琥珀色の戯言

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【読書感想】南北朝時代―五胡十六国から隋の統一まで ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

中国の南北朝時代とは、五胡十六国後の北魏による華北統一(439年)から隋の中華再統一(589年)までの150年を指す。北方遊牧民による北朝(北魏東魏西魏北斉北周)と漢人の貴族社会による南朝(宋・斉・梁・陳)の諸王朝が興っては滅んだ。北朝南朝の抗争や、六鎮の乱や侯景の乱といった反乱が続き、仏教弾圧や専制君主による「暴政」も頻発した一方、漢人遊牧民の文化が融合した転換期でもあった。激動の時代を活写する。


 Amazonのランキングでこの新書を見かけて感じたのは、「歴史に関する新書も飽和状態というか、もう人気のある時代や人物は大概採りあげられていて、どんどんニッチな内容ばかりになってきているな」ということでした。

 中国の「南北朝時代」と言われて、西暦何年くらいか、どの王朝の「狭間」の時期なのか、すぐに答えられる人のほうが少ないと思います。

 著者は、この新書の「はじめに」で、こう述べています。

「どの時代を研究しているんですか?」
 初対面の方に「中国史を研究しています」と自己紹介した際、よく聞かれる質問である。このとき「5~6世紀の南北朝時代の研究をしています」と正直に答えると、ほぼ間違いなくポカンとされてしまう。そのため、いつも「『三国志』と隋・唐の間で、日本でいうと倭の五王から聖徳太子ぐらいの時期です」と言葉を補うことにしている。
 原泰久の人気漫画『キングダム』の舞台である秦、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』や中島敦の『李陵』などで有名な漢、『三国志』でおなじみの三国時代、遣隋使・遣唐使を通じて古代日本と密接な関係にあった隋・唐と比べると、南北朝時代知名度は低いといわざるを得ない。
 では、実際のところ南北朝時代とはどのような時代だったのだろうか。時期としては、北魏華北統一を事実上果たした439年から、隋が中華を再統一する589年までを指す。北朝北魏東魏西魏北斉北周)、南朝(宋・斉・梁・陳)ともに王朝がめまぐるしく交替したため、戦塵にまみれた不安定な時代という印象をもたらしてしまう。


 僕は中国史が好きで、学生時代には歴史の本もかなり読みましたが、この「中国の南北朝時代」というのは、なんだかゴチャゴチャしていて王朝が入り乱れ、世界史で覚えるのもめんどくさかった、という印象があります。
 覚えるのに苦労したからこそ、今でも、「宋・斉・梁・陳」という南朝がワンセットで頭に残っているのですが。

 ただ、前秦の苻堅や梁の武帝(蕭衍)など、一代で大きな帝国を築き、英明な君主として栄華を極めながら、晩年は急激に没落して、さびしい死に方をしてしまった英雄のことは、強く印象に残っているのです。
 なんて浮き沈みが激しい、ジェットコースターのような人生なんだ……と。
 梁の武帝は、南朝の最盛期を築き上げ、その勢いは北朝をしのぎ、仏教保護政策で大寺院がたくさんつくられました。
 ところが、その最期は、反乱軍によって幽閉され、餓死してしまう、という悲惨なものだったのです。
 権力は腐敗する、といわれますし、名君が年齢とともに政務に飽き、失政を重ねていくようになるのは世の常なのですが……

 この新書で、中国の南北朝時代の歴史を追っていくと、皇帝の座をめぐっての親族間での凄惨な抗いや権謀術数に圧倒されてしまいます。


パソコンに、『Crusader Kings 3』という歴史シミュレーションゲームがあるんですよ。

www.youtube.com

中世ヨーロッパの一勢力(君主・貴族)となって、婚姻や戦争、陰謀、宗教的な影響力などを駆使して自家の勢力を拡大していく、というゲームなのですが(自家を守ることに専念し、まったりと遊ぶこともできます)、親族や味方に裏切られまくり、誰も信用できない血で血を洗う権力争いに「ゲームだから、権力争いを過剰にネタにしたんだろうな」と思いながら遊んでいたんですよ。

しかしながら、南北朝時代の権力争いや覇権が移るめまぐるしさは、「事実は歴史シミュレーションゲームよりも奇なり」なのです。

とにかく人が死ぬ、皇帝の座に上り詰めた、と思った人が、次のページではもう次の権力者に殺されてしまう、の繰り返しです。

寵臣や妻の親戚を重用すれば、彼らが専横し、王朝乗っ取りをたくらむし、かといって、同族の兄弟や親類に力を与えて王朝を守ろうとすると、今度は身内が反乱を起こす。
皇帝の権力が不安定だった南北朝時代というのは、短い期間に、この両極を行ったりきたりしていました。

 特異な制度としては「子貴母死」制があげられる。序章で述べたように鮮卑の間では妻や母の発言力が大きく、代国時代の祁氏のように権力を握ることもあった。そこで道武帝は皇帝の実母や外戚による権力掌握を防ぐため、後継者の決定後にその生母を殺す「子貴母死」制を創出したのである。このような制度は遊牧民にも中国諸王朝にも見えないが、先例がないわけではない。それは前漢武帝が行った皇太子弗陵(後の昭帝)の実母(鈎弋夫人)殺害である。(北魏の)道武帝は、この前代未聞の制度を作るにあたって、前漢の故事を典拠としたのである。409年(天賜6年)7月に拓跋嗣(鮮卑名は木末)が皇太子に選ばれると、この政策は実行された。生母の劉氏(独孤部出身)を殺された嗣は、哀しみのあまり日夜号泣して道武帝の怒りを買ってしまい、一時的に平城から逃亡するはめに陥った。


 現代人の感覚では信じられないですよねこんなの。
 というか、当時でも受け入れ難かったので、この制度はごく短い期間にしか適用されなかったのでしょうけど。

 しかしながら、この新書で南北朝の歴史を概観していくと、本当に「誰も頼れない、いつ反乱を起こされたり、暗殺されたりするかわからない皇帝の立場」が想像できるのです。
 それでも多くの人が帝位に就こうと暗躍しているのを読みながら、「そこまでして、つねに危険と隣り合わせの帝位が欲しいのかなあ」と考えずにはいられませんでした。
 「帝位が手に届くような立場である」ということそのものが「自分が皇帝になるか、それとも、皇帝に不安要素として殺されるか」の二者択一を余儀なくされる時代でもあったのです。

 著者は、この本のなかで、読んでいて憂鬱になるくらい、「帝位を簒奪された(奪われた)、前王朝の皇帝たちの末路」に言及しています。
 まだ幼い子供であっても、彼らは容赦なくなんらかの形で殺されたのです。

 こんなに「元皇帝の末路」にこだわらなくても……と思いながら読んでいたのですが、最後に、著者の「仕掛け」というか「元皇帝の「 その後』を記すことへのこだわりの意図」がわかったような気がしました。


 南北朝時代は、不安定な時代であり、北朝では部族社会と既存の貴族たちがせめぎあい、南朝では、華北から逃れてきた貴族たちと以前からの住人が混在していたのです。
 仏教に帰依し、過剰なまでの信仰心をみせた君主もいれば、苛酷な「廃仏」を行った皇帝もいました。
 そして、争いの時代だったからこそ、各国・それぞれの権力者は、競争相手に打ち勝つために、新しい政策や価値観を積極的に生み出していったのです。成功例はその一部だけではあったとしても。

 南北統一を果たした隋そして唐は、中国化を進めた北魏後期および北斉の制度・儀礼を国制の基軸に据え、遊牧的要素のある北周の制度も一部取り入れた、さらに南朝儀礼・学術・文化の影響も受けている。いわば南北朝の制度・文化が融合して成立した王朝なのである。近年、北魏前期から隋・唐までを「拓跋国家」と呼び、遊牧的要素の連続性を過度に強調する向きがあるが、それは実態に即していないといわざるを得ない。
 また、東アジア諸国は、北朝南朝の双方から制度・文化を摂取し、それぞれ国造りを進めていった。このうち倭・日本が南朝文化の影響を強く受けていることは、すでに多くの研究者が指摘している。しかし、意外なところで北朝の影響も受けている。例えば「太上天皇」である。697年に持統天皇が直系継承を実現するため、15歳の孫の軽皇子文武天皇)に譲位して「太上天皇上皇)」となり、譲位後も天皇を支えて大権を有した。以後、日本では譲位が盛んに行われることとなる。このとき持統天皇が参考にしたのは、北魏の献文帝の事例だったと考えられる。なぜならば、同時代の唐朝には太上皇の事例(高祖李淵)はあっても太上皇帝の事例がなく、律令にも規定がなかったからである。
 古代日本は7世紀に徐々に中国の制度を導入していったが、その過程で漢籍輸入を通じて『魏書』に記されていた「太上皇帝」の知識を入手したのであろう。そして、唐の律令をもとに独自の律令を編纂して天皇制を確立するなか、時代状況に合わせて「太上天皇」制を創出したのである。すなわち、日本の「太上天皇」制は、中国文化と遊牧民接触のなかで生まれた「太上皇帝」を日本の天皇制に巧みに取り込むことによって成立したのである。


 春秋戦国時代や楚・漢の攻防、『三国志』のロマンや隋・唐の大帝国に比べると、世界史の授業でややこしかった記憶しかない、この中国の『南北朝時代』の魅力のエッセンスが詰まった新書だと思います。
 当たり前のことなのですが、歴史というのは、後世からみたら「悲惨」にみえる時代でも、過去から未来へと、ずっと繋がっていて、「意味」を持っている、ということも考えさせられるのです。

 あと、この新書、文章がとても読みやすくてありがたかった。込み入った時代なのでなおさら。
 著者が1981年生まれの気鋭の研究者、ということもあるのでしょう。

 歴史関係の新書で「この分野の権威」として君臨されている御高齢の著者の本は「文章の格調が高すぎて読みづらい」と感じることが少なくないのだよなあ。


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