琥珀色の戯言

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【読書感想】水木サンの幸福論 ☆☆☆☆


水木サンの幸福論 (角川文庫)

水木サンの幸福論 (角川文庫)


Kindle版もあります。

内容紹介
水木サンの幸福人生の秘密がここに集約!
平成16年に日本経済新聞社より刊行された『水木サンの幸福論』の文庫化。水木サンが幸福に生きるために実践している7か条や、水木サンの兄弟との鼎談など、水木しげるのすべてがわかる盛りだくさんの内容。


内容(「BOOK」データベースより)
「なまけ者になりなさい―」独特の言動で、出会う人を幸せな気分にさせる水木しげる翁が、「幸福の七カ条」をもとに、幸福になるための秘訣を伝授。自身の半生を語った「私の履歴書」では、境港での生活と太平洋戦争、戦後の赤貧時代など、波乱の人生を当時の貴重な写真とともに振り返る。特別付録に、兄と弟で語り合った鼎談と、境港での幼少時代を描いた「花町ケンカ大将」を収録。読む人を幸福にさせる人生論。


 2015年11月30日、漫画家・水木しげる先生が逝去されました。
 ネットで訃報を知ったときの僕の率直な気持ちは、「水木しげる先生も死ぬことがあるのか……」だったんですよね。
 ずっと元気で、現役で漫画も描いておられましたし、もう半分くらい妖怪なんじゃないかと思っていたので。
 そして、その次に頭に浮かんできたのは、「ああ、水木先生が死ぬのだったら、僕も間違いなく死ぬな……」ということでした。
 人はみんな、いつか死ぬ。
 当たり前のことなんだけれど、水木しげる先生は、すでに「生死」を超越した存在のような気がしていたのです。
 

 水木さんの訃報とともに、Twitterには、さまざまな水木さんの言葉や写真が溢れていました。
 そのなかで、この本に出てくる「幸福の七カ条」を多くの人が紹介し、拡散していたのです。

幸福の七カ条

 第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
 第三条 他人との比較ではない。あくまで自分の楽しさを追求すべし。
 第四条 好きの力を信じる
 第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 第六条 なまけ者になりなさい。
 第七条 目に見えない世界を信じる


 そうか、「なまけ者」で良いのだな。
 と、この七カ条を噛みしめつつ、本を読み始めたのです。
(ちなみに、この本の内容の大部分は、水木先生の「幸福論」ではなくて、これまでの人生を振り返った「半生記」です。タイトルにある「幸福論」は冒頭の10分の1くらい)
 

 水木先生の生きざまを辿っていくと、とにかくマイペースで、世の中の慌ただしさに合わせるのが苦手だったのだな、というのが伝わってきます。
 最初に就職したときは「仕事に身が入っていない」というような理由で、2つの会社で立て続けにクビになってしまいます。
 その後、想像を絶するような従軍体験(でも、そのなかで、南方の島の人たちのおおらかさに触れて、そのまま南方の島に永住しようとした、という話も出てきます)があり、帰国後も、紙芝居や貸本漫画などで、なんとか好きな絵を描いて食べて行こうとするのですが、描いても描いても生活は厳しかった。
 またこれが、儲からないほう、儲からないほうに行っちゃうんですよね。水木先生は。
 40歳近くなって、少年漫画誌の連載がヒットし、『鬼太郎』もアニメ化されるなど、ようやく生活は安定してきたものの、今度は仕事が忙しくなりすぎてしまいます。
 それでも、売れなかった時代の反動もあり、来た仕事はほとんど全部受けていたのですが、久しぶりに戦争中に永住を考えた島に行ったことをきっかけに、仕事をセーブするようになったそうです。


 この「幸福の七カ条」には「なまけ者になりなさい」と、書いてあるじゃないですか。
 僕などは、これを読んで、ああ、ぐうたらしていても良いのだな、と思ったのですが、この本を読むと、水木先生はワーカホリックなんじゃないかという気がしてきます。
 生きるためには働かなくてはならなかったし、そういう時代でもあったのでしょうけど、すごい仕事量をこなしていたみたいです。
 本人は、全然「なまけ者」じゃないんですよね。
 むしろ、ワーカホリックになりがちな自分への戒めとして、この条文をつくったのではないか、と感じました。


 この本の「第六条」の解説には、こう書いてあります。

 自分の好きなことを自分のペースで進めていても、努力しなくちゃ食えん、というキビシイ現実があります。それに、努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。だから、たまにはなまけないとやっていけないのが人間です。
 ただし、若いときはなまけてはだめです! 何度も言いますが、好きな道なんだから。でも、中年をすぎたら、愉快になまけるクセをつけるべきです。

 実は「若いときはなまけるな!」って仰っているのです。
 中年以降は、なまけるというか、しっかり休養と気分転換をするべきだ、ということなんですね。


 しかも、水木先生の場合は、休みといっても、いろんな国に旅行に出かけていて、あんまり「のんびり」はしていません。
 荒俣宏さんと一緒に妖怪の話などしながら出かけておられたそうなのですが、この二人の妖怪談義、どこまで行っても止まりそうもないですし。


 お酒が飲めず、食いしん坊だった(『孤独のグルメ』の主人公・井之頭五郎みたいですね)水木先生は、忙しくても、食事はしっかり摂り、睡眠時間も8時間は確保していたのだとか。
 そもそも、「眠気には抗えない体質」だったと本人は仰っています。
 要するに、ものすごく仕事をしていたけれど、食欲と睡眠欲という人間にとっての生活の基盤だけは、犠牲にしなかった、ということなんですね。
 やっぱり、しっかり「食べること」「寝ること」って、大事なんだなあ、と。
 お酒が飲めず、漫画家仲間との付き合いもあまり無かった(と言っても、つげ義春さんがアシスタントをしていた、という話もあるのですが)というのも、水木先生の長寿の理由だったのかもしれません。


 水木先生は、この本のなかで、自らの戦争体験について語っておられます。

 私には「ビンタの王様」のあだ名が付いた。もちろん見舞うのではなく、食らう方の王様だ。確かに失敗を重ねた。自分なりに一生懸命だったが、迅速を旨とし、要領が幅を利かせる軍隊では「水木さんのペース」はどうしてもだらけて映る。

 大勢が死んでいった。祖国のため、愛する者のために勇敢に散った人たちもいるが、無謀な命令による死も少なくなかった。この陣地を死守しろとか、あの丘を攻略しろとか、大局からみるとちっぽけなことにこだわり、死が美化された。面子、生き恥、卑怯という言葉のために多くの兵士たちが死んだ。
 戦いに倒れた人たちばかりではない。二人乗りの小舟で行軍中、ワニに引きずり込まれた戦友がいた。一瞬の出来事ですぐ脇にいた私は気付かなかった。獲れた魚を口にくわえたまま、もうひと潜りしようとしたとき、魚が暴れて口の中に入り込んでしまい、窒息死した仲間もいた。
 自作の劇画や漫画の中で、最も愛着深い作品は何かと聞かれれば、『総員玉砕せよ!』と答える。ラバウルでの体験をもとに描いた戦記ものだが、勇ましい話ではない。誰に看取られることもなく、誰に語ることもできずに死んでいき、そして忘れられていった若者たちの物語だ。

 当時の戦場では、飢えや疫病による死者が多かったと言われています。
 ワニにいきなり引きずり込まれて、とか、魚をのどに詰まらせて、なんて、フィクションだとしたら、むしろコントですよね、
 でも、現実の戦場には、そういう「カッコ悪い、虚しい死」が満ちあふれていた。
 『総員玉砕せよ!』は、そういう「ドラマチックな死すら与えられずに消えていった若者たちを描いた漫画」でした。
 淡々として、生死についても達観しているように見える水木先生ですが、「戦争」についてだけは、終生、憤りを持ち続けていたのです。


 奥様との結婚生活や漫画家としての成功、「妖怪ブーム」で、故郷に「水木しげる記念館」や「水木しげるロード」ができたこと。6歳年下の手塚治虫先生の名を冠した「手塚治虫文化賞特別賞」を受賞したとき、奥様と二人の娘さんに「えっ、もらうの?」と言われたこと。

「楽をして、ぐうたらに生きる」が私の座右の銘で、六十歳を超えてから何度も南洋の村に永住しようと本気で考えた。だがその都度、妻子の猛反対にあって断念した。世俗の仕事に追いまくられ、「人生、思い通りには運ばない」とボヤいていたが、このごろは生涯現役も悪くないのかなあという心境になってきた。どうやら、勤勉な妖怪が私に乗り移っているらしく、死ぬまで忙しそうだ。
 心配のタネがひとつだけある。「水木サンのルール」が果たしてあの世で通用するのかどうか。これだけは死んでみないと分からない。
 ではまた、あの世で。いずれお会いできる日を楽しみにしている。


 訃報を聞いた直後に読むと、なんだかとてもしんみりしてしまうのですが、これが単行本として出たのは、2004年。
 「ではまた、あの世で」って言いながら、その後、平然と10年以上も現役で描き続けていたことを思うと、なんだかちょっとこちらも泣き笑い、って感じになってしまうのです。
 僕も、いつかお会いできる日を楽しみにしています。


総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

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