琥珀色の戯言

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スポットライト 世紀のスクープ ☆☆☆☆



2002年、ウォルター(マイケル・キートン)やマイク(マーク・ラファロ)たちのチームは、「The Boston Globe」で連載コーナーを担当していた。ある日、彼らはこれまでうやむやにされてきた、神父による児童への性的虐待の真相について調査を開始する。カトリック教徒が多いボストンでは彼らの行為はタブーだったが……。


参考リンク:映画『スポットライト 世紀のスクープ』公式サイト


 2016年6作目の映画館での観賞。
 今年のアカデミー賞の作品賞・脚本賞受賞作です。
 平日のレイトショーで観ました。
 先週観にきたときには、震災後の設備チェックで映画館が閉鎖されていたため、出直し観賞となりました。観客は10人くらい。


「すごく抑制された映画だなあ」というのが、率直な印象でした。
 カトリックの神父たちによる幼児への性的虐待の実態をスクープしたアメリカの新聞「The Boston Globe」の実話を元にしたものなのですが、僕が観る前に予想していた、記者たちへの激しい妨害とか内面の葛藤とか虐待のシーンの映像とかは劇中にはなく、記者たちの綿密な取材の様子が、淡々と綴られていく、そういう映画だったのです。
 記者たちの家のドアのチャイムが鳴るたびに、脅迫者が来た!と、ドキドキしていたのだけれど。


 メディアは、この事実を大きく採りあげてこなかったのです。
 材料は、揃っていたはずなのに。
 カトリック信者が多い地域だから、新聞が売れなくなるのではないか、アメリカのなかでもエリート層が多く、閉鎖的なボストンという町での「無言の圧力」、記者たちの「それを書いたらヤバいのではないか」という思い込み……
 実際の取材のプロセスのなかでは、関係者による「デメリットのほのめかし」や「面倒なことに巻き込まれたくないと尻込みする人々によるちょっとしたサボタージュ」があったくらいで、僕が想像していたようなひどい取材妨害とか信者の猛抗議、みたいなものはなかったのに。
 教会はマフィアじゃないから、殺し屋を送り込んでくることはあるまい、と思うんですよ。
 ただし、それはあとから見ればそうだった、というだけのことで、カトリック信者が多い地域で教会を敵にまわす、というのは、マフィアに狙われるよりも怖いことなのかもしれません。


 「The Boston Globe」も、100%の善意で記事を書いているわけではなくて、記事を出すタイミングを見計らったり(クリスマスシーズンは避ける、とか)、他紙に「抜かれる」ことをおそれて情報が拡散しないようにしたりしているのです。
 少しでも早く記事にすれば、被害に遭わなかった子どもがいたかもしれないのに。
 記者たちも、懸命に取材しているのは、社会正義のためだけではなく、「特ダネ」をものにしたいという功名心が大きかったのです。
 そして、「社会正義」を実現しようという熱心な仕事の裏で、彼らの家庭は、ボロボロになっている。
 マスメディアは、企業でもある。稼がなければ、続けていけない。
 ただ、その枠のなかで、少しでも世の中を良くしたい、という人もいる。


 神父たちによる幼児虐待という許されざる罪が、なぜ、長い間見過ごされてきたのか。
 それも、世界各国で。
 虐待神父たちは、父親がいない貧困家庭の、羞恥心が強く、口が堅い子どもを「狙っていた」そうです。
 現代は、神にとっても、存在しにくい時代であり、そのなかで神を信じつづけるというのは、とても難しいことなのでしょう。
 彼らにだって、それが悪いことだとはわかっているはずなのに。
 作中に出てくる「神父のなかの小児性愛者の割合」をみて、僕は愕然としました。
 神父による虐待が判明した世界各国の都市をみて、絶句しました。
 ここまでのことが行われていたにもかかわらず、それまで、訴えていた人がいたにもかかわらず、誰も、彼らに手を差し伸べなかった。
 犠牲者は自ら命を絶ったり、精神的に大きな傷を抱えたまま生きていくことになったりしているのに、教会は権威の失墜をおそれて、ひたすら隠蔽しようとし続けたのです。
 なんらかの対策を行っていれば、加害者の神父たちも「救われた」かもしれないのに。


 この映画、「マスゴミ」とか気軽に言ってしまう人にこそ、観てもらいたいのです。
 彼らは「ゴミ」かもしれない。
 でも、僕たちもみんな、ゴミなのです。
 自分に火の粉が降ってこなければ、「事なかれ主義」に陥ってしまう。
 犠牲者は運が悪かったのだ、と自分の幸運に感謝して、それでおしまいにしてしまう。
 「教会」という大きな存在の前に「逆らわないほうがいい」と思考停止してしまう。
 その「壁」は、実際には叩けばすぐに崩れてしまうものだったのに。
 「The Boston Globe」は、教会だけではなく、「閉鎖的な地域に住む人々の反応」もおそれていました。

 「The Boston Globe」のひとりの記者は、自分の過去の未熟さと向き合い、そのなかで、少しでもマシになることを選んだのです。
 たぶん、ひとりの人間には、そのくらいのことしかできない。


 派手なシーンは、一切ありません。
 だからこそ、人間の「思い込み」というものの怖さを感じる映画なのです。


 しかし、「実録もの」好きの僕でも、「こういうのって、ドキュメンタリーじゃダメなのかな……これが『アカデミー作品賞』を受賞するというのは、娯楽としての映画の敗北じゃないのかな……」とか、つい考えてしまうのも事実なんですよね。
 『スポットライト 世紀のスクープ』は、本当に、素晴らしい作品なんですけど。

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