- 作者: 林真理子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/04/18
- メディア: 新書
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内容紹介
「有名になりたい」「作家になりたい」「結婚したい」「子どもが欲しい」
――無理と言われた願望をすべて叶えてきた人気作家による「夢を実現させるヒント」。
「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、
やらなかったことの後悔は日々大きくなる」をモットーとする作家・林真理子。
中学時代はいじめられっ子、その後もずっと怠け者だった自分が、
なぜ強い野心を持つ人間になったのか。
全敗した就職試験、電気コタツで震えたどん底時代を経て、
『ルンルンを買っておうちに帰ろう』での鮮烈なデビュー、その後のバッシングを振り返り、
野心まる出しだった過去の自分に少し赤面しながらも、“低め安定”の世の中にあえて「野心」の必要性を説く。
「林真理子」という人は、「バブル時代のアイコン」であり、しかも、それで終わらずに作家としては直木賞を獲り、結婚して子供も産み、現在も第一線で活躍している凄い人、なんですよね……
僕は昔から苦手で、あんまり読んだことないんですけど……
その林真理子さんが、若者に「野心」の必要性を説いているのが、この新書。
終わりのほうに、自虐的に
さて、せっかくここまで読んでくださったのに、「上から目線でクドクド小言を言われたり、自慢話ばっかりだし、さんざんな目に遭ったよなぁ」と残念に思われている方々がいらっしゃるような気も……。
と書いてあるのですが、最初から読み進んできた僕は、なんとかここに辿り着いて、「そのとおり!」と児玉清さんが乗り移ったかのように呟いてしまいました。
うーむ、なんかバブル時代に迷い込んでしまったような読書体験だったな……
「林真理子って、あんなに野心家だからさー」「あそこまで売り込めないよねー」と(『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーになった)当時さんざん悪口を言う人たちがいましたが、成功した人を貶めようと負け惜しみを言う人間は、自分がどんなに卑しい顔をしているか知らないのでしょう。そして、彼らはもう誰一人として第一線には残っていません。野心は持っていても、実際に行動に移せなければ結果は何も残らないのです。
80年代にはイラストレーターの故・渡辺和博さんの造語で、メジャーとマイナーのあいだの「マイナーメジャー」、雑誌の「流行通信」に出て行ているくらいの「マイジャー」っていう位置づけが一番かっこいいんだという風潮がありました。「ど」のつく「どメジャー」になるのは逆にかっこ悪いという考えです。いまも、サブカルチャーの世界ではマイジャーの原則が生きているかもしれませんね。
でも、私には、そういう屈託が一切なかった。とにかく、有名になりたい一心だったんです。根っからのメジャー志向。フジテレビのキャンペーンガールをやった以外にも、当時、人気絶頂のアイドルだった松本伊代さんとドラマで共演したこともあります(共演といっても、ちょい役ですが)。
MC(司会)をする番組だって二本レギュラーを持っていました。
この新書「人生訓」みたいな内容なのですが、読めば読むほど、「この人の生き方を参考にすることは難しい」ということだけがわかってきます。
さて、健全な野心は、それに伴う努力との絶妙なバランスによって成り立つことは、少しは理解していただけたのではないかと思います。
では、「欲のない自分」が、野心を持つにはどうすればよいか。
先ほどの話で言うと、才能があって、ちゃんと努力もしているのに、野心が希薄なせいで消えてしまう作家のようなケースです。人によっては、努力をすることよりも、野心を持つこと自体のほうが難しいのかもしれませんね。
野心を持つことができる人とは、どんな人なのでしょうか。
それは、自分に与えられた時間はこれだけしかない、という考え方が常に身に染みついている人だと思います。
本物の「野心家」はそんなにいないというのは、事実だと思うんですよ。
「ギラギラした野心」を目の当たりにする機会って、いままでの人生で、僕にはあまりなかったし。
ただ、こういう人たちは「野心家サロン」みたいなところに集まってくるもので、僕の知らないところで寄り集まって、いまもギラギラしているのかもしれませんけど。
でも、「野心を持つ」だけではなくて、「自分の野心を反省しない」というのも難しそうではありますよね。
「野心をギラギラさせて生きてきたことに、後悔なんてない」と言い切って、ずっとその「野心的な生き方」を続けて、自己を肯定していける人は、滅多にいないと思われます。
この本を読んでいると、実はいちばん難しいのは「野心を持つこと」そのものではないか、という気がしてくるのです。
「心の持ちよう」だと言うけれど、「心を切り換える」ことを「スケジュール通りに努力する」よりも難しく感じる人は、少なくないはずです。
「3日間くらいの気分転換」ならできても、人の考え方の根本的な部分って、そう簡単には変えられない。
結局、「野心を持てる」というのは、ひとつの「生まれつきの才能」みたいなものじゃないか、って。
林真理子という人は、「天賦の野心家」であり、それに加えて文章を書く能力と、バッシングにもへこたれない精神力を持っていたために、ここまで成功を収められた人なのです。
こういう人に「野心を持て」って言われても、生まれつきの「野心レベル」が違いすぎる。
長嶋茂雄さんは「来た球を思いっきり打てばいいんだよ」ってアドバイスしてくれるかもしれないけれど、それは、長嶋さんの感覚での話で、ほとんどのプレイヤーは、構え方とかスイングの型とかから、意識せざるをえません。
後天的に努力した結果持った「野心」では、林真理子にはなれない。
そんなことはわかっていたつもりですが、これを読んで「やっぱ、無理だわ」と再確認できました。
とはいえ、この本に「啓発」される「天才野心家」も、世の中にはいるんだろうな、とは思います。
しかし、こういうのって、『ライアーゲーム』に優勝した人が、優勝した後になって「ライアーゲーム最高!みんなも参加しようよ!」って言われているような気分にはなりますね。
しかし、「野心なんて持っても、しょうがない」という生き方が、いまの人(とくに若者たち)をラクにしているのかどうか。
林さんは、この新書のなかで、こんなことを書いておられます。
野心は、恋愛欲、結婚欲、性欲とも結びついている。野心が希薄になっているから、少子化が進んでいるということもあるのではないかと私は考えています。とはいえ、よく言われる「草食系男子」の増加や、男性の経済力の低下だけが原因だと思っているわけではありません。
結婚相手を高望みする野心を失った女性にも問題があるのではないか。
もちろん、女性がバブルの頃のようにやみくもに「三高」男性を求めなくなったことについてはとても健全な時代になったとは思います。しかし、男性の職業や年収などにはさしてこだわらず「私を好きになってくれる、優しい人なら」という女性たちがなかなか結婚できないのはなぜでしょうか。
私が考える答えはいたってシンプルです。女性が「ハードルが低い」と思うような男性には、心をすっかり奪い取られるほどの魅力がないからだと思います。
要するに、そこで「妥協」してしまうから、かえって「得られたものに満足できず、結局長続きしない」という悪循環に陥ってしまっているのではないか、と林さんは考えておられるのです。
うーむ、「妥協しなければ、選択できるパートナーがいないんだよ!」と言い返したくなる人も多いのではないかと思います。
でもまあ、たしかに「諦めているつもりで、ハードルを下げなくてはと意識してしまっているからこそ、うまくいかない」という面もあるのでしょうね。
「安物買いの銭失い」って感じで。
昔から、大部分の人間にとっての「世の中」って、妥協がいつのまにか納得に変わっていくもののような気もしますけど。
最高のパートナーと素晴らしい恋愛をして……なんてことは、そんなに高頻度には起こり得ない。
とはいえ、もしかしたら「いまは、さすがにハードル下げすぎ」なのかもしれません。
いや、むしろ、「ハードルを下げてやっている」という意識が問題になっているのかなあ。