琥珀色の戯言

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【読書感想】百年戦争-中世ヨーロッパ最後の戦い ☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
フランスを主戦場として英仏王家が攻防を繰り広げた百年戦争(一三三七~一四五三)。イングランドの大陸領をめぐる積年の対立に、フランス王位継承権争いが絡んで勃発した。当初イングランドが優勢だったが、ジャンヌ・ダルクによるオルレアン解放後、フランスが巻き返して勝利する。戦乱を経て、英仏双方で国民意識はどのように生まれたか。ヨーロッパ中世に終止符を打った戦争の全貌を描き、その歴史的意義を解明する。


 「百年戦争」という言葉は、多くの人が知っていると思います。名前にけっこうインパクトがありますし。
 ジャンヌ・ダルクの活躍でフランスのオルレアンが解放されたことが、この戦争の大きな転機になったこともよく知られていますよね。
 しかしながら、世界史で習った記憶はあるのだけれど、それ以外の「百年戦争」については、「イングランドとフランスの争い」くらいしか自信を持って説明できるところがないのです。

 冒頭で、「百年戦争」についてのこんな話が紹介されています。

 それでは、百年戦争にはどんな人物が登場し、どんな戦いがあったのか。おそらく、ジャンヌ・ダルク以外はほとんど知られていない。フランスに生まれ、そこで教育を受けた人の大多数にとっても、事情はさほど変わらないだろう。先日、妻の友人を通して知り合ったフランス人男性とこんな話をした。年齢は筆者(1975年生まれ)より少し若い。
百年戦争はフランスで有名ですか」、「もちろん。でも、学校を出たら忘れてしまった」。この男性はパリ、マルセイユに次ぐフランス第三の都市リヨンに生まれ、現在、妻の友人とともにパリ近郊に住んでいる。続けていう、「フランス革命第二次世界大戦ほど人気はない。何といっても中世は千年以上だ。それだけで難しい」。友人たちは、「日本でいえば、応仁の乱をほとんど知らないのと一緒かな」とたとえた。
 とはいえ、日本の高校世界史の教科書や参考書には、いろいろな情報が載っているのも事実である。イングランド圧勝の前半戦に対して、ジャンヌ・ダルクが覚醒させた仏軍が最終的に勝利を収めた。戦乱のなか、英仏では貴族が没落し、教会は権威を喪失、じきに宗教改革の嵐が到来する。百年戦争を通じて、中世という時代が終わりを告げた。
 ただ、百年戦争は直後に起きたイングランドの王位継承争いである、「薔薇戦争」(1455〜85年)とセットで扱われることが多い。ゆえに、これと混同されていることもある。


 この本、「百年戦争」について時系列でかなり丁寧にまとめてあるのです。
 ただ、正直なところ、読んでいて、横文字で馴染みのない英仏の登場人物の名前や地名をなぞっていくのは、けっこう辛かったんですよね。
 「物語」ではないので、登場人物の個性的なエピソードや印象的な出来事の描写も少なく、息抜きのコラムがない世界史の教科書を延々と読んでいるような気分になります。
 ものすごく真摯な書き方なのだけれど、「歴史小説好きが、娯楽として読む」には、ちょっと堅い内容かもしれません。

 読み味は同じ中公新書の『応仁の乱』に近いのです。

fujipon.hatenadiary.com


 それでも、通して読んでいくと、もともとフランス王の「臣下」であったイングランド王が血縁からフランス王位を要求してはじまったこの戦争を通じて、フランス、イングランドが、それぞれ独立した国になっていくのが伝わってきます。
 そして、この両国だけではなく、ブルゴーニュをはじめとする、フランス国内の独立勢力が、その争いに加担して混乱を深めていたこともわかります。
 

 教科書的にいえば、百年戦争は1337年に勃発する。イングランドエドワード三世(位1327〜77)はフランス南西部の一角を、フランス王フィリップ六世(位1328〜50)の家臣として領有していた。西欧屈指のワインの輸出港、ボルドーの周辺である。しかし、この年フィリップはエドワードの領地没収を宣告した。これに対して、エドワードがフィリップの仏王位継承に異議を唱えて、戦争が勃発した。終結は1453年である。同年10月、仏軍はボルドーを陥落させた。英軍はフランス最北部のカレーを除いて、大陸から全面撤退し、戦争は終わった。
 歴史研究はこれまで、百年戦争のさまざまな側面を明らかにしてきた。剣、矢、槍、弓から大砲へ、戦局の背後にある武器や戦術の発展、封建社会の崩壊がもたらした経済と政治の危機、税制を中心とした統治制度と国民意識の形成、など。近年では、国家や国民が生まれる以前の西欧中世社会について、人々の帰属意識や共同体のあり方が改めて探求されている。そのなかで、百年戦争はイギリスとフランスの二国の戦争とは考えられていない。むしろ戦争を通じて、国境と愛国心を備えた二つの国家が生まれたとされる。そうした見方は日本でも知られつつある。


 百年戦争がはじまった時点では、イングランド王国の人口は約500万人、フランス王国は1700万人を擁していました。
 3倍以上の人口の差があったにもかかわらず、戦争の前半は、イングランドが優勢だったのです。
 フランス国内は一枚岩ではなく(というか、当初はフランス国王とイングランドを含む諸侯との争いだったのです)、それぞれの利益のために、合従連衡を繰り返し、戦いが繰り返されました。フランス国内で争いが起こると、イングランドにどちらかの勢力が援軍を求める、という状況だったのです。
 この本を読むと、「百年戦争」は、大規模な会戦で勝敗が決した、というよりは、小競り合いや都市の取り合いがだらだらと続き、この「百年」も、実質的には戦いが無かった期間や交渉ばかりしていた時期を含んでのものなのです。
 
 そうやって争いが続いていったことにより、国民の意識のほうが変わっていった、ということなのかもしれません。

 この本を読んでいると、フランス国王は、戦費を調達するために、しばしば国内の諸身分に対して、課税のための話し合いの場を設けています。
 僕の感覚では、戦乱の時代の為政者は、上から強権的に課税するものだったのですが、当時のフランスでは、そうではなかった(ある程度形式的なものだったのかもしれませんが、実際に課税を拒否されたという記述も少なからずあります)。

 そもそも王が要求し、諸身分が承認した税は誰が納めたのか。
 百年戦争期に本格化した税は、身分や階層に関わりなく、すべての王国住民に課された。中世ヨーロッパ社会においては、「聖職者」「貴族」「平民」という三つの身分のもと、人々はさらに多様な地位や階層にあり、それらに応じた権利を行使した。聖職者には大司教から学生まで、貴族には白ユリ諸侯から中小貴族、その子弟や都市貴族まで、平民には高級官僚から親方と職人、貧民まで。それぞれ服すべき慣習法が違えば、管轄される裁判所も違う。宮廷であれ教会であれ、さまざまな儀式では、服装のほか、着座や行進する位置も指定された(なお、聖職者や貴族が免税特権を獲得するのは、もう少し後のことである)。
 税は、こうした多様な住民に対して、額や種目こそ違え、一様に課せられた。そのなかで、王国住民は身分や地位に応じて個別にではなく、納税する一括りの集団として扱われ始めた。

 こうした「臣民」や「国家」といった存在は、目に見える実体を伴うわけではない。十四世紀後半以降、公的・私的な史料のなかで使われ始めた言葉にすぎない。しかし、さまざまな身分と地位を持つ人々が散らばり、遠くに王がいるという意識と、人々が身分を超えて同一の税を納めることで、王とつながり、一つの共同体に属すという意識とでは、まったく違う。そのことは、百年戦争の展開そのものにも表われている。


 「納税」が大好きな人は、ほとんどいないと思うのですが、ヨーロッパでは、「納税」と「国民としての意識」がこんなふうに繋がっていたのか、と考えさせられました。
 そういう意味では、タックスヘイブンなどを利用して税金を納めないグローバル企業というのは、人々の「国家、国民としての帰属意識の崩壊」を加速しているように思われます。


英仏百年戦争 (集英社新書)

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百年戦争(上) (講談社文庫)

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