琥珀色の戯言

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【読書感想】麻原彰晃の誕生 ☆☆☆☆

麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)

麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)


Kindle版もあります(以前に出た新書版をKindle化したものです)

麻原彰晃の誕生 (文春新書)

麻原彰晃の誕生 (文春新書)

内容紹介
少年は熊本の寒村に生まれた。目に障害を抱え盲学校に進んだ彼は、毛沢東田中角栄に心酔。数々の挫折を経て上京し、鍼灸漢方薬で詐欺まがいの商売を行った後に出会ったのが宗教だった。やがて超能力を増幅させるという金属を手に入れて、“尊師”として多くの孤独な若者たちを吸引。狂気の道へと転落していく──「怪物」として処刑された男の等身大の姿を丹念な取材で描き出した「伝記」。


 麻原彰晃こと松本智津夫という人間は「怪物」だったのか、それとも「凡庸な悪」だったのか。
 この本、もともとは2006年に文春新書として上梓されたもので、麻原死刑囚の刑が執行されたこと、そして、平成も終わりということもあって、今回、文庫になったようです。
 著者は、「オウム真理教が宗教法人となり、大きな教団となってからの『麻原彰晃』ではなく、それ以前、松本智津夫麻原彰晃になるまで」を関係者に丹念に取材して書いているのです。
 あんな大事件を起こした人間は、どんな幼少期をおくってきたのか?
 麻原彰晃は、生まれつき、極悪人だったのか、それとも、環境が、あんな怪物を生み出してしまったのであって、同じような場所に置かれれば、みんな、ああなってしまうのか?

 僕はこの本を読みながら、そのことをずっと考えていたのです。
 でも、読み終えても、結論を出すことができなくて。


 「いずれは目が見えなくなることが予想されているけれど、今は目が見える状態」で、家庭の事情もあって、盲学校に通うことになった少年・松本智津夫

 幼児期に刻印された精神の傷は、大人になっても消えるどころか増幅されていったようだ。自分のしでかしたことについては蓋をしたまま、傷つけられた悔しさばかりが智津夫の胸を蝕んでいる。
 智津夫はこのようなことも西山祥雲に話している。
「スイカなんか盗んでいないのに、親父は私をスイカ泥棒だと決めつけたことがありました。おまえがやったんだと言われて、こてんぱんに殴られたあげく、もうおまえはこの家には置いとけん、どこかにあずけるしかないと言われたんです。そうやって私を家から追い出す理由を、親父はつくっていったんですよ」
 智津夫の話の内容が事実なのかどうか、そのまま信じるわけにはいかないが、ひとつだけはっきり言えることは、「幼くして親に捨てられた」という意識を強く懐(いだ)いたということである。


 将来への不安とともに、目が見えない人々のなかで、ひとり「見える」という優越感ともどかしさ、親に見捨てられた、という疎外感が、彼の幼少期を覆っていたのです。

 盲学校い古くからつとめ、(松本)兄弟をよく知る元教師は、つぎのように語る。
「盲学校の生徒には、大なり小なり社会にたいする憤りや、被害者意識、劣等感があるんです。しかし、ふつうの生徒はそんなことは口にせずに、社会に協力していこうという気持ちをもっていた。ところが、智津夫には、それがなかった。自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあった。社会の常識は、自分の敵だと思うとった。そして長兄にくらべて智津夫には、人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くありました」
 同様の話は、複数の元教師や現職の教師からも聞かれた。


 松本少年は、きわめて独善的で、自分が見えることを利用して、周囲の子どもを支配しつつも、自分より強い立場の人間には「可愛げ」を発揮していました。
 ただ、そういう人間というのは、そんなに珍しい存在ではないですよね。
 子どもには、子どもなりの「ずるさ」や「生存戦略」があるというのは、僕自身の記憶をたどってみても思い当たるところはたくさんありますし。


 東大を受ける、と吹聴して東京に出てきたものの、そんなに熱心に受験勉強に打ち込んだわけでもなく、鍼灸師として働いたり、「変な薬」を売って摘発されたりという生活をつづけていた松本智津夫なのですが、ヨガ教室をはじめたことがきっかけで、「宗教的なもの」にハマっていくことになるのです。
 あの「空中浮揚の写真」が撮られた経緯についても紹介されているのですが、当事者の話からすると、当時からきわめて怪しいものだったみたいなんですよ。浮いた、というより、足の力を使って一瞬飛び上がっただけ。
 でも、取材した側も、まさかこんなことになるとは思わずに、「ネタ」として雑誌に載せ、周りの信者たちも、内心苦笑しながらも「これはおかしい」と言い出すことはできなかった。
 

 このときまでに智津夫のマスコミ戦略は、着々と成功していた。記者が訪ねてきた前後には、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』(ワールドフォトプレス=現在休刊)十月号に、手持ちの空中浮揚の連続写真を掲載することに成功し、同時に「編集部の不思議体験レポート」という連載企画にも、「最終的な理想国を築くために/神をめざす超能力者」というタイトルで6ページにわたって紹介された。これが最初の商業雑誌への登場であった。以後、およそ三年にわたって、ほぼ毎号のように執筆者として連載ページをもつようになった。
 どうしてそのようなことができたのか。毎号のように広告を出していったからである。掲載料はカラー1ページが35万円前後、モノクロは20万円前後。智津夫は多いときで同じ号にカラー2ページ、モノクロ1ページの広告を打ったこともある。雑誌社にとって、この広告収入は魅力だったにちがいない。
 大手出版社の学研が発行するオカルト雑誌『ムー』でも、『トワイライトゾーン』とおなじ1985年10月号から、読者投稿のページに空中浮揚の写真を手始めに、ヨーガの行法についての原稿が掲載されるようになった。11月号では8ページにわたって、ヒヒイロカネ探しのレポートが掲載されるようになった。11月号では8ページにわたって、ヒヒイロカネの読者プレゼントをおこない、会員の獲得に役立てた。
 折しもこの時期、日本はオカルトブームの全盛期を迎えていた。そのなかでも『ムー』と『トワイライトゾーン』の二誌は、若者向けの二大メディアであった。当時、オカルト雑誌で多くの自称超能力者に取材し、記事を書いていたフリーランスライターは、つぎのようにふり返る。
「当時のオカルト雑誌の読者の多くは、お金を汚いものとみなす人びとや、なにかを馬鹿にしたい人びと、あるいは、ちょっとした”拾い物”があるとすぐ飛びつく人びとだったと言うことができます。拾い物……超科学や神秘の匂いがするものは、やがて彼らのなかで”宇宙の神秘を解く鍵””ものすごい真実”に変化するんですね。そしてこの拾い物を見つけた彼らは、その行法を実践し、超能力開発グッズを買っては試し、さらにはいろいろな宗教に浸かっては出る宗教マニアや、能力開発セミナーマニアになっていくんです。でも、たいていはすぐに飽きてしまう。なぜなら、それによって幸運がころがりこんだり、病気が治ったりはけっしてしないからです。そして彼らは別の拾い物がないかと、オカルト雑誌をめくるわけです。私はそんな彼らに、いまの時代に似合わないほどの生真面目さや几帳面さを感じていました。純粋で従順、でも地に足がついていない。彼らはなにかが足りず、なにかを求め、そしてなにかを失い、自分の中になにかをつくれないでいた」


 この本を読んでいると、松本智津夫という人の「成り上がるためには手段を選ばない姿勢」や「罪悪感の乏しさ」とともに、そういう「地に足がついていない人をひきつける能力」や「何度も失敗しても諦めないしぶとさ」や「マーケティングの才能」も感じるのです。

 そして、さまざまなエピソードのなかには、「金や自分の欲望を満たすことだけが目的ではなかったのかもしれない」と感じるものもあるのです。

 智津夫が求心力を得たのは、シャクティーパットの影響ばかりとは言いきれない。智津夫は護摩を焚くための薪集めにも、自分から率先して山に踏みこんでいった。
「私には霊障があるんです」と言う受講生がいて、まわりの者たちが気味わるがって遠巻きにしていると、
「君たちは、いったいなにをしに来てるんだ。人のためになってこそのヨーガだろう。邪気を吸収するくらいの気持ちでやらなくてどうする」
 と、叱りつけた。
 夜中を過ぎても、智津夫は床に就くことはなかった。ほかの会員たちは疲れ果てて8時か9時には眠りについているのに、智津夫はセミナーに来た人びとから悩みごとの相談を受けていた。癌に苦しんでいる人、会社の経営がうまくいっていない人、不良息子のことで悩みつづけている親などの話を親身に聞いてやり、そのために智津夫の睡眠時間は、集中セミナーを開催した1週間のうち、平均してわずか2時間ほどしかなかった。
 それでも明くる日になれば、会員たちとはげしい修行をする。シャクティーパットをほどこしているとき、取り巻いている会員たちの目にも、智津夫の顔から血の気がさあっと引き、消耗が激しいことが見てとれた。
「ときおり休憩をとるんですが、麻原さんはぐったりしているんです。熱を出すこともありました。足の甲がざくろみたいに割れ、血が流れていたこともあります。それでも会員たちのクンダリーニが覚醒するまで、ひとりひとりにシャクティーパットをほどこしていくわけです。だめな人間には、40分でも1時間でもやりつづける。夜は夜で、会員の相談を受けつづける。そんな姿を見て僕たちは、みずからの苦をいとわず、弟子たちを解脱に導くためにひたすらおのれのエネルギーを捧げているのだ、と感動しました。麻原さんの姿に、菩薩行を思わないわけにはいきませんでした」
 と設立当初からの元信者のひとりは語るのだ。


 これも、麻原彰晃の「自己演出」だったのか、それとも、この時期はまだ、純粋な修行者だったのか。
 信者によって美化された像であるのだとしても、最初から坂本弁護士一家の殺害や地下鉄サリン事件を目指していたわけではないと僕には思われます。
 麻原彰晃という人にも、真剣に「解脱」したいとか、信者を苦しみや悩みから救いたい、という「善なるもの」があったのではなかろうか。
 でも、周りから教祖として持ち上げられていくにつれ、そういう自分の立場を失ってしまうのが怖くなり、また、欲望にも流されてしまったのです。
 やったことは「悪の極み」ではあるけれど、もし僕がそういう「流れ」に乗ってしまったら、同じことをやるのではないか、とも感じるんですよ。
 麻原彰晃は「とんでもない悪党」であるのと同時に、どうしようもなく「人間」だった、とも言えるのかもしれません。
 起こしてしまったあまりにも大きな事件を抜きにして考えれば、野心家で虚言壁のある人が、一事の成功で調子に乗って自分を見失っていく、そんなに珍しくもない話ではあるのだよなあ。
 
 第二の麻原彰晃を生み出さないためには、どうすればいいのか?
 「心の闇」とかいうけれど、明確な理由も、絶対的な予防策もなくて、「こういうことが影響したのではないか」という推論の積み重ねがそこにあるだけなんですよ。

 最後まで読んでもすっきりしない本なのですが、最後まで一気に読み終えました。
 人間とか人生というのは、そう簡単に割り切れるものではないのだよなあ。


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