琥珀色の戯言

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【読書感想】ルポ アフリカに進出する日本の新宗教 増補新版 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

幸福の科学真如苑崇教真光統一教会創価学会……
日本の新宗教が、なんとアフリカで大人気!? 
文庫化に際し、新章「日本に進出するアフリカの新宗教」を増補。

コンゴウガンダ、ガーナ、ブルキナファソコートジボワール……アフリカ各国で著者が出会ったのは、なんと日本の新宗教を信じる現地住民たちだった。統一教会創価学会真如苑崇教真光幸福の科学ラエリアン・ムーブメント天理教などを信じる彼らの生活や思い、現地での実像や人気の理由に迫る、唯一無二のルポ。その後の情報を追記し、新章を増補。


 近年、あらためて社会問題となり、政界との癒着が指摘されている統一教会をはじめとする新宗教なのですが、僕自身はその信者と直接の接点を持ったことはありません。
 もちろん、信者の数や社会的浸透度を考えると、僕が知らなかったり、相手がそんな内面を見せなかっただけで、実際にはたくさんの「信者」たちと接しているはずです。

 大学に入学したときに、親切に見えた先輩に誘われた「新入生歓迎鍋パーティー」に、少しでも新しい環境に馴染めればと参加していたら、その後、どうなってしまったのだろう、と考えてしまいます。
 僕が20歳前後に「オウム真理教」が隆盛となって、同級生が失恋をきっかけにオウムの信者となり、その後ずっと行方不明です。
 休日の朝にインターフォンが鳴らされ、宅配便かと出てみたら、「物価高を克服できる、社会の真理の話」をしたいという上品そうな中年女性の声が聞こえてきてうんざり、みたいなことも、いまの日本で生活しているとよくある話でしょう。

 多くの「自分は無宗教だと思っている日本人」にとって、宗教というのは、無防備に関わると、洗脳され、多額の献金や布教を強要され、人生を誤る「関わりたくない存在」ではないでしょうか。僕にとってもそうです。
 とはいえ、お葬式や結婚式には、それなりに「宗教色」はあるわけで、神様の前で永遠の愛を誓い、仏様の前で死者の冥福を祈っているわけです。
 なんのかんの言っても、「何かに祈りたくなるとき」はありますよね。

 この本、「在外公館派遣員」としてアフリカのブルキナファソという国で働いていた著者が、現地に一定数の信者を持つ、さまざまな「日本の新宗教」の信者や教団施設を訪ね、彼らがどのようなきっかけで、遠く離れた日本の新宗教のことを知り、信じるようになったのか、あるいは、その教団は、アフリカでどのような活動をしているのかについて記録したものです。
 いわゆる「学術書」ではなくて、直接現地の人にあたってみた「ルポ」であり、著者は、いまの僕や多くの日本人が抱いているような「統一教会創価学会といった新宗教への猜疑心」をなるべく持たずに、取材相手と接しています。

 原本は2016年7月に上梓されたものなのですが、この増補新版は「単行本後」のことも書き加えられ、2024年11月に刊行されました。
(ただし、増補分以外のほとんどの内容は、2016年版と同じです)

 この本を読んでいると、「何を信じるのか」「どんな基準で信じるのか」というのは、本当に人それぞれ、あるいは国や文化によって違う、ということを思い知らされます。

──日蓮正宗の信徒だったのにどうして幸福の科学に入ろうと思ったのですか?

「釈迦は2000年前に死んだ釈迦が書いたものを読むよりも、その生けるブッダの声を聴いたほうが有意義じゃないか、そうだろ? 仏教は間接的で、幸福の科学は直接的なんだ。仏教は釈迦が書いたものを読むだけだが、幸福の科学は天上界のお釈迦様の声をそのまま大川総裁が伝えてくれる。ずっと明確だ」

 確かにずっと明確だが、12年間も日蓮正宗の信心を続けた人がそんなに簡単に「仏陀再臨」を信じるものなのだろうか。


 うーむ、そういう考え方もできるのかな……
 僕の感覚としては「歴史の評価に長年さらされ、生き延び、洗練されてきた教義のほうが安心できそう」なのですが、「どうせだったら、今の時代に近い人がわかりやすく語っているほうがよくない?」というのも、ひとつの考え方ではありますよね。
 事あるごとに、いま生きている人まで「霊言」が出てくると、胡散臭いと僕は感じずにはいられないのだけれど。
 リアルタイムでイエスブッダの教えを聞いていた人たちは、どうだったのだろうか。


 アフリカの人々の信仰心について、著者はさまざまな新宗教の信者と接し、著者自身の印象とともに、それぞれの意見を紹介しています。

 ウガンダ在住の日本人天理教信徒の話より。

 ──ウガンダでは幸福の科学が流行っているそうですね。

「ああ、そうそう。確か大川隆法が来たんですよ。ガーデンシティの前に大きな看板が出てました。あれ今もまだ貼ってあるのかなあ? それに日曜日になると大川隆法の顔が載ったバスが走ってます。でも、講演に来た時はね、キリスト教の偉い人の霊言をしたそうで、それでキリスト教の人が怒ったみたいですね」

 ──でも、もちろんこっちの人にも幸福の科学を真面目に信仰している人もいますよね?

「うーん、どうでしょうかね。正直こっちの人は本当に結局お金ですよ、お金ね。奨学金がもらえなくなったからこっちの教会辞めて、あっちの教会に行きますとか、宗教自体も簡単に変えますからね。うちのほうでも、以前奨学金とか援助してたコがいましたけど、リーマンショックの時に財政が厳しくなって、『もう奨学金出せません』ってなったら、それ以降そのコも来なくなりましたから……」
 
 ウガンダ人を宗教に結び付けるのは「純粋な信仰心ではなく結局お金」という意見だ。前述のように、かつてのアミン大統領もリビアカダフィ大佐の支援が欲しいがためにイスラム教に改宗した。日本人という先進国民がウガンダという後進国で慈善事業をしているわけだから、その善意を利用して先進国(日本)へ行って金を稼ぎたいというウガンダ人も多いのだろう。苦笑いをしながらこんなことまで言う。これには驚いた。
「それに、天理教の修養科まで出たのに行方をくらました人もいましたよ。また、ここで二年間くらい世話していた青年がいましたけれど、その青年もね、日本に行ってニ、三日でいなくなりましたからね。やっぱり二年も真面目に一緒にいれば信用するじゃないですか。でもそんな人も結局日本に行ったら行方不明になってしまうんですよ……」


 やっぱりお金とか現世利益だよね……と、悲しくなってしまう一方で、アフリカの人々も、宗教を「盲信」しているわけではないんだな、と、ちょっと安心してしまう面もあるのです。

 著者は、アフリカ人の宗教観について、こんな印象を述べています(アフリカという大陸のさまざまな国の住民を「アフリカ人」と一括りにしてしまうのは乱暴かもしれませんが)。

「宗教に興味がある」という言葉は日本で聞くと「怪しい新興宗教に入会しそうな人」を指し、「そんなヘンなことに興味を持つのはやめなさい」となる気がするが、むしろアフリカでは「宗教に興味がある」というと、正反対に「哲学的で真面目な真実を追い求めている人」みたいな意味で、「不信心者はその敬虔さを見習いなさい」となる気がする。


 宗教、とくに新興宗教=怪しい、というのは、日本では標準的な考えかたであっても、世界各国は必ずしもそうではないし、日本人が「宗教は信じていない」というと海外で困惑されることも多いそうです。


 ブルキナファソ在住の統一教会の信者、鈴木さんは、ブルキナファソでの統一教会について、著者とこんな話をされています。

 統一教会には霊感商法というイメージがあるが、鈴木さんによるうとブルキナファソで「壺なんか売らないですよ(笑)」とのこと。確かに、仮に高価な壺や美術品をわざわざ取り寄せてブルキナファソで売ったとしても、国民にそこまでの購買力がないので商売にならないだろう。いわゆる「霊感商法」も、ある程度市場経済が発達して国民の所得水準が高く、購買力のある国でなければ難しい。
霊感商法も過度な献金もやっていない」と言うのなら、確かに、悪い印象は持たれていないと考えるのも間違っていない気がする。ブルキナファソというアフリカの世界最貧国に住む信者に多額の献金を要求したところで、日本やアメリカの信者が行う献金に比べれば、たかが知れた額にしかならない。さらに信者数が150人程度という規模を考えれば、多額の献金を強いるというのは費用対効果からして労力の無駄以外のなにものでもない。むしろ「貧しい国でいい印象を持たれています」というのは先進国でのイメージアップに繋がる。統一教会側がこのような換算を考えているわけではなく、ただの僕の推測だが、結果的にはそういうことになる。
 こうしたことを考えると、ブルキナファソでは既存のキリスト教会と聖書の解釈や教義に対する真贋論争はあっても、日本でのように「カルト」扱いは受けていないようだ。鈴木さんもこう言う。
キリスト教の人と聖書について話したり教義について話すと、すごい口論、罵り合いみたいになるんだけど、普通の人はむしろ『わかりやすい』って言ってくれる」


 統一教会の場合は、歴史的な背景もあり、日本の信者からの搾取が特にひどい、というのも知られています。

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 「搾取できるほどの経済力がない国ほど、教団はお金にこだわらない、純粋なものになっていきやすい」面はありそうです。
 そして信者は、「苦しい生活から逃れるのに信仰そのものを深める人、教団のお金や人脈を利用して豊かになろうとする人」に二極化しやすいのかもしれません。

 マルクスに「宗教は大衆のアヘンである」という有名な言葉があります。
 でも、末期がんの人の苦痛を和らげるには、モルヒネが必要な状況もあるわけです。
 日本とはあまりにも違う環境で日本から来た新宗教を信じている人たちがこんなにいるというのは、不思議な気分になるのと同時に、自分にとっての「常識」は、必ずしも世界標準ではない、ということを思い知らされます。

 とはいえ、いまさら僕自身が宗教的な人間になれるとも思えないのですが。


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