琥珀色の戯言

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【読書感想】なんとか生きてますッ ☆☆☆☆

なんとか生きてますッ (新潮文庫)

なんとか生きてますッ (新潮文庫)

内容紹介
もっとスマートに生きたい、そう願い続けているのに──。財布を忘れて新幹線に乗った朝。ラジオ局のロビーで納豆をかきこむ昼。泥酔して大事なMacBookにカレーをかけた晩。強烈おかんが家じゅうのドアノブに私のパンツを干す夜。気づけばいつも、崖っぷち! エリーのいるところ常に珍事あり。爆笑必至のエッセイ集。おぎやはぎ小木博明とのスペシャル対談と板尾創路による解説を新たに収録。


 大宮エリーさんの『生きるコント』というエッセイ集はすごく面白くて、僕の人生でも数少ない、声をあげて笑った本のひとつでした。
 僕の場合、本を読みながら涙を流してしまうことはけっこうあるのですが、笑うことはほとんどなくて。

 この『なんとか生きてますッ』を書店でみかけて、大宮さんのエッセイを久しぶりに読んでみようと手にとったのです。


 読んでみると、やっぱり、大宮さんの生きざまは面白い、というか、あまりにも天然でぶっ飛んでいて、お酒の失敗の話などは、「これを面白がって良いのだろうか、むしろ治療が必要なのでは……」とか、ちょっと思ってしまったんですよね。

 その数週間後、徹夜明けでふらふらだったが、手伝ってくれた年下の男の子に一杯おごりたいと思って誘った。が、白ワインに口をつけた瞬間から私はまた記憶がなくなってしまう。メニューを見て「そっか、オール五百円なんだねぇ」と言ったのは覚えているが、果たしてきちんとお礼が言えたのだろうか。気になって電話してみた。
「え?覚えてないんですか? すごい楽しかったのに! じゃあ写真撮ったので送りますよ!」
 そう言って送られてきた写真を見て、私は黙ってしまった。一枚目は白のグラスワイン片手に熱く語っている写真。二枚目が問題の写真。一時間後の私が写っているのだが、同じように熱く語っているけれど、おかしいのが、手にワイングラス風に持っている物がもうワイングラスではなくなっていて、小さなクリスマスツリーなのだ。バーのテーブルに置いてあったオブジェらしい。飲み進めるうちに、もうなんだかわからなくなったのだろう。ツリー片手にくだをまいているの図。
「エリーさん、そのあと回転寿司行ったの覚えてます?」
 覚えているわけがない。ツリーのオブジェを飲んじゃっているんだから。
「エリーさん、自分で寿司に行こうって言ったくせにガリばかり食べるの。しかも、めんどくさいのか、ガリ壺に手を突っ込んで手づかみで。最後は、ポテトチップスみたいにガリ壺を抱えて手でぼりぼり食べてた」最悪だ。泣きそうになる。が、それだけではなかった。「それでね、なぜかエリーさん、店員さんのことを先生って呼ぶの。ハイッて手をあげて『先生! ガリください!』って。そんで店員さんが困ってガリ壺を抱えたエリーさんに『もう食べてますよ』って言うとね、『あ、ほんとだ!』ってエリーさん驚くんです。これを六回繰り返してました、コントみたいに」
 これ、酔っぱらいじゃなく、もう病気じゃないかな。


 大宮さんは、東大を卒業後、大手広告代理店に就職して、こうして創作活動などで有名になって……という「エリート」でもあり、こんな豪快かつ可愛げのある飲みっぷりも見せてくれて……という人なのですが、この10年、20年くらいで、「お酒を飲んで記憶をなくしてしまう人」に対する世の中の見方はだいぶ変わってしまったよな、という気がしてくるのです。
 以前は、酔っ払って面白いことをしてしまうのも、愛すべき人柄として評価されていたのが、「自分の酒量や飲み方もわかっていない人」という感じになってしまった。
 この本を読むと、エリーさんの周りの人たちは、そんなエリーさんと飲むのを楽しんでいて、迷惑している、という描写は全くないんですけどね。
 
 僕は、こういう豪快な飲みっぷりをネタにする文化というのが、もう時代遅れの体育会系のものではないか、と考え込まずにはいられなかったのです。
 でもほんとこれ、ちょっと危険な飲み方ではありますよね。
 大宮エリーという人は、このエッセイを読んでいると、「地上に迷い込んだ、無垢な妖精」みたいな人なのですが、こういう生き方が周りから認められていた時代もあったよなあ……みたいな気分に僕はなってしまいます。
 

 相手を思う。仲間を思う。そうすれば自然に、どう立ち振る舞えばいいかが分かる。要は想像力のなせる業だと思うのだ。あとは、
「キャラクター。いかに、愛されるかっていうこと。クライアントに愛されている営業だと仕事がスムーズにいく」
 これもよく思うことである。
 Mさんの上司に、Nさんという豪快な営業さんがいた。たまにプレゼンに大遅刻するのだが、不思議とお得意さんが怒らないのだ。むしろ、大幅に遅れてプレゼン終了間際の最後の五分で滑り込んでやって来たとき、お得意さんがものすごく喜ぶのだ。怒りもせず。不思議なんだけれど。
「お、N、間に合ったな!」
「すみません、渋滞してて」
「それは、嘘だろ? すんごい酒臭いぞ」
「すみません、はい! 飲み過ぎました!」
「やっぱり!」と言って、またもやお得意さん、大喜び。やっぱり営業って、少しくらいダメな方が安心するんだよなぁ。人間らしさって大事なんだよなあって思う。ほっとしたいもの。ダメな人ってどこか信頼できる。そしてそれは愛着へとつながる。
 もちろんNさん、仕事もきちんとできる。外資に引き抜かれて転職したくらいだ。


 こういうのを読んで、「そうそう!」って素直に頷けなくなった自分に気づくわけです。
 いや、広告代理店っていうのはいまでもそういう世界なのかもしれないし、「ちゃんと仕事はできる人」だからこそ、というのはわかるのだけれども。


 それでも、やっぱりこのエッセイ集は面白いし、自由に生きているように見える大宮さんのエッセイがこんなに面白くて、理解してくれる人たちに囲まれている、ということに、僕は嫉妬しているのですよね、たぶん。
 それで、己の器の小ささに、また幻滅してしまう。


 この本の文庫版の「解説」で、板尾創路さんが、こんなふうに書いておられます(大宮さんの大ピンチで、偶然板尾さんに会って救われたという話が、この本には出てくるのです)。

 大宮には、つい何か言いたくなってしまう。そんなところも災いしているかもしれない。隙がなくて、他人にとやかく言わせない人というのがいるが、大宮は正反対で、他人にとやかく言わせてしまう人、かまわれてしまう人だ。
 犬みたいなヤツだな、と思ったりもする。人懐っこくて、芸達者で、かまいたくなる。いろんな人にかまわれるけど、誰か一人だけに飼われるのは嫌がって、いつも半分くらい野良犬だ。鎖をつけられるのも嫌い。生きるの下手やなあと思うけれど、それが大宮らしさでもあるのだろう。面白さとおかしさとかわいさが、いつもふつふつと沸き出ている。
 この本にも、そんな大宮らしさがよく出ていると思う。とっつきやすくて、ついつい読んでしまう文章、「ええカッコ」していない内容。経歴や才能はひけらかさないけれど、自分そのものをさらけ出している。
 最近、絵を描きはじめたようで、その絵もすごくいい。パーティライブペインティングをしてほしいと言われて描いてみたそうだが、普通、「絵を描いてみて」なんてそうそう言われない。大宮には、何かを「やらせてみたくなる」ところがある。可能性を感じさせるのだ。面白いものが飛び出しそうな予感がするのだろう。

 大宮エリーさんの人柄と文章の魅力というのは、この板尾さんの解説を読めば伝わるのではないかと思います。
 

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生きるコント

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生きるコント2

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