苗が不美人だからこそ、関心を持つのかもしれない。
この社会に生きていれば、不美人であることの不遇を、女は痛いほど感じている。女は男のようにブスを笑えない。自分がブスだ、と自虐はしても、他人のブスは笑わない。それは天につばするようなものだから。そんな社会で、佳苗は、軽々と”ブス”を超えたように見えるのかもしれない。容姿を自虐することなく、卑屈になることもなく、常に堂々と振る舞う佳苗。不美人を笑う男たちを嘲笑うように利用したのは、不美人の佳苗だ。そこに女は、佳苗の新しさをみる。
彼女たちの話を聞くにつれ感じるのは、これが「女の事件」だ、ということ。誰もが男への違和感を隠さず、佳苗への思いを口にした。佳苗の事件は、女たちの、”何か”を開いてしまったのかもしれない。この国の男と女のあり方のようなもの。そして、私たちが普段、努めて蓋をしようとしている、暗い苛立ちのようなものを。
ああ、大きな声では言えないけれど、この事件、男同士の会話ではほとんど話題になることはなくて、話題になるときも、「なんであんなブサイクな女に引っかかっちゃったのかねえ。よりによってさ」という感じでした。
いや、異性の容姿のことって、たぶん、女同士でも、やっぱり話題にはなると思うんですよ。
「男だけの罪」ではないはず。
それにしても、こうして木嶋被告の容姿について、堂々と「不美人」と書けるのも、著者が女性だからなのだろうなあ。
僕はこの本を読みながら、木嶋被告の言動に、ひたすら圧倒されるばかりでした。
傍聴席の空気が、変わった。誰もが思わず、ぐいと身を乗り出した。佳苗はリズムをつかんできた、という感じで、セックスについてよどみなく語り始めた。
渋谷で声をかけてきた男からは、20人弱の男を紹介された。一方で佳苗は池袋のデートクラブにも登録をする。そこでのセックスは1回3万〜5万円で”格安”だったが、登録した理由は、
「(地位の高い)男性がみな褒めて下さるので、一般の男性も同じように感じるのかなぁ、と試してみたかったのと、1回に10万円もらうセックスは、やはり準備も大変でしたので、気軽にお付き合いができればいいな、と思いました」
「男性たちには褒められました。具体的には、テクニックというよりは、本来持っている機能が、普通の女性より高いということで、褒めて下さる男性が多かったです」
法廷がどよめいた。検事の1人が口をゆがめているのが見えた。冒頭で、清楚系でいくのかな、なんて思っていた私は、何て甘かったのだろう。
こりゃどよめきますよね、法廷も。
「幽霊が証言台に立つ」というのと同じくらいのインパクトがあったのではないでしょうか。
僕はこのくだりを読んで、「うーむ、この人がやった(とされている)ことや、言動について、社会がどうこう、というような拡大解釈するのが正しいのだろうか?」と考えずにはいられませんでした。
この人は、「突然変異のモンスター」ではないのか、いや、そうであってくれないか。
それとも、「こういう女性は、少なからず存在していて、僕が知らないだけ、あるいは気づかないだけ」なのか?
いやほんと、読めば読むほど「わからない」のですよこの木嶋被告が求めていたものが……
そもそも、被害者たちを手にかける必要があったのかどうか。
この本のなかで、僕が「木嶋被告が女性であることの意味」を考えずにはいられない記述がありました。
もし、これが男女逆だったら? 考えても仕方ない前提が、何度も頭に浮かぶ。
初対面の男とホテルに行く女性や、男の家にすぐあがる女性や、婚活サイトで男を探す女に、世間は”ピュア”と言うだろうか。ラブホテルで睡眠薬を飲まされた女を”純情”と言うだろうか。「被害者にも落ち度があった」という聞き慣れた声がもっと飛び交うんじゃないか。女と男の非対称性に改めて気づかされる。私は佳苗に、いつも何か、気づかされる。
これは「特別な事件」なようで、「普遍的な要素」をたくさん持っている事件なのかもしれません。
被害者たち、いや、男たちは、自分が男であり、相手が女であるということに、常に、油断している。
この事件の被害者にも、木嶋被告とホテルに行った際、いきなり意識不明になることが何度か続いても、木嶋被告との関係を続けていた人もいます。
何かあっても、女が男を殺すことはないだろう、男だから、知らないうちに望まぬ妊娠をしてしまうこともないだろう……
これは、「女による、女の事件の傍聴記」なのかもしれません。
でも、だからこそ、男にとっても意味があると思うんですよ。
「知らないほうが幸せな世界」なのだとしても。