琥珀色の戯言

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【読書感想】ぼくらの近代建築デラックス! ☆☆☆


ぼくらの近代建築デラックス!

ぼくらの近代建築デラックス!

内容紹介
カドイの薀蓄にマキメが突っ込む、ユニークな建築入門


近代建築をこよなく愛する人気作家二人が、大阪・京都・神戸・横浜・東京の現存する名建築を訪ね歩き、その魅力を語りつくしたルポ対談集。
写真も見応えばっちりの豪華オールカラー!
各都市ごとのマップもついて、建築散歩のおともに最適の一冊になりました。


 僕はこの年になって、少し「建築」に対する興味がわいてきたのです。
 ずっと、「建物なんで観ても、何が面白いんだ? コロッセオとか東京タワーくらいのスケールのものならともかく、「有名建築家がつくった建物」をありがたがって、わざわざ観に行ったりするような人の気が知れない……と思っていたんですよ。
 でも、最近になって、「生活と芸術・技術の集大成としての建築物」に、なんだか興味がわいてきて。
 「建物って、容れ物だろ?」という感じだったのだけれど、「容れ物」が、中にいる人間の「心持ち」みたいなものを変えていくのも事実です。
 ル・コルビュジエサヴォア邸とか、ぜひ一度観てみたいなあ、と思っています。
 われながら、いろんなものに興味を持つことができるようになるのが、20年くらい手遅れだよなあ、などと溜息をついたりしながら。


 この本は、「近代建築ファン」である人気作家の万城目学さんと門井慶喜さんのおふたりが、京都・大阪・神戸・横浜・東京で、それぞれオススメの近代建築を巡りながら、四方山話をする、という雑誌連載を書籍化したものです(2012年発行)。


 おふたりは、「建築ファン」ではあるけれど、「建築家」ではありませんから、それぞれの建物の「専門的・技術的な解説」は、ちょっと物足りないな、と感じます。
 その一方で、それぞれの建物ができた背景や、建築家のエピソードなどの「周辺情報」については、興味深い蘊蓄満載で、むしろ、「脱線している部分のほうが面白い」のです。
 

 大阪市中央公会堂の項より。

門井慶喜たとえばヨーロッパだと、中世なら聖職者、近代初期なら貴族というような安定的な身分と収入のある人たちがパトロンにならなければ、巨大で壮麗な建物は作れないわけですが、大阪の中央公会堂の金主は、岩本栄之助という株の仲買商です。ひじょうに不安定というか、刹那的に得られ富が投じられている。


万城目学大阪商人には、がめつくてドケチというイメージがありますが……。


門井:刹那的な金儲けの勢いで建てちゃうというのも、大阪人らしいといえば大阪人らしい。結局、岩本栄之助は相場で負けて、自分自身は中央公会堂の落成を見ずに死んでしまうんです。落成式の写真が残っていますが、未亡人と四歳の娘さんだけが、いちばん晴れがましい席に座っています。


万城目:なぜ亡くなったんですか。


門井:自殺です。ピストルで。


万城目:ああ……。


門井:落成式は、当然、岩本栄之助に対する美辞麗句で飾られた。何とすばらしい人だ、立派な人だ、と。でもそれを聞く家族の胸中は複雑だったでしょうね。


万城目:寄付した百万円が手もとにあったら、死ななくてすんだかもしれない。


門井:式典に来ている財界のお偉方は、要するに岩本栄之助を見殺しにしたわけです。だから家族はかならずしも完成を祝う気にはなれなかっただろうなあ、という人間的な興味も、中央公会堂を挙げた理由ですね。


 ああ……
 ただ、「その百万円があれば」と思うところですが、相場師の世界であれば、うまくいかないときは、その百万円があっても「焼け石に水」だった可能性もあります。
 それならば、この壮麗な公会堂の金主として、後世に名前を遺すことができた、というのは、結果的には良かったのかもしれないな、とも僕は思うのです。
 関係者がすべて亡くなっても、1918年に落成した公会堂は、そこにあるわけですし。


 また、万城目さんが大学時代を過ごした(京大出身だそうです)京都という街について、こんな話をされていたのも印象的でした。

 なぜ、ときどき私のコメントに、京都に対する刺のようなものが見え隠れするのか。それは、作家デビューしてから知った京都の真の顔への印象が忘れられない、というのがあります。デビュー作『鴨川ホルモー』が世に出て一ヵ月が経った頃、私は大阪に帰省したついでに、京都の書店をひとりであいさつまわりしました。
 ちょうど一週間前に、東京で書店まわりをした際、無名の作家を驚くほどあたたかく迎えてくれたことに気をよくしていた私は、京都を舞台にした作品だったこともあり、ほとんど凱旋気分で京都に乗り込んだのです。
 そこで、私は京都の本当の姿に出会いました。
 京都はまったくやさしくなかったです。どの書店
の人も、誰もが困惑した表情で私を迎え、サイン本も誰ひとり置くことを許してくれませんでした。京都舞台の作品を書き、京都の大学を出たことなど、何の関係もありませんでした。ただ結果を出しているか否か、それがすべてだったのです。そのとき、ようやく私は、学生の頃「お客さん」として扱われていた身分から、一個の大人として対応されていることを知ったのでした。
 げに京都は手強いところです。

 
 もしかしたら、「作家の書店まわり」に対して、東京の書店のように慣れていなかったから、なのかもしれませんが……
 でも、東京であたたかく迎えられ、京都は大学時代を過ごした土地だというイメージを持っていれば、これはたしかに、つらかっただろうなあ、と。
 いまならきっと、京都の書店でもあたたかく迎えてもらえるのでしょうけどね、万城目さんならば。


 これを読んでいると、ふだん何気なく眺めているような建物のなかにも、けっこう「お宝建築」があるのかもしれないな、と思えてきます。
 それと同時に、「もう老朽化したからダメだな」と「古いものは貴重だし、遺さなければ」との境界というか、人間が建物をみる目のワガママさ、みたいなものについても考えさせられるのです。

万城目:センスのいい人たちが農林会館(大阪)のような古いビルをお洒落と認識するようになったのは、わりと最近のことですよね。


門井:せいぜいこの十年のことかもしれません。


万城目:新宿ゴールデン街の店を若い人たちが改装して使ったり、大阪の南船場や南堀江で古いビルをリノベーションして若い人が入るようになったり。


門井:京都の町家を改装して町家カフェとか。


万城目:ほんと、バブルでいっぺん崩れたものを、あとに続く若い人たちが必死で再生してると思うんですよ。えらいと思いますよ。今の若い人らは。


門井:まったくその通りですね。


万城目:真面目に働いて、子どもを産んで、お年寄りの税金を払って、みんな偉いと思います。ほんとにいい世代ですよ。善です、善。善そのもの。


門井:同世代をえらく褒めますね(笑)。ひとつ、その背景には皮肉な面もあって、どうして若い世代が近代建築に注目するようになったかというと、それだけ数が減ってるからなんですね。はじめは単なるぼろぼろのビルということでどんどん取り壊されたものが、ある臨界点を越えたところで、じつは貴重なんだ、お洒落なんだ、という正反対の価値が生まれてくる。


万城目:非日常、特別なものになった。


門井:普通のビルと比べたら、エアコンは効かない、すきま風は入る、地震がきたら危ない――等々、実用面でのマイナスはきりがない。非日常の存在になることで、何とか存在を許されてるんですよ。


 日本各地の近代建築の多くが、もう古いから、時代遅れだからと取り壊され、数が減ってきたからこそ、「貴重なもの」として評価されるようになってきたというのも、事実なんですよね。


 ちなみに、この本で、大阪城天守閣が昭和6年(1931年)に建てられ、中は完全な鉄筋コンクリート造りの「近代建築」であるということをはじめて知りました。
 外観はどうあれ、たしかに、建築された年を考えると、「近代建築」に入るのか……


 大阪・京都・神戸・横浜・東京近辺の「近代建築」に興味がある人、あるいは、万城目さん、門井さんのファンにとっては、興味深い新書だと思います。



僕が最近読んで面白かった、建築に関する本をいくつか挙げておきます。

安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書

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建築武者修行 ―放課後のベルリン

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建築武者修行 放課後のベルリン

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