琥珀色の戯言

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【読書感想】この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 ☆☆☆☆


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内容紹介
日本が甦るヒントは「戦後史」にあります!


敗戦から高度成長に至ったわけ、学校では教えない「日教組」、アベノミクスとバブルの教訓まで。
池上彰教授のわかりやすい戦後史講義を実況中継!


池上さんの座右の銘は「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。どん底日本を変えるために、ほんとうの戦後史を学びたい人への一冊です。


【目次】
1 事故からわかる「想定外」のなくし方
2 どうやって敗戦の焼け跡から再生したのか?
3「軍隊ではない」で通用するのか
4 55年体制から連立政権ばかりになったわけ
5 米軍は尖閣諸島を守ってくれるのか?
6 エネルギーが変わるとき労働者は翻弄される
7 “普通の関係”になれない日韓の言い分
8 学校では教えない「日教組」と「ゆとり教育
9 日本はなぜ不死鳥のように甦ったのか
10 経済発展と人の命、どちらが大事ですか?
11 米軍基地はどうして沖縄に多いのか
12 1968年、なぜ学生は怒り狂ったのか
13 日本列島改造は国民を幸せにしたか
14 アベノミクスはバブルの歴史から学べるか
15 なぜ日本の首相は次々と替わるのか

池上彰教授の東工大講義」シリーズの一冊。
紙の本は1575円で、Kindle版は1300円。僕はKindle版を読みました。
Kindle版だと、ちょっと写真が見づらい感じがします)

 日本や世界の歴史は、学校で学ぶことになっていますが、たいていは第2次世界大戦あたりで時間切れになっているはずです。戦後から最近までの出来事が空白になっている。そんな人が多いはずです。
 歴史を教える人にとって、戦後史は現代そのもの。自分が経験してきたことは「歴史」とは感じません。ところが、自分が経験していない人にとっては、それは歴史なのです。この認識の落差が、戦後史を空白にしてきたのだと思います。
 たとえば2001年9月のアメリカ同時多発テロ。多くの大人にとって、これは現代のニュースです。それが、東工大の学部生にとっては、小学校低学年のときの出来事でした。親たちが騒いでいるのは見ていても、その意味はわからないまま。なのに、親や大人たちは、わざわざ教えてくれることがありません。
 その空白を埋めようというのが、私の講義の目的です。

僕は歴史好きなのですが、正直、「現代史」って、ちょっと苦手なんですよね。
それも、「日本の戦後史」というのは、「なんとなく知っているつもり」なのだけれど、実際はほとんど知らない、あるいは覚えていないのです。
学校の日本史・世界史の授業でも「第二次大戦以降」というのは、僕が勉強していた時代(もう20年以上前)は、「あんまりセンター試験にも出ないし、時間もないから」ということで、けっこう端折られたりもしていました。


最近の自民党から民主党民主党からまた自民党への「政権交代」をみていて、「なんのかんの言っても、この人たちの根っこはみんな自民党じゃないの?」なんて感じてもいたので、あらためて「日本の戦後史」を勉強したいと思っていたのです。
原発というのは、ある意味、もっとも「日本の戦後的なもの」ですし。


この本、写真や資料も豊富で、池上彰さんの講義を受けるのは、こんな感じなのかな、と思いつつ読みました。
ああ、池上さんは、こうやって聴衆を惹き付けるんだな、なんて、その「技術」にも興味を持ちながら。



池上さんが使用している「写真」や、それにつけているコメントも興味深いものでした。
ある写真には、こんなコメントがつけられていました。

 2004年8月、米軍ヘリが宜野湾市沖縄国際大学に墜落、炎上した。夏休みで犠牲者がなかったとはいえ、アテネ五輪プロ野球ドラフト問題に比べ、ニュースの扱いは小さかった。

この短いコメントのなかに「メディア側の人間」としての池上さんの苦々しい思いが込められているように感じます。
池上さんは、本土の盾となった沖縄での激戦とともに、太平洋戦争末期の日本海軍司令官、太田実中将の大本営あての「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という伝聞を紹介しています。
でも、あれから70年近く経っても、沖縄は「御高配を賜る」どころか、日本における米軍基地の大部分を引き受け、本土との経済的な格差も埋まりません。


東日本大震災のとき、九州に住む人にとっては生活に関係しないであろう首都圏の停電や電車の詳細な運休情報が、九州でもトップニュースとして長時間報道されていたことが僕にとっては意外でした。
地震のことや原発のこと、被災地のことを伝えるのは当たり前なのだとしても、そこまでの「首都圏の情報」を九州で流すことに意味があるのだろうか?
逆に、北海道や福岡で同じような停電や電車の運航休止が起こったとしても、首都圏でこんなに報道されるだろうか?
それが「ニュースバリュー」というものなのかもしれません。
でも、「あまりにも東京重視だよなあ」と感じることが多いのです。


沖縄のことにしてもそうなのですが、「戦後」という短い期間にもかかわらず、日本という国は、同じような失敗を繰り返しているということも、この本を読んでいるとわかります。

 1961年から全国の中学校2年生と3年生全員を対象にした学力テストが始まります。私が受けたのも、このテストです。英語、数学、国語、社会、理科の5教科が対象でした。
 これは、進学指導や就職試験の代わりとして想定されていました。「就職試験の代わり」というのは、ちょっと理解しにくいかもしれません。当時は中学校を卒業して就職する子どもたちも多かったので、企業の入社試験代わりになると期待されたのです。
 しかし、全国一斉に全員が受験する試験ですから、都道府県レベルでの競争が始まります。
 特に平均点が全国1位の愛媛県と、それを追う隣りの香川県は、激しい競争を繰り広げます。学力の低い子を試験の当日に休ませたり、事前に試験範囲の授業を繰り返したり、試験中に教師が正解を指で示したりという事態が起きました。
 こうした全国学力テストには日教組も反対運動を繰り広げます。
 全国一斉に全員が受験し、結果を公表するという手法をとると、日本社会ではこうした弊害が起きがちです。この弊害が大きな問題になり、1966年、学力テストは中止になりました。
 学力テストが復活したのは2007年からです。小学校6年、中学校3年を対象に始まりましたが、その後の混乱や成績発表をめぐる対立は、ご存じの通りです。日本の教育行政は、過去の歴史に学んでいないのです。

水俣病」の原因が有機水銀であるという説が熊本大学から出されたのは1959年でした。しかしながら、

 これに対してチッソは「工場で使用しているのは無機水銀であり、有機水銀は使っていない」と反論します。
 また、「日本化学工業協会」は、「戦時中、水俣市にあった海軍の弾薬庫の爆弾が、敗戦時に水俣湾に捨てられた。その弾薬が溶け出して水俣病を起こした」という説を主張します。
 厚生省(現・厚労省)の水俣食中毒部会は、熊本県衛生部と共に、敗戦時に水俣湾内に遺棄されたと見られる旧軍需物資について現地調査を行います。その結果、爆薬投棄の事実はないことが明らかになります。
 しかし、爆薬説を否定するためには、爆薬が遺棄された事実はないことをわざわざ実証しなければなりませんでした。それだけ対策が遅れたのです。
 さらに、当時の東京工業大学のある教授は、日本各地の魚介類が含有する水銀濃度と水俣湾の魚介類の水銀濃度を比較し、水俣のものより高い例もあるがそこでは奇病は発生していない(だから水銀が原因ではない)と報告します。
 代わりに「アミン説」と提唱します。「水俣湾の貝肉を繰り返し消化酵素で分解し、得られた液を実験動物に注射すると水俣病のような症状を起こして死ぬ」というものでした。
 要するに腐った液を動物に注射してみるという実験でした。医学的な知識などなくても、実験動物が死ぬことも、また水俣病とは全く関係がないこともわかるレベルのものでしたが、「東工大の教授が提唱」というだけで社会的影響力が大きく、原因究明は遅れたのです。「東工大」というブランドネームが悪用されることがあるのだということを、東工大の学生の君たちには知っておいてほしいのです。
 結局、「チッソの廃水が原因」との政府見解が確定するのは1968年になってからのことでした。

 僕は、これらの「2013年からみると、こじつけのようにしか見えない種々の学説で、水俣病の原因究明が遅れに遅れたこと」に憤りを感じます。
 でも、原因がはっきりしていない時代では、「専門家がそう言い出したら、検証しないわけにもいかない」のは確かでしょう。
 彼らが、本当にそんな説を信じていたのか、いわゆる「御用学者」として、「牛歩戦術」を行っていたのかはわかりませんが……


 なんてバカバカしい!
 僕だってそう思います。
 でも、50年前と同じことが、いま、行われていないという保証はないのです。
 全国学力テストだって、50年経ったら、その弊害はすべて忘れてしまっているような国だもの。


 ただ、池上さんは、この本のなかで、危機感を煽っているばかりではありません。

 振り返ってみると、戦争直後の日本は、全国が東日本大震災直後”のようなものだったのです。それがここまで発展を遂げました。適切な経済対策と、国民の努力があったからです。
 それだけの経験を有する日本のこと、これからの日本も、再び不死鳥のように発展することは可能なのです。それを考えるためにも、歴史を学ぶ必要があるのです。


 難しい話ばかりではなく、その時代を生きていきた人たちがリアルタイムで感じていたことを追体験できるような講義になっており、それだけに「歴史のなかの現在の日本」について考えることができる、貴重な一冊になっていると思います。
 それにしても、これを読んでいると、人間って、つくづく忘れっぽい生き物だなあ、と嘆息せずにはいられません。
 僕もこれまで、同じ失敗を何度繰り返してきたことか……

 

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