琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【映画感想】首 ☆☆☆☆

天下統一を目指す織田信長は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい攻防を繰り広げていた。そんな中、信長の家臣・荒木村重が謀反を起こして姿を消す。信長は明智光秀羽柴秀吉ら家臣たちを集め、自身の跡目相続を餌に村重の捜索命令を下す。秀吉は弟・秀長や軍師・黒田官兵衛らとともに策を練り、元忍の芸人・曽呂利新左衛門に村重を探すよう指示。実は秀吉はこの騒動に乗じて信長と光秀を陥れ、自ら天下を獲ろうと狙っていた。

北野監督がビートたけし名義で羽柴秀吉役を自ら務め、明智光秀西島秀俊織田信長加瀬亮黒田官兵衛浅野忠信羽柴秀長大森南朋、秀吉に憧れる農民・難波茂助を中村獅童が演じる。


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2023年映画館での鑑賞22作目。 平日の夕方からの回で、観客は10人くらいでした。

北野武監督の作品は、DVDや配信、映画館でずっと観てきたのですが、この『首』は、北野監督自身が羽柴秀吉を演じ、『本能寺の変』を題材としたもので、正直なところ、「どんな顔をして観ればいいのか、よくわからないなこの映画」と観ながらずっと思っていました。

人がどんどん死に、切られた首がポンポンと飛び交う光景は、悪趣味にポップな感じで、「ああ、戦国『アウトレイジ』か……」とわかったようなつもりになっていたのです。

「なぜそうなるのか?」首をひねるような展開になり、それが北野武監督の「老い」や「パターン化」によるものなのか、「北野武映画のセルフカバーを作って、戸惑う観客を含めて『作品』にして『こんな えいがに ほんきになって どうするの』と観客にツッコミを入れる『たけしの挑戦状』」なのか?

観客を戸惑わせる作品、という点では、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』にも通じるものがありそうです。


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『レジェンド&バタフライ』のときも思ったのですが、僕は「史実を監督・製作陣が自由に解釈した映画」が苦手みたいです。
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この『首』は、荒木村重の謀反からはじまるのですが、ある程度、戦国時代の歴史の予備知識がないと、ストーリーや登場人物を理解するのは大変だと思わます。

僕のような歴史ファンにとっては、「こんなに改変してコントみたいにしてしまうのでは、史実を題材にする意味があるのだろうか」と落ち着かない映画でした。

「大将首」を求めて殺し合う戦国時代の世の中を描き、残虐を突き詰めれば、コントみたいなものになってしまう、ということなのだろうか。
考えてみれば、今から80年前の日本人は「竹槍でB29を落とす訓練」とかを国の命令で本当にやらされていたわけで(やっていた人たちは「無理だろ」と内心思っていたとしても)、近年でも上司に気に入られて出世するために、無謀な粉飾決算を作り上げてしまう企業戦士も少なからずいたのです。
「なんじゃこれは……」というパワハラと暴力と権力欲の世界は、形を変えて、人類に脈々と受け継がれています。

笑えないコントが続き、残虐なシーンに辟易させられ、楽しくはないし、「いくらなんでも、こんな人たちじゃないだろ……」と出てくるのが歴史上の人物なだけに納得できない物語ではありました。

そもそも、北野武さんは、羽柴秀吉を演じているわけではない。羽柴秀吉という設定でコントをやっているようにしか見えません。
そして、北野さん自身も「みんなのイメージの秀吉らしい外見とか振る舞い」にこだわってはいない。
ただ、あの時代で、もっとも「目的のためには手段を選ばなかった、合理性の人物」として「秀吉」という記号を使っただけのように感じました。

でも、あの時代にはインターネットどころか写真も映像もDNA鑑定もなかったわけですから、「相手の大将の首を確かめる」というのは「合理的な方法」だった、というか、そうするしかなかったのではなかろうか。

それを言うなら、書状の真贋なんて、当時だってその専門家じゃないとわからないはずだし。

結局のところ、ひたすら残虐で、欲と恐怖にまみれた人たちが騙し、出し抜きあう映画で、北野武監督の『アウトレイジ』路線の集大成のような感じです。
それだけに「歴史上の戦国武将を巻き込まなくてもいいのに」という気はしました。
「これが『本能寺の変』の真相だ!」という作品では全くないのですが、逆に「それなら、なぜこの題材にしたの?」と。

それでも、僕が子供のころに観た、大河ドラマ徳川家康』で、「本当は豊臣秀頼を殺したくなかった、心の優しい、天下を平和にすることを追い求めた家康」の居心地の悪さ(そんな聖人なわけないだろ!)、嘘くささに比べれば、この『首』の武将たちのほうが、まだ「受け入れられる」気はしたのです。
麒麟がくる』の明智光秀と信長の関係も、史実がどうだったのかはわからないとしても、「美化されすぎていて気持ち悪かった」のだよなあ。

北野武監督が、史実に忠実、あるいは司馬遼太郎作品や、大河ドラマみたいな『本能寺の変』を描いても、面白くもなんともないし、『首』は「北野武らしい映画」ではあるのです。ラストはけっこう好き。


大日本人』が、松本人志さんにしか撮れない映画だったのと同じように、この『首』も、北野武監督にしか撮れない(規模的にも、この内容でお金を集められないという点でも)映画だと思います。

他人に薦めるのは躊躇われますし、「良い映画」とは言いづらいのですが、「記憶に残る映画」、「何だこれ?」と思いつつ、こんな感想を書いてみたくなり、でも、うまく書けた気がしない、そんな作品です。
渾身の作品なのか、自分自身や黒澤明監督の晩年をも「ネタ」にしたのか。


北野武の自分語りだ、と僕はラストをみて思ったのですが、滑舌が悪くなったり、再婚した夫人の影響でお金のことばっかり言っている、という報道が出たりしているのも、本当の「老害化」なのか「老害化した巨匠を演じてみせて、周囲の反応に一人になったらニヤリとしている」のか、北野武という人は、つかみどころがない。

そういうのも、こちらが勝手に幻想を膨らませているだけで、「単なる老い」なのかなあ。

個人的には、興味を持った人は、ぜひ、映画館で観ていただきたいと思っています。
家にいて配信で観たら、途中でうんざりして離脱する可能性が高そうだし、「なんだかよくわからない映画」は世に出にくい時代でもありますし。


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