- 作者: 岩崎周一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/08/17
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 岩崎周一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/08/25
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内容紹介
1273年、ドイツ南西部の雄として知られたルードルフ四世が、ドイツ王に選出されます。各国の相反する利害関係からの、「より悪くない選択」としての選出でした。しかしこの偶然が、その後の「ハプスブルク帝国」大発展の基礎となりました。
ヨーロッパ列強との婚姻関係がもたらした偶然も幸いして、帝国の版図は拡大の一途をたどります。なかでもスペインを領有したことで、その領土は中南米そしてアジアにも及ぶ広大なものとなり、「日の沈むところなき帝国」とまで呼び習わされるに至りました。19世紀のイギリスではなく、この時期のハプスブルク帝国こそが、元祖「日の沈むところなき帝国」だったのです。
その後も二度にわたるオスマン帝国のウィーン包囲の脅威をはねのけ、オスマンからの失地回復にも成功するなど、ヨーロッパの大国としての地位は維持されます。しかし19世紀になると徐々にフランス、イギリスなどのより「近代的」な国々の後塵を拝するようになります。そして自国の皇位継承者暗殺を発端として勃発した第一次世界大戦での敗北により、ついに終焉の瞬間を迎えます。
本書は、現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどに相当する地域を中心とする広大な版図と、そこに住まう多種多様な民族を支配下に置き、曲がりながりにも1000年の命脈を保った世界史上にもユニークな「帝国」の歴史を一冊の新書で描ききった意欲作です。
「ハプスブルク帝国」1000年の歴史を、この新書1冊で!
とはいえ、新書としては資料・参考文献も含めて450ページ近くもある、かなり分厚い本ではありますし、それでも「駆け足」な感じもするのですけどね。
ハプスブルク家を扱った新書としては、1990年に上梓された、『ハプスブルク家』を読んだことがあります。
fujipon.hatenadiary.com
この『ハプスブルク家』を僕が読んだのは、2013年でした。
今回、この一冊にまとめられた「ハプスブルク帝国の歴史」を読んでみると、研究の成果で、数十年のあいだに、過去の歴史のみかた、考え方がかなり変わってきているのだな、ということでした。
1000年前のことなんて、いまさら調べてもそんなに情報は更新されないのではないか、と思ってしまうのだけれど、実際はそうじゃないんですね。
『ハプスブルク家』には、13世紀後半に、ハプスブルク家のルードルフ一世がドイツ国王に選出された理由について、こう書かれています。
彼に白羽の矢が立ったのは、この男ならば他の君主たちよりも才能の恵まれ、懐具合も豊かで、皇帝にふさわしいと見なされたためでは決してなかった。事実はその逆だった。ハプルブルクのルードルフだったら、ボヘミア王やバイエルン公などと違って、所領はライン上流のわずかな地域にすぎず、財政潤沢というにはほど遠い。また君主の器でもない、と解釈されたにすぎなかった。
このときハプスブルク家の惣領が選ばれたのは、その当事者自身でさえが寝耳に水といった感じで受け止めたほど、意外なことだった。その何よりの証左は、帝国の使者が、当時バーゼルの町を包囲していたルードルフのもとに選挙結果を告げにきたとき、彼が使者にいった次の言葉である。
「ひとを馬鹿にするにもほどがある。そのような戯れ言をおっしゃるものではない」
以前の「通説」としては、「ルードルフ一世がドイツ国王に選ばれたのは、ある種のバランス感覚というか、みんなが、このくらいのヤツだったら扱いやすいだろうということで選んだ」というものだったようです。
しかしながら、この『ハプスブルク帝国』で、著者はこんなふうに述べているのです。
このときルードルフは55歳。当時としてはかなりの高齢であるが、長身痩躯の肉体は頑健で、衰えはみられなかった。これまでルードルフが国王に選出されたのは、諸侯が勢力拡大を図る都合から強力な王の登場を望まず、弱小な「貧乏伯」を良しとしたためとされてきた。しかし、選帝侯クラスの大諸侯には及ばず、帝国諸侯の資格も得てはいかなったものの、ハプスブルク家は先述した通り、この時期までにドイツ西南部屈指の有力勢力に成長していた。またルードルフは、家督を継いでから30年余りを経た老練な領邦君主であり、即位の際に自ら述べたように、勢力拡大のためなら武力行使も辞さない、「飽くことを知らぬ戦士」でもあった。
このような彼の経歴と手腕を、国王選出を主導したライン地域の諸侯が軽視したとは考えにくい。そのため今日では、適当な候補が見当たらない中、早晩衝突が予想されるフランス王やチェコ王に抗しうる人材と見込まれたこと、またシュタウフェン派であったため、諸侯の中でいまだ根強い親シュタウフェン勢力からの支持が期待できることなどが評価されての選出であったと考えられている。
歴史というのは、どうしても、「物語として面白い方向に解釈されやすい」ところがあるようなんですよね。
「とりえもほとんどない、無害な弱小勢力が選ばれた」わけではなくて、それなりに実績・実力があり、それを買われて選出された、というのが現在の解釈のようなのです。
言われてみれば、そりゃそうなんだろうな、という話なんですが。
また、有名な「ハプルブルク家の結婚戦略」についても、この新書では、こんなふうに書かれているのです。
ここで、有名だが誤解も多いハプスブルク家の結婚政策について触れておこう。これに関しては、「戦争は他国にさせておけ、なんじ幸いなるオーストリアよ。結婚せよ」というモットーの下、ハプスブルク家は政略結婚による領土拡大を図ったという説が広まっている。しかし、これは端的に言って誤りである。先述の言葉も詠み人知らずの揶揄に過ぎず、モットーや家訓などではない。ブルゴーニュ、スペイン、チェコ、ハンガリーでハプスブルク家に継承の可能性が生じたのは、相手方の系統断絶という偶然によるものだった。
そもそも政略結婚は、日本にもあまた例があるように、洋の東西を問わず、家門勢力を存続・発展させるための常套手段であった。ハプスブルク家の結婚政策も、結果としてきわめて大きな意味を持つことになったとはいえ、他家のそれと特に変わらなかった。
また、政略結婚は王侯貴族の専売特許ではなかった。中近世のヨーロッパにおいて、人々は身分を問わず、家の存続と発展を第一に考えて結婚を取り決めたのである。
ハプルブルク家の政略結婚は歴史に大きな影響をもたらしたのですが、それは、結果としてそうなった、ということであって、当時の王侯貴族としては(あるいは、王侯貴族に限らず)、ごく当たり前のことをやっていただけ、だということなんですね。
歴史というのを知っていくと、「親から子(または次世代)へ権勢を継承していく」というのは、そんなに簡単ではない、ということがわかってきます。
血縁のある人間に受け継がせようとするのであれば、なおさら。
子ども(この時代では男子)は、そんなに都合良く生まれてはくれないし、乳児死亡率が高い時代では、生まれても無事育つかどうかはわかりません。
運よく、多くの子どもに恵まれても、子どもどうしが権力をめぐって殺し合う、ということもあるのです。
ハプスブルク家は運がよかった、ということは確かで、その運を掴みやすいような下準備をしていたことも間違いないとしても。
歴史研究者のあいだでは、ハプスブルク帝国の「再評価」が進んできているそうです。
東欧革命の当事国の歩みが概してどこも順調とは言いがたかったことも、ハプスブルク史再考を促す重要な要因として挙げられる。とりわけユーゴスラビア内戦における凄惨な民族浄化は、ナショナリズムがはらむ問題を浮き彫りにした。
近代化と国民国家を理想ないし規範とする見方に疑問が呈され、複合的国制など、「前近代的」とされてきた事象に対する認識が刷新された(クリストファー・クラーク「ハプルブルク君主国は、国民国家的プランが必ずしも最善の解決法ではないことを我々に思い出させてくれる」)。これにともない、近代史研究家が中近世史研究に目を向けるようになり、両者の交流と研究の架橋が進み始めた。地域に対する認識や枠組みを相対化し、越境的な交流の諸相に注目する研究も盛んになりつつある。
またこれに関連して、かつてはもっぱら否定的な概念として用いられてきた「帝国」を、多種多様な国・地域・民族を包含する超越的な政治的枠組みと意味づけ、その可能性を探る議論も、今日「連邦制」や「統合」などをキーワードとして、活況を呈している。ここでもハプスブルク君主国は、重要な先行事例とみなされている。
(中略)
以上に略述した背景の下、冷戦終結以降のハプスブルク君主国史研究は、この国を特殊視せず、他のヨーロッパ諸国と共通の文脈の下で検討する姿勢を基本としている。「西欧」・「東欧」という(優劣のともなった)区分の問題性とイデオロギー性、そして西欧諸国が従来思われていたほどの「先進的」でなく、多くの問題と「前近代性」を抱えていたことが明らかにされたことも、このような変化に影響を与えている。
安易な比較や同一視には注意すべきだが、君主-諸身分間の(議会制による)合意形成システム、封建制、継承問題(結婚政策)、複合的国制、普遍主義、「宗教化」、神権的君主理念、「財政軍事国家」、啓蒙改革、パターナリズム、自由主義、多民族性、ナショナリズム、工業化、反ユダヤ主義、都市化、大衆政治、帝国主義(大国主義)といった諸事象は、他国でもみられたものだった。この意味でハプスブルク君主国は、ヨーロッパ諸国と多くの特徴を共有する、「ふつう」の国だったのである。
ハプスブルク帝国は、長く続いたこともあり、多くの人の想像力によって、「特別視」されがちだけれども、基本的には、他のヨーロッパ諸国と共通点が多い「ふつうの国」だった、ということなのです。
いまの歴史観は、そうなっているんだな、歴史というのは、結局、それを解釈する側の立ち位置によって、さまざまな評価をされるのだな、と考えさせられる新書だと思います。
けっこうボリュームがありますし、一度で全部の内容を頭に入れるのは難しいのですが、本棚に置いて、ときどき読み返してみたくなる一冊です。
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