琥珀色の戯言

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【読書感想】還暦から始まる ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

永世名人ノーベル賞科学者。60歳を過ぎても新たな挑戦を続ける1962年生まれの二人が、60代以降の生き方、「大人の役割」、健康法など、iPS細胞技術で進む老化防止の研究など、最新の知見も交えながら縦横に語り合う。


 1983年に21歳2ヶ月で史上最年少(当時)の名人となり、17世名人の資格を有する谷川浩司さんと、2012年にノーベル生理学賞・医学賞を受賞された山中伸弥さん。おふたりはともに1962年の生まれなのです。
 若い頃から才能を発揮しつづけ、大きな称号を得たふたりは、還暦を過ぎて、自分の年齢とどう向き合っているのか?
 
 この対談本を読む前には、「いや還暦とは言っても、谷川名人と山中先生だろ?そんな規格外の天才どうしが加齢について語り合っても、僕の参考にはならないよね」と思っていました。谷川さんは現役棋士として棋戦に参加し続けておられますし、山中先生は、日本とアメリカを往復しながら研究を続け、趣味のフルマラソンを走り続けておられます。山中先生は作家の村上春樹さんとラジオでマラソンの話をされていて、作家とか研究者って、インドア系の仕事だと僕は若い頃には思っていたけれど、やっぱり体力とコミュニケーション能力がないと続けていくのは難しいのだな、と痛感したものでした。
 僕の場合、気づいた時には、もう手遅れ、という感じです。
 いまさらながら、ニンテンドースイッチで『Fit Boxing2』をやって、せめて転んだだけで簡単に骨折して起き上がれなくなることがないように、とささやかに努力してはいるのですが。
 
 この2人の対談、「自分は還暦を過ぎてもこんなに若い!」みたいな話ばかりかと思いきや、読んでみると、将棋とiPS細胞関連の研究など、それぞれの専門分野で、「老化」について、いまお二人が実感されていること、どんな研究がされているのか、が語られていました。

 山中先生は、iPS細胞発見の立役者となった高橋和利さんが、生物学とは関係のない工学部出身で、だからこそ、生物の専門家ならやる前から「無理だろう」と諦めてしまうような、皮膚の細胞から臓器や神経の細胞をつくるという「突飛な研究」をやってみようとした、と仰っています。
 山中先生自身も「誰も手を出さない研究に挑戦して、ダメだったら医者に戻ればいいや」という気持ちがあった、とも。

谷川浩司失敗覚悟でリスクの高いことを何度も繰り返し、100回目、200回目にやっと成功する。新しい発見や発明は、そうやって生まれるということですね。自然な発想の積み重ねであれば、当然、他の人もたどり着いているはずですから。


山中伸弥そうなんです。他の人と違うことをやるにはどうすればいいかということについて、僕は三つのパターンしかないと言っています。一つはニュートンアインシュタインのように生まれながらの天才、あるいは他の人が思い付かないことを思いつく天才的な人間というパターンです。ただ、これは滅多にいない。僕もまったく縁がありません。
 二つ目は、他の人も考えつくような実験をしていて、まったく予想していなかった結果が返ってきたとき、それを追究していけるかどうか。人間が考えることには限界があるけれども、自然はまだまだ未知数ですから、実験という手段で自然に問いかけると、自然がちょっとヒントをくれて導いてくれることがあるんです。それは他の人と違うことをやり出せるチャンスです。
 三つ目は、「これができれば素晴らしい」とみんな思っているけれども、「やってもできないだろうな」とあきらめて誰もやっていないことにあえて挑戦する。それがうまくいけば、他の人と違うことができます。iPS細胞発見のパターンです。
 歳を重ねると、一番目の天才的なひらめきにはさらに縁遠くなるので、僕はいま、二つ目に頼っています。


 この山中先生の話は、これから何か新しいことをやろうとしている人たちに読んでいただきたいのです。
 歴史上の大発見の中には、それまでも同じ現象が実験中に起こっていたけれど、「実験のミスだろう」とか「そんなことが理論上起こるはずがない」と見落とされていた事象に興味を持った人が、その理由を突き詰めていったものがたくさんあります。
 うまくいかなかった(ように見える)ことにこそ、新しい発見のきっかけが隠れているのです。


 谷川さんは、藤井聡太七冠(これを書いている時点で)の強さについて、こう述べておられます。

谷川:藤井八冠(対談当時)の強さの秘密も、やはり考え抜くことにあります。藤井さんもAIの世代なので誤解をされている方が多いんですけれども、彼が強くなったのは、初見の本当に難しい局面、答えが簡単に出せない局面に対して、限りない選択肢や可能性を時間いっぱいに使って考えるからです。自分の力だけで考え続けて、自分なりの結論を出す。その積み重ねで強くなったんですね。そして公式戦の対局を重ねることで、さらに強くなっています。


山中:なるほど。確かに彼と対談していると、対談の途中でもけっこう長考されて……(笑)。


谷川:ええ。質問に対して1分ぐらい考えて返事をすることもありますね。でも、やっぱり1分考えたなというぐらい、返ってくる言葉は非常に的確で整然としています。


山中:そうなんです。


谷川:そのままテープ起こしをして原稿にすれば済むぐらい、頭の中できちんと整理をしていますね。


 谷川さんも、30歳くらいを境に、老化にともなって、その「考え抜く脳のスタミナ」が落ちていく、というのも実感されているのです。


 山中さんは、こんな疑問を谷川さんにぶつけています。 

山中:僕はいつも同じような疑問を持つんですが、この昔の偉大な棋士と現代の棋士が対戦すると、やっぱり現代の棋士が強いんでしょうか。


谷川:それはもう圧倒的にいまの棋士のほうが強いでしょうね。強くなるための環境がまったく違いますので。たとえるなら、昔の棋士が一般道路をカーナビもなく走っていたような状況なら、いまはもう高速道路をカーナビ付きで走っているようなものです。ただ、どこかでいまの棋士たちも知らない道を走ることになります。知らない道を走ることに対応する力は、昔の棋士もいまの棋士もそれほど変わらないという感じはします。


 環境の違いもあり、いまの棋士のほうが強い。これは、将棋に限らず、プロスポーツの世界一般でも、研究の世界でも、あてはまるのではないかと思います。
 ただ、時代の最先端にたどり着いたら、そこから新しい道を切り開くには、やはり、考え抜く力、が求められるのです。
 それはおそらく、人間という種が続く限り、未来のすべてを人工知能に任せてしまわない限り、ずっとそうなのでしょう。

 お二人は、将棋や研究の世界で、まだまだ「現役」ではあるのですが、それと同時に、「まだまだ若いものには負けない」というスタンスではなく、今の自分の年齢や立場を活かして、将棋界やiPS細胞の研究の世界で、次の世代のサポートをしていくことを意識されているようです。


 また、「老い」という現象が、自身の将棋や研究、マラソンにどんな影響を与えているのかを、自分で興味深く観察しづつけている「客観的な視点」を持っているのです。

谷川:最近、読んだ『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)という本によると、人間以外のほとんどの生物には「老後」という期間がないそうです。著者の小林武彦さんは、老後を担う年長者が自分たちの知識や技術や経験を次世代に継承してきたからこそ人間の寿命が延び、文明社会が築かれたと書いています。


山中:なるほど、面白いですね。


谷川:だから私たちシニア世代の役割は「百年をつなぐ」ことではないかと思うんです。それで、2022年に87歳で亡くなられた有吉道夫九段のお話をご紹介したいと思います。
 有吉先生は大山康晴先生のお弟子さんで、大山ー有吉戦という師弟のタイトル戦は史上、この1組だけです。74歳まで現役で戦われました。2000年、有吉先生が65歳のときに、大阪の将棋会館で対局があって、その対局後、下のレストランで記者の方を含めて何人かでお酒を飲みながら夕食をご一緒する機会があったんです。
 そのときに、どういう流れでそういう話になったのか憶えていないんですけれども、有吉先生が「この年齢になって、自分にできることと、できなくなることがある。それを自分が実験台になって示したい。自分はこれからもずっと現役を続けていく」という話をされました。
 当時、私は四十前でした。若いときは、自分がこれまでできていたことができなくなる姿は人に見せたくないという気持ちが強いと思うんです。でも有吉先生が、その年齢になって「自分が実験台になって示したい」とおっしゃったのは、いまでもとてもよく覚えていますね。


山中:老いや衰える姿は、やっぱり恥ずかしいので人に見せたくないというのが普通でしょうね。


谷川:そうだと思います。実際、有吉先生はその後、順位戦のクラスを落ちていくんですけども、正々堂々と最後まで戦われました。順位戦のC級2組でも、いま三十代半ばでトップ棋士として活躍している若手棋士と対局して勝っています。私がよく覚えているのは、C級2組の最終局で有吉先生が負けると降級で引退、対戦相手の高﨑一生四段(当時)は勝つと昇級という対戦です。そこで有吉先生は見事に勝って、相手の昇級を阻止したことがあったんです。


 この対局のとき、有吉先生は73歳だったそうです。
 もちろん、まだまだ若いものには負けない、という闘争心もあったとは思いますが、高齢になっても現役を続けている人は、加齢や老化のもどかしさとともに、自分の変化を(衰えていくことも含めて)観察し、楽しんでもいるようにも見えるのです。

 僕自身、40代後半から50代にかけて、心身の不調、とくに老眼とか不眠とか原因不明のイライラ感などに悩まされているのですが、それと同時に、「ああ、外科に行った先輩たちが言っていた『目が見えづらくなって、手術ができない」というのは、こういうことだったのか、確かに、本を読むのも辛くなってきたり、これは「パリ」なのか「バリ」なのか?と眼鏡を外して確認するのはけっこうストレスです。文脈でわかりそうではあるのですが、人名などだと、確認しないとなんだか気が済まないし。

 ただ、ストレスはあるのだけれど、「これが老化現象というものなのだな」と腑に落ちた、というちょっとした発見に感心してもいるのです。
 誰でも、「自分自身が老いていく」のは初めての経験なのだから。
 もっと認知機能が低下していけば、自分も周りも、そんな悠長なことは言っていられなくなるのだろうけど。

 名人やノーベル賞受賞者にはなれないけれど、「老い」を受け入れて、自分なりに付き合っていく心の準備が少しできる、そんな対談だと思います。
 お二人には、今後も折をみて、「その後」を語り合っていただきたいなあ。


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