
2023年にインディーゲームクリエイターのKOTAKE CREATEが個人制作でリリースし、世界的ブームを巻き起こしたゲーム「8番出口」を、二宮和也主演で実写映画化。
蛍光灯が灯る無機質な白い地下通路を、ひとりの男が静かに歩いていく。いつまで経っても出口にたどり着くことができず、何度もすれ違うスーツ姿の男に違和感を覚え、自分が同じ通路を繰り返し歩いていることに気づく。そして男は、壁に掲示された奇妙な「ご案内」を見つける。「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」「8番出口から、外に出ること」。男は突如として迷い込んだ無限回廊から抜け出すべく、8番出口を求めて異変を探すが……。
2025年映画館での鑑賞13作目。平日の夜、サービスデーということもあって、観客が50人くらいいました。
少し前に映画館で予告編を観たときには、Switchで遊ぶと1時間くらいで(いちおう)クリアできるボリューム+ストーリー性が無いのが特徴のゲームを、どうやって2時間の映画にするんだろう?という興味はわいたものの、「B級ホラーみたいな映画になるんだろうな、まあ、配信されたら観てみるかな」という感じでした。
上映時間が95分と今の僕には嬉しいコンパクトサイズということもあり、「まあ、ブログのネタにはなるかな」と観に行ったのです。
観はじめて思い出したのが、「僕はSwitchの『8番出口』を、かなり画面酔いで気持ち悪くなりながらプレイしていた」ということだったんですよね。
もともと画面酔いしやすいタイプで、子どもと『マインクラフト』の2人プレイすらできないくらいです。
映画でも「手持ちカメラで撮影された作品」はなるべく画面を注視しないように気をつけながら、ウエッ、となっているのですが(近年では『カメラを止めるな!』は辛かった……)、この映画『8番出口』は画面の再現度がけっこう高いだけに、やっぱり酔ってしまいました。
しかもこの映画、冒頭から、地下鉄でのエピソードに無機質で微妙に揺れて画面酔いする地下通路、毎回やってくる夢に出そうなおじさん(河内大和さんは「好演」というか「怪演」というか……)、主人公の追い詰められた状況に喘息発作……
怖い、というより、不快、なんですよ。
僕も喘息の発作が出そうだった。
正直、最初の1時間くらいは「早く終わってくれこの苦行!」と思っていたのです。
ただ、『8番出口』に閉じ込められた人を描く「世界の表現」としては、正しいと言えば正しいし、地下通路で不条理な出来事が起きまくるのをニヤニヤしながら楽しむカジュアルゲームが、どうしてこうなった、とボヤキたくもなったのです。
うーむ。ネタバレは極力避けますが、あのシンプルで不条理なルールと世界観のゲームを、こんな、よく言えば「テーマ性がある」、悪く言えば「説教くさい」映画にしてしまうのか。
ほとんど思いつきで観に行ったので、エンドクレジットで「監督 川村元気」というのを見て、「ああ……」と合点がいったのです。
あの、人生とか命とか幸福とかを「コンテンツ」にするのが得意な人か。
いや、よくあんなシンプルなびっくり箱みたいなゲームを、95分の長さにして、映画『ツリー・オブ・ライフ』みたいなもったいぶった作品にしたなあ、と感心はしましたし、この映画をみて、ちょっとポジティブな気分というか、行動や考え方が変わる人もいると思うんですよ。
その一方で、なんか都合の良いところばっかり切り取ってるなあ、「おじさん」には、おじさんなりの事情や理由だってあるだろうに、とか考えてもしまうのです。
あのシンプルでカジュアルなゲームに、ここまで「肉付け」したのは、凄いのだけれど、ゲームの『8番出口』は、「意味」がないからこそ楽しかったのに、なんか余計なことされたなあ、という気分でもあります。
『8番出口』を映画化したというよりは、監督や製作側が言いたいことを大勢に届く映画にするために、ゲームの『8番出口』の世界が利用されてしまった。
一度この映画を観てしまうと、ゲームで起こるあれこれにも「意味」とか「暗喩」みたいなものを考えるようになってしまいそう。
まあ、画面酔いのこともあるので、僕はもう『8番出口』を積極的にプレイすることはないと思いますが。
「間違い探し」をもっと観客にもさせてほしかったな、という気もしたのですが、「見かけはともかく、『8番出口』のコンセプトとかゲーム性を尊重した映画ではない」ので、これは仕方ないかな。
次から次へと、「異変」が起こるだけの映画だと、それはそれでがっかりしそうだし、「ゲームやればいいじゃん」みたいな話になってしまうのでしょう。
主人公役の二宮和也さんは、優しさと狂気のあいだ、というか、どちらにも振れてしまいそうな危うさをはらんでいて、「おじさん」役の河内大和さんは、まさに「はまり役」でした。小松菜奈さんの「ものすごく整った美人、とはちょっと違う、心に引っかかる佇まい」も印象的です。
ビジュアル的なゲーム画面の再現度も、役者さんたちの演技も、観るとちょっと人生に前向きになれそうな物語も(かなり「生理的に不快な」シーンは多いです。念のため)、長すぎず、「もう終わりか」とがっかりするわけでもない上映時間の長さも、個々の要素は「よくできている映画」なんですよね。
最近の日本映画としては珍しい、「説明しすぎない、観たあと、自分なりの解釈を語りたくなる」作品でもありました。
でもなあ、これが『8番出口』の映画化だ、と言われたら、なんか違うよなあ。
こんな重い話じゃないから、あのゲームは良いのに、と僕は思いました。
話題になっているから観てみよう、くらいであれば、それなりに納得はできる映画です。こうして僕もブログであれこれ書きたくなりましたし。
その一方で、あのゲームの世界を再現した、「なんだこれ!」みたいな「異変」に主人公がひたすら翻弄されるだけの映像化を観てみたい。
最後にひとつ。
ホラーテイストのデートムービー、みたいなイメージで付き合いはじめたばかりのカップル(死語か?)が観に行くと、かなり微妙な空気になる可能性が高いです。要注意。








