Kindle版もあります。
植村直己、長谷川恒男、星野道夫――名だたる冒険家やクライマーが、なぜか同じ年齢で命を落とす。背後にあるのは、歳とともに落ちる体力と上がっていく経験値とのギャップ、すなわち「魔の領域」だ。二十代の頃、「体力の衰えは経験でカバーできる」と語る先達を「心中ひそかにバカにしていた」著者が、五十代を前に「その言葉は衰退の言い訳ではなく真理」だと思い至るまで、極地探検家ならではの圧倒的人間論!
「43歳が人生の全盛期」か……
その年齢を10年くらい過ぎてしまった僕にとっては、今さらそんなこと言われても、と思いつつ、下り坂を降りていくしかないのです。
著者の角幡唯介さんは、「探検家」としてのキャリアを主に語っておられるわけで、「すべての人の人生の頂点が43歳」ということではなく、「探検家にとっては、体力と経験などを含めての精神面をあわせて、もっとも充実しているのが43歳だ」ということなのだと思います。
「仕事」という観点でみれば、ほとんどのプロスポーツ選手にとっては「43歳」というのはレジェンドクラスでも最晩年、ほとんどの人は引退している年齢ですし。43歳で「全盛期」の選手がいるのは、僕が知るかぎり、競馬の騎手くらいではないかと。
正直なところ、僕自身も、40代の後半から50代にかけて、モチベーションの低下と体力・好奇心の減退、そして、「経験の力でうまく立ち回るようになり、戦ったり克服したりするのを避けるようになった」と感じています。
50代になると、新しい発見や技術の習得への意欲を保つのは難しい。
テレビゲームですら、若い頃に遊んだ作品のリメイクを「懐かしいな」とか思いながらプレイしていることが多いのです。
『エルデンリング』に挑戦するよりも、『ドラゴンクエスト』のリメイクをリラックスしながら遊んでいるほうが心地よい。
近年、昔のゲームのリメイクが増えているのは、僕のようなオールドゲーマーが少なからずいるからなのでしょう。
ちなみに、この新書は、著者が48歳から49歳のときに書かれていて、いまの僕からすれば、「角幡さん、『男の更年期』はこれからだよ……」と言いたくもなりました。
僕の場合は、20代から30代に、情熱的になにかに打ち込んできたわけではないので、加齢による「反動」は少なめなのかもしれませんが、それでも、「これから『何者か』になるのは、もう難しいよなあ……」と切なくなることもあります。
開き直って、これから自分が自分の意思で動ける時間は、なるべく楽しい時間を増やして生きよう、とも思っているのですけど。
著者は、人間は経験によってできることがどんどん増えていく一方で、できることをやり続けることで「新鮮味が薄れ、それをやることへの感動や好奇心が鈍ってしまう」と指摘しています。
しかしながら、それが「自分の存在価値にかかわること」「自分にしかできないこと」であれば、飽きていても、それを捨てて新しいことをやるのは年齢とともにさらに難しくなっていくのです。
日常化し、新鮮味がうすれ、行為自体はどこか淡々としているというのに、そこに自分の歴史そのものが根付いているため、どうしても殻に閉じこもり、新しい世界に飛び出すことができない。
しかし考えようによっては、それは自分の動ける範囲のなかでしか動かなくなっているということとおなじだ。
行為というものは深まり、熟しすぎると、内側から腐乱し、崩れていってしまうものなのだろうか。
人は中年以降になると築き上げてきたもののなかに閉じこもる傾向があるが、それにはこのような原因があることを最近私は知ったのである。
でも、できるとわかっていることをやることに意味はあるのだろうか? それがたとえどれほど深みのある行為だとしても、だ。
これが48歳8か月の私が現時点でかかえている年齢問題の最前線だ。
僕も含めて、多くの中年は、食べていくため、あるいは、自分のプライドを守るために、「いちから新たな挑戦をする」よりも「自分ができて、評価される可能性が高いことをやる」のです。
他人事となれば、「まだそんな老け込む年齢じゃないし『人生のなかで今がいちばん若い』のだから、早く新しいことに挑戦すればいいのに」とか思うんですよ。
サッカーの三浦知良選手が、もうすぐ「還暦プロサッカー選手」になろうとしていますが、「その年齢までプロでいつづけるのはすごい!」というよりは、「指導者やサッカーの魅力を伝える仕事に、もっと早く挑戦していたらよかったのに」と僕は思っています。
でも、もうすぐ還暦となれば、いまさら「これからコーチ、監督業を学んで……」というのも難しいし、「とりあえず、今の現役生活を、やれるところまでやる」しかなくなっているのでしょう。
人間、自分の人生となると「見切りをつける」とか「切り替える」というのは本当に難しい。
議論をすすめるうえで人生をおおざっぱに三つの段階にわけることにする。
ひとつ目は全盛期に入る前の人生。全盛期を43歳前後であるとすると、全盛期の前というのは20代から30代の時期と考えてもらってさしつかえない。20、30代の若者、青年にとって人生はどのような様態にあるのか。
ふたつ目は43歳前後の頂点の時期。無論これは人によって差があるので、まあ40歳から45歳ぐらいを射程にいれて議論をすすめる。
三つ目は頂点以降の人生だ。執筆現在私は48歳で、それ以降の人生は視野にいれないことにしているので、本書では45歳から48歳までの、いわば頂上から下りにはいりはじめた時期について考えたい。そしておまけとして50歳以降の人生について現段階でどのように予測しているかを記したい。
著者は、登山家・冒険家にとっての「生と死」について、こんなふうに述べています。
登山家や冒険家が意識の深層でもとめているのは、ぎりぎりの死の淵から生還するという経験、すべてのエネルギーを使い切るほどやり切って、そのうえで帰ってくるという経験なのではないか。なにしろ彼らが真に求めているのは達成という成功ではなく、生の純粋経験なのだから。
となると、理想は全エネルギーを使い果たしたうえでの生、ということになる。そこに生きることの究極ポイントがある。だがそれは生きているかぎり絶対に到達しえない領域である。なぜなら全精力を消尽するほどやり切ったという状態は、死んだということにひとしいからだ。
死とは、すべてのエネルギーを使い切り力尽きた状態のこと、すなわち完璧に生き切ったときにおとずれる安寧である。生の究極ポイント、それが死だ。
登山家や冒険家は生き尽くすことを目的に自然の奥深くにむかうので、理論的に彼らがめざすのは生の究極ポイントなのだが、それはイコール死であり、死ぬことによってしか到達できない。
無論、彼らは死ぬために行くのではなく、全力で生きることが目的なので、かならず生還しなければならない。かつて植村直己が冒険とは生きて帰ってくることと口を酸っぱくしてくりかえしたように、生還が彼らの倫理的な義務である。ところが生きて帰ってきたということは、彼らが目指す究極の生(死)には到達できなかったということとおなじだ。完璧に全力を出し切ることができなかったから生きているのである。
生きている以上、生の完全燃焼ポイントである死には届かない。いまの自分と死とのあいだには、わずかではあっても距離がのこっている。
この本のなかでは、若くして亡くなった冒険家・探検家たちや、衝撃的な死を遂げた三島由紀夫さんの話も出てくるのですが、40代前半というのは、体力と経験の蓄積、今後の「余生」などを考えると、「まだやれるはず、でも、これが最後の冒険(挑戦)になるかもしれない」という焦燥感に駆られる時期でもあるのです。
だからこそ、「究極の生」を求めて、傍からみれば無謀にもみえる挑戦をしてしまう。
植村直己さんが「冒険とは生きて帰ってくること」だと言い続けていたのは、それだけ「やり尽くして死ぬこと」が冒険家にとっては魅力的だからなのかもしれないな、とも思ったのです。
生きて帰れたということは、「もっと上」を目指せる余地があったはず。
そりゃ、いつかラインを踏み越えて死ぬよ。
結局、人って、どんなに成功しても、「満足」できない生き物なのかもしれません。だから人類は急激な発展をしてきた、とも言えるのでしょうけど。
著者は、これまでの自分の人生を振り返りつつ、人はそれぞれの「自分だけの経験」を積み重ねていくことによって、「他の人とは違う自分(そして、他の人もそれぞれ「固有の存在」であること)の存在意義をみとめられるようになり、惑いが少なくなり、「中年の自由」を得ることができる、としています。
僕自身は、50歳を過ぎても、やっぱり同世代の人と自分を比較してしまうのですが、たしかに、若い頃よりは他者が気にならなくなり、「まあ、自分で楽しいと思うことをやればいいか、もう人生も残り少ないし」と思うことが多くなりました。
現実的には、子どもの学費もまだまだ稼がなくてはいけないし、そんなに「自由」ではないとしても。
著者が例示しているさまざまな人生のなかで、作家・開高健さんについて語られていることが僕にはとても印象的でした。
開高さんは14歳のとき焼け野原になった大阪で太平洋戦争の終わりを経験しました。
その後、30代半ばで取材のためにベトナム戦争に従軍した際、敵軍の奇襲によって200人中、生存者はわずか17人という状況で生き延びたのです。
そんな開高さんが、後半生でハマり、多くのエッセイを残したのは「釣り」に関するものでした。
はあ、釣りですか……と読者は拍子抜けしたにちがいない。釣りが解決策とは次のようなことである。
開高健に必要だったのは荒地である。つまり死が至るところに偏在するカオス、予想外のことがつねにおこる先の読めない時間と空間である。それはひと言で要するに自然のことである。
(中略)
若い頃の私は、自分自身が膨張期の真っ只中にあったこともあり、開高健の釣りを肯定的に評価できなかった。自然のなかでの活動とはいえ、登山のように生と死に直接対峙するものではない以上、釣りは疑似的冒険行為の範疇を超えるものではない。つまり開高健はベトナムでかかえた荒地を持て余した結果、釣りに逃げたわけだ。死の余白をそれ以上刻むことができなかったので、それを希釈させる方法をとったのだ。
しかし希釈は希釈にすぎない。それでは本質的な解決にならない。でも死の余白を刻むことをめざせば、どのみちいつかは死ぬことになる。結局のところ生のなかにとりこんだ死は希釈させてなじませる以外方法はない、というのが開高健が示した解決策なのか? 本当にそれしかないのか? それでいいのか、開高健! というのが若かりし頃の私の、開高健の釣りに対する評価であった。
だが40を超えて、自分でも釣りを本格的にやるようになると、彼の釣りがそんな底の浅いものではなかったことに気づいたのだった。生の完全燃焼ポイントをめざすのとはちがう、もうひとつの荒地との共存のかたちを彼の作品に見出したのである。それが大地との調和だ。
彼の釣り文学を読むと、釣りという行為そのものより、その背後にひろがるもっと大きな世界を相手にしていることに気づく。『オーパ!』に<釣竿を手にした旅だと、ただの旅では見えないもの、見られないものが、じつにしばしば、見えてくるものである>との言葉があるが、初期の作品であある『私の釣魚大全』や『フィッシュ・オン』にもその思想性は自明である。
50歳を超え、人生の「晩年」を半分実感、半分他人事にして生きている僕にとっては、「生の完全燃焼から、『大地との調和』へ」というシフトチェンジは、遠からずこの世界から消えていく存在として、なんだかすごく「しっくりくる」ものだったのです。
僕も若い頃は「開高健さん、釣りエッセイばっかりになって、すっかり日和ってしまったな」と思っていたのですけど。
「年齢論」ができるのも、その年齢まで生きてきたからで、僕も子どもの頃は、自分が織田信長より長生きするつもりはありませんでした。
それでも、いま死んでしまったら、やり残したことばかりだな、とも思うのです。
10年後の角幡さんの、そして、自分自身の「年齢観」はどうなっているのだろうか?
楽しみと言いたいところですが、僕にとってこの文章が「死亡フラグ」になっていませんように。
「いつ死んでもいいけど、今すぐに死んだら困る」
僕は、ずっとそんな感じです。










