- 作者: 加藤佳一
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2017/04/04
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
途中下車を愉しみつつ、終点の情景を求める旅へ「終点」―。この言葉に、えもいわれぬ郷愁を感じるのはなぜだろう…。列車を降りると、読み方もわからない行き先を掲げて待つローカル路線バス。坦々とたどる細道の先、谷あいや岬の小さな集落にポツンと立つバス停。そんな懐かしいふるさとの情景を求めて、土地に生きる人々とふれあい、自然の恵みを味わう小さな旅24コースを紹介。
テレビ東京の人気番組の影響もあって、「路線バス」が話題になる機会は増えているように思われます。
ただ、実際に自分がああいう旅をするかというと、なかなかそうはいかないですよね。
時間の制約もあるし、バスが1日に何本かしかないようなところには、わざわざ行く魅力はないだろう、とか考えてしまう。
そもそも、行き先の候補にすら挙がらない。
著者は以前、バスの雑誌で「終点の構図」という、「ローカル路線バスの終点の風景の写真1枚+その土地に関するエッセイ」という連載を続けておられたそうです。
ところで、「終点の構図」取材の目的はあくまでも終点風景の紹介だけれど、実は駅から終点に向かう行程で、大きな感動に出会うことも少なくなかった。思わずシャッターを押しまくってしまう絶景、乗客や沿線に住む人々とのふれあい、途中下車して味わった自然の恵みなどなど。なかには、道中あれほど自然や町並みを楽しめたのに、終点があまりにも殺風景で落胆することすらあった。これはいつか、いわゆる盲腸線、行き止まりのバス路線を、途中下車しながら楽しむ旅の全行程を記事にしてみたいと考え始めた。
そんな矢先の2013(平成25)年春、講談社ビーシーが発行する『バスマガジン』というバスファン向け雑誌の編集部から、連載執筆の相談を受けた。迷うことなく、ローカル路線バスを使った「終点までのバス散歩」を提案。連載が始まり、途中で「終点の情景を求めて」にリニューアル・増ページされ、4年間で計23回の旅を重ねてきた。
『バスマガジン』っていう、バスファン向けの雑誌があるというのを僕ははじめて知りました。世の中には、本当にいろんな雑誌があるんですよね。
『バスマガジン』くらいだったら、まだ「それほどマイナーじゃない趣味」なのだろうか。鉄道雑誌はいっぱいありそうだけど。
僕もこの本のタイトルをみて、即座に手にとってしまった一人ではあるんですけどね。
この新書で「ローカル路線バスの終点」についての描写を読むと、満員電車が走り、高層ビルが建ち並び、道を歩いていると外国人観光客に当然のごとく英語で道を尋ねられる東京だけが「日本」じゃないのだよな、とあらためて思い知らされます。
長野県木曽郡木曽町の「高坪」というバス停への旅より。
やまか温泉前のバス停に戻り、10時11分発の巡回バス開田西野線を待つ。やってきたのはマイクロバスで、3人のおばあさんの顔が見えた。
「○○さん先に降ろすから、△△さんはもうちょっと待っててね」。古幡康明運転士はまだ若いが、フリー乗降区間の乗客の顔ぶれをすっかり把握している。なかには足下のおぼつかない人もいて、思わず私も手を貸した。
西野川を渡り、朝夕の幹線バスが折り返す神田宮前を通過。もう一度、橋を越えて右岸に戻ったところが、終点の高坪だった。数軒の民家と小さな畑以外に何もなく、バスがエンジンを停めるとせせらぎの音だけが聞こえた。
「じいちゃん、ばあちゃん、ばかりでしょう?」と笑う古幡運転士。「やまかの湯」より奥に子どもはおらず、各便の乗客は数人だという。そんななか、シーズンを迎えた観光路線が開店休業状態となったことが、本当に残念そうだった。
この新書を読んでいると、ローカル路線バスの運転士さんは、その路線をずっと専属で運転していたり、毎日利用しているお客さんの行き先を把握していたりと、「地域に密着」していることが多いようです。
観光バスでもないのに、著者にいろいろと説明や観光ガイドをしてくれる運転士さんもたくさんいました。
「過疎」と呼ばれていて、人の密度が小さい地域のほうが、そこにいる人と人との距離は近くなるのだろうか。
京都市左京区の「広河原」への旅で、修験道の山岳寺院・峰定寺を訪れたものの、門前に「本日は入山できません」という木札がかけられており、著者は落胆してしまいます。
失意のどん底で来た道をとぼどぼ。とりあえず昼食をとろうと、アマゴと山菜料理の「桂雅堂」へ。「山菜かやく寿司」を注文したところで、峰定寺を拝観できなかった無念を訴える。
「それは残念やったですねえ」とご主人。先代住職が亡くなり、いまの住職は本山と兼務なので、先代住職の夫人が1人で寺を守っているとか。高齢だから、体調でも崩したのだろうと推測する。境内撮影禁止、荷物持ち込み禁止、雨の日は入山不可……。観光地ではなく修行の場ゆえ、禁則事項が多い峰定寺。それを不服に感じた拝観客が、「桂雅堂」で愚痴ることは少なくないという。そんなとき、ご主人はいつも寺の歴史や花背の昔話などを語り、和んでもらうよう努めているそうだ。
話をうかがいながら食べるかやく寿司は、ワラビ、タラの芽、タケノコ、イタドリ、ウドと山の幸いっぱいで、とても風味豊か。食後にフキノトウのようかんとコーヒーも添えられたが、かやく寿司の代金しかとってくれず、「遠くから来てくれはったのに、お寺が閉まってたお詫びです」と笑った。
お寺が閉まっていたのは、この店主の責任ではないし、そもそも、お寺の状況を考えたら、そういうことがあるのは致し方ないはず。
でも、こういう「おもてなし」をしてくれるんですね。
それで、また来てくれれば……ということなのかもしれませんが、利益で考えると、再訪してくれる可能性を含めても、黒字にはならないでしょう。
路線バスって、ふだん自分が利用する路線って、あんまり「特別なもの」という感じはしないですよね。
福岡市の都心・天神。20以上ある乗り場に、引っ切りなしに西鉄バスが発着している。しかし、その中に唯一、島に渡る路線があることは、あまり知られていない。昭和通りの天神郵便局前18A乗り場に、1時間に1回現れる<21系統>だ。行き先に掲げた「志賀島(しかのしま)」は集落名ではなく、玄界灘に浮かぶ島の名前。いったいどんな島なんだろうか。ゴールデンウイーク最後の一日、この<21系統>と島内のローカルバスを乗り継ぎ、途中下車を繰り返しながら、島の最果てをめざしてみた。
そうか、「志賀島」って、島だったんだよな、そういえば。
……近隣住民にとっては、こんな感じなんですよ。
地元の人間は、その「特別なところ」に、ほとんど気づかない。
たしかに「日本の原風景」みたいなものが伝わってくる本だと思います。
バスセンターで、たぶん一生乗ることがないバスの路線図をみて、「どんなところに行くのかなあ」なんて想像してしまう人には、おすすめです。