- 作者: 椎名誠
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/01/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「めし」「定食」好きでおなじみの著者が、日本各地で100年ほど続いている大衆食堂を訪ね歩き、その魅力を綴ります。
お店と味わい深い料理とのショッキングな出会いと魅力、親父さん女将さん看板娘との面白&温かいエピソード、めしや食堂のシーナ流ウンチク、旅の騒動などを、肩の力を抜いて描く珍道中記。
椎名テイスト&椎名ワールドが炸裂します。
椎名さんらしい企画だな、と思いつつ購入。
まあ、役に立つとか、すごく面白い、ということもないのですが、徒然にめくってみるには最適の本ではあります。
日本には、100年以上続いている企業が少なからずある、という話を僕も聞いたことがあるのですが、いわゆる「名店」とか「老舗料亭」みたいなところではなく、「どこの街にでもありそうで、車で通りかかるたびに、『誰がここで食事をしているんだろう?」』と思うような、『大衆食堂』を巡ってまとめられています。
もちろん、中には「有名店」もあるのですが、多くは、店の前に行列があるわけでもなく、情報誌で紹介されることもない、「地元の人が、普段行くような店」なのです。
本書のなかにくどいほど書いているが、本書の企画も「味がどうのこうのというグルメ探訪なんかじゃなくて、その店がどのくらいその土地に根づいて継続してきたか。とりあえず百年を基準にして、長く続いてきた店の長生きの意味と理由を追求する」というのが、取材の視点、その骨子だった。
でも、こういううコトもいえた。
「おいしいから、顧客が離れず、幾代にもわたって店が続いてきた」
取材してみて、これは真実だと思った。ただし、そうでもない店もあった。
「なんか知らないけど、親子代々やってきているうちに気がついたら百年たっていました」
というケース。
注文したものを食べても、たしかに格別「おいしい」というわけでもなく、店の人はだんだんグチなんかこぼしはじめ「跡をつがなければならなくて。本当は私、別のコトをしたかった。でも家業を継がなければならなかった。わたしの青春はこの厨房の中だけです。わたしの青春を返して下さい」などと涙ぐんだりして、聞いているこっちも「なるほどねえ、ホント苦労したんですねえ」などと手に手をとってもらい泣きしたりして。
青森県のある食堂でのこんなやりとりが、僕にはとても印象的でした。
「そのあいだご苦労もいろいろあったでしょねえ。喜びや悲しみは?」
西澤がNHKのアナウンサーのようなことを質問している。
「なーんもなかったねえ」
二人顔を見合わせて言う。
「作っているのもずーっと同じようなもんだし、お客さんも津軽そばの人はいつも津軽そば、カツ丼の人はカツ丼。みんな同じようなもの食べるだけだしねえ。毎日おんなじで60年だものなあ」
二人また顔を見合わせる。
百年も営業していたら、いろんなドラマがあったのではないか?と想像してしまうのは外野のほうだけで、現場で働いている人からは、こんな拍子抜けするような言葉が多かったのです。
いやむしろ、こんな感じだったからこそ、「百年も続いた」のかもしれませんね。
ものすごくはやっていて、店を大きくしたり、支店を作ったりしようとすれば、それだけリスクも高くなりますし。
それと扱っている料理も、多くの店は、カツ丼などの一般的な丼ものやラーメン、うどんなどの麺類が多かったようです。
ちなみに、この企画でアポイントメントをとる際に「うちはお金は払えません」と店側から言われたことが何度もあったのだとか。
雑誌で何度も紹介される「有名店」がある一方で、「あなたのお店を紹介しますからお金払ってください」というような「ビジネス」が、こういう「百年食堂」にも侵蝕してきているのだなあ、と驚きました。
逆にいえば、そういうふうにして、「紹介」されている店も、少なからずあるということなのでしょう。
何度も書いてきたが、この「百年食堂」は必ずしも「うまい店」ばかりではない、という現実がある。
味よりも「いかに長くやってきたか」ということがテーマなのだから、それは当然である。でもあまりにもまずければそんな百年もの長きに至らない、という「当然の法則」みたいなものもからむ。天変地災を免れた、などという運、不運問題もからむ。さらに「立地の相対的価値観」もからむ。なにかいろんなものがからむ。くいだおれの大阪のどまんなかではとてもまずくてすぐ潰れてしまいそうな店が山奥の辺鄙な食堂一軒という立地だったら「うまくて評判」で百年続いちゃった、などというもうひとつの「当然の法則」もからむ。
この本を読んでいると、「この店、椎名さんは不味いと思っていたんだろうな」とか「ここは本当に美味しかったみたいだ」などと、ついつい「裏読み」してしまいます。
椎名さんは、何度も「けっしてびっくりするほど美味しい店ばかりじゃなかった」と仰っていて、その率直さと同時に、そのへんをぼかして書かなければならないことに切なさを感じたりもするわけです。
まあ、大規模チェーン店とは違い、地元の常連客がほとんどで、一部の好事家が、この本を持って行くような店だから、あえて「不味い!」って公言する必要もないのでしょうけど。
外来の人間としては、「百年も続く店だったら、さぞかし『美味しい』のだろう」と思い込んでしまうのですが、実際はそんなに単純なものではない、ということなんですね。
読んでも「ビジネスの役に立つ」とか、そういう本じゃないのですが、ちょっと時間がある時に手にとってみると、なんだかとてものんびりできたような気分になれる一冊です。
何軒かは、「近くに行くことがあったら、寄ってみたい店」もありましたし。