絶滅企業に学べ! 今はなき人気企業に学ぶ10の「勝因」と「敗因」
- 作者: 指南役
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2015/03/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
人気企業がなぜ!? 大映、フォーライフ、山一證券、パンナム、虫プロダクション、セゾングループ、アラビア石油、鈴木商店、中島飛行機、満鉄調査部。歴史に名を残す10の会社が消えた理由に迫る。
内容(「BOOK」データベースより)
1つは「温故知新」。絶滅企業がかつて繁栄を誇ったノウハウから、未来へのヒントを見つけてほしい。もう1つは「反面教師」。絶滅企業に至った理由を知ることで、同じ過ちを繰り返さないでほしい。この2つが、キーワードだ。
歴史に名を遺すような大企業は、どのようにして栄え、なぜ、没落していったのか?
この本で採り上げられているのは、大映、フォーライフ、山一證券、パンナム、虫プロダクション、セゾングループ、アラビア石油、鈴木商店、中島飛行機、満鉄調査部の10社です。
本のタイトルは「絶滅企業に学べ」なのですが、「絶滅」するには、「繁栄」が必要なんですよね。
そして、「繁栄」した理由と、「没落」した理由は、表裏一体でもあるのです。
ひとつのやり方で成功すると、その成功が大きければ大きいほど、人は、その「成功体験」にとらわれてしまう。
経営者の独自の発想で業績を伸ばした会社が、そのやり方を頑なに続けることで、時流に合わなくなっていくことは、珍しくありません。
「これで以前うまくいったのだから、俺のやり方に口を出すな!」
そんなふうになってしまう人が、少なくないのです。
成功するのは大変だけれど、成功し続けることは、もっと大変なんですよね。
突然ですが、世界3大倒産劇ってご存知です?
20世紀初頭、ヨーロッパの鉄と石炭を掌握して、その地名から”ルール王”と呼ばれたドイツ最大の財閥「シュティンネス・コンツェルン」の倒産。かつて世界のマッチ市場の半分を制したスウェーデンのマッチ王「クロイガー・コンツェルン」の倒産。そして――日本の「鈴木商店」の倒産がそう。
その3つの倒産を総称して、世界3大倒産劇なんです。
「鈴木商店」の話は、子どものころ、「まんが日本の歴史」か何かで、少しだけ読んだことがあるのですが、ここまで規模が大きな会社だとは思いませんでした。
三井物産や三菱商事のような総合商社だった鈴木商店の子会社には、双日、帝人、サッポロビール、昭和シェル石油、王子製紙など、いまでもよく知られている企業がたくさんあるのです。
1894年の創業者の死後、金子直吉という有能な大番頭が会社を仕切るようになるのですが、彼は、政治との結びつきを強め、世界中に電信暗号のネットワークを張り巡らせて、「情報戦」で、第一次世界大戦の際の物資の高騰を見極めて、大躍進を遂げました。
ところが、戦争が終わっても、金子さんは、それまでの経営姿勢を変えようとはしませんでした。
大番頭・金子直吉の経営姿勢は終生、新規事業への投資と拡大にあった。
それは、利益が上がると、それを新規事業に投資するというもの。その事業が拡大して利益が出ると、さらに次の新規事業に投資する。その繰り返しで会社を大きくした。
経済が上向きの時代はその戦略は当たった。鈴木は坂道を駆け上がるが如く、その身を大きくしたのである。
だが、景気が低迷してもなお、金子は従来の手法を改めなかった。その時、命綱としてエンジンを動かしていたのは利益ではなく、メインバンクの台湾銀行からの莫大な融資だった。金子は勝ち戦の戦術には長けていたが、負け戦の引き際を知らなかった。
1923年、貸付が2億円を超えて危機感を抱いた台湾銀行は、鈴木に対する融資を渋り始める。それは、拡大志向を強めていた鈴木が、その歩みを止めることを意味した。例えて言えば、自動車が坂道を登る途中でペダルを漕ぐのを止めるようなものである。
どうなるか? そう、後は転落しかない。
(中略)
1927年――昭和2年。
台湾銀行は鈴木商店に対して融資の打ち切りを通告する。そのわずか5日後の4月2日、鈴木商店は倒産した。
著者は、この鈴木商店の興亡と、金子直吉という人物について、こう評しています。
一般に、「叩き上げ」と聞いて、皆さんが連想する人物は、かの豊臣秀吉や田中角栄元総理といったところだと思う。2人とも貧しい生まれから、努力と才能で天下をとった点で共通している。そして図らずも、晩年に汚点を残した点でも共通している。
実は、叩き上げの人間が犯しがちな過ちに、自らの成功神話を過信するあまり、時代の変化への対応を読み違えることがある。
どんなに有能な人でも、いや、有能だからこそ、「自分のやり方を変える」のって、難しいんですよね。
その一方で、企業には、一貫した「企業理念」みたいなものも必要なわけで。
AppleやGoogleといった今をときめく大企業も、たぶん、永遠のものではないのです。
大きくなればなるほど、後戻りするのも難しくなる。
鈴木商店がそうだったように。
しかし、この本を読んでいると、栄華を極めた「絶滅企業」というのは、その「良い時代」には、「こんな会社で働いてみたい」と感じるような魅力をふりまいてもいるのです。
パンアメリカン航空の項より。
世界中に航路を持つパンナムは、スチュワーデスも各国から採用するなど、国際色豊かだった。
当然、日本人スチュワーデスもおり、パンナムの興亡史を描いたノンフィクション『消滅』(講談社)の著者でもある高橋文子さんも、その1人。彼女曰く「パンナムの良さは、そのおおらかな社風にあった」。
パンナムは機内食をいつも余分に積み込んでいたという。乗客が好みのメニューを注文した際、品切れで断るのはプライドが許さなかったからである。
だから彼女たちは余った高級シャンパンやキャビアなどを持ち帰り、ステイ先のホテルで楽しんだ。会社側も特にそれを咎めなかったそう。コンプライアンスが厳しい今の時代では考えられない話だが、現代の価値観で彼女たちを非難するのは野暮というもの。
パンナムは、スチュワーデスが大学に通うのを支援し、輸入代理業などの副業を営むのも認めていたそうです。
働いている側からすれば、「いい会社」ですよね。
しかしながら、そういう「おおらかさ」が、時代の変化とともに、経営を圧迫していったのも事実です。
そういう「黄金時代のきらめき」みたいなのは、なんだかとても眩しく見えるのですけどね。
この本のなかでは、これらの企業が行った「何それ?」と言いたくなるような「ご乱心」もいくつか紹介されています。
「大映」の項には、こんな話が。
事の次第はこうだ。当時、東宝が円谷英二を使って、「ゴジラ」で大ヒットしたのに刺激され、永田(雅一・社長)は「ネズラ」を企画する。それは、巨大化したネズミが都市を破壊する話だった。だが、特撮技術が未熟な大映は、都市のミニチュアセットを作り、その中で本物のネズミを使おうとした。
1963年、撮影で用いる大量のネズミ確保のため、映画館を窓口に大々的なネズミの募集が行われる。映画館に集められたネズミは順次、撮影所に送られた。
撮影が始まった。しかし、不衛生なネズミを大量に飼うことから、スタッフの中に病気にかかる者が続出。さらに、ネズミの募集窓口を映画館にしたことから、不衛生との苦情が映画館に殺到する。客入りにも影響が出始めた。
遂には保健所から大映本社に指導が入り、やむなく永田は「ネズラ」の制作を中止する。
ちなみに、その2年後、改めて企画を練り直して制作されたのが「ガメラ」である。
最初から「ガメラ」にしておけば、よかったのに……
今このエピソードを読むと、「なんだこれは……」と絶句してしまうのですが、本気でこんなことをやっていた時代もあったのです。
しかし、本物のネズミを使った「ネズラ」って、どんな映画になっていたのでしょうね。
ネズミは演技はしないだろうし。
ちょっと観てみたかった気もします。
読んでいると「そりゃ潰れるだろ……」と言いたくなるところもあるのですが、その一方で、「成功しなければ、没落もしない」のも確かなのです。
「失敗は成功の母」という言葉がありますが、逆もまた然り。
「成功を持続する」というのは難しいな、とあらためて考えさせられる本でした。