- 作者: 為末大
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2018/10/05
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Kindle本もあります。
- 作者: 為末大
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2013/06/06
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内容紹介
耐える人生か。選ぶ人生か。
前向きに「諦める」ことから、自分らしい人生が開けてくる。
諦めることは、逃げることにあらず。
与えられた現実を直視し、限られた人生を思い切り生きるために、
よりよい選択を重ねていくことこそが「諦める」ことの本質である。
オリンピックに3度出場したトップアスリート・為末大が、
競技生活を通して辿り着いた境地。
世界陸上の400mハードルで2度の銅メダルに輝いた為末大さん。
この本は、為末さんが、自身の半生と競技生活を振り返って、「自分は何を基準にして人生の岐路で進む道を決めてきたか」を語ったものです。
タイトルは「諦める力」なのですが、為末さんは、なんでもかんでも諦めればいい、と仰っているわけではありません。
人の時間は有限ですから、何かをやるということは、何かをやらない、という選択をすることでもあるんですよね。
最初は陸上の花形、100m競争で活躍すること、勝つことを追い求めていた為末さんなのですが、早熟型だったのか、次第に日本国内でのライバルたちとの距離が縮まっていきます。
自分なりに努力しているはずなのに、ある時期から背もタイムも伸び悩むようになってしまった自分と、身体が大きくなり、タイムもどんどん伸びてきているライバルたちの成長曲線を比べると、100mで「勝つこと」は難しいだろう、という結論に至るのです。
そこで、為末さんは考えます。
自分の人生にとって、いちばん大切なものは何なのか?
結果はどうあれ、100mという競技を続けることが最も大事なことであるのならば、続けるべきだろう。
でも、自分にとっては「勝つこと」「日本人として大きな舞台で成績をあげること」を優先したい。
そこで、100mに比べると、体格的なハンデも技術でカバーでき、自分により向いている、そして、競争相手の層も薄い400mハードルへの転向を決意しました。
「勝ちたい」という目的がある人は、「自分の憧れが成功を阻害する」可能性をドライに認識すべきであろう。だが、そうした分析の話をし始めると、急に「あの選手は自分の弱点を乗り越えて成功した」という成功例が引き合いに出される。
たとえば、バレーボールで「世界一背の低いセッターなのに、身長のハンディを乗り越えて栄冠を勝ち取りました」というような事例が出てくる。それを真に受けた人が「自分もがんばればできるんだ」という気になってしまう。
しかしながら、適性から判断すれば短距離でオリンピックに出場していたはずのアスリートが、バレーボールのセッターに固執してしまったために才能を開花させることができなかった、といったことが、実際には数かぎりなく起きていると思う。
これはスポーツにかぎったことではない。本当は弁護士や会計士や医者として成功するはずの人が、なまじバレーボールもうまかったために、オリンピックを目指して他の才能を開花させる機会を逸してしまうケースだってあるはずだ。
人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。
僕は、これが戦略だと思っている。
戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだま、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。
極端なことをいえば、勝ちたいから努力をするよりも、さしたる努力をすることなく勝ってしまうフィールドを探すほうが、間違いなく勝率は上がる。
「だって、僕がこの分野に行けば有利なんだよね」
結果として、為末さんの「戦略」は成功し、「陸上の短距離競技で日本人が活躍する礎を築いた選手」となりました。
御本人には「日本人として」というような考えは、あんまりなさそうではあるんですけどね。
ただし、為末さんは、「努力なんかしなくてもいい」「すべてが才能で決まる」と仰っているわけでもないのです。
為末さんは、東日本大震災で母親を亡くした陸上部の子が「今もなんで僕の母親だったのかがわからないんです」と語っていたのをきいて、「ものごとには因果があり、努力や苦労は報われると世間では言われるけれど、災害で犠牲になった人を前にして僕は因果なんて何もないと感じた」と述懐されています。
「そこに理由などない、ただ不条理があるだけだ」とも。
努力がすべてだと言われて僕は育っていたから、僕に敗れ去っていった選手に対してどこか努力が足りなかったんだろうという目で見ていた。でも、引退近くになり自分の実力が落ちていくなかで、努力量と実力は比例しないのを知った。スポーツはまず才能を持って生まれないとステージにすら乗れない。僕よりも努力した選手も一生懸命だった選手もいただろう。でも、そういう選手が才能を持ち合わせているとはかぎらない。
そもそもこの勝利が自分でつくり上げたものでないなら、自分の役割は何なのだろうか。現役の最後は、もう自分の身体が自分のものだけではない感覚で競技を続けていた。自分が自分であることに理由はなく、ものごとにも因果なんてなく、真面目な人に災害が降りかかり、何も考えず平穏無事に暮らしている人もいる。世の中は不条理で、それでも人は生きていくしかない。
一方で、理屈ではどうしても理解できない、努力ではどうにもならないものがあるとわかるためには、一度徹底的に考え抜き、極限まで努力してみなければわからない。そして、そこに至って初めて見えてくるものもある。
為末さんは、以前は「「努力至上主義者」であり、自分に敗れた人たちは「努力が足りなかったのだ」と思っていたそうです。
それが、年齢にともなう自分の身体の変化や災害に遭った人たちのことを知って、「初めて見えてきた」のだと仰っています。
「あなたはオンリーワンだからそのままでいい」という考え方の落とし穴は、社会に存在する物差しで自分を測ることを諦めなさい、というところである。どんなに恵まれている人でも、自他ともにオンリーワンと言いきれるほど特徴がある人間なんてほとんどいないから、「あなたはあなたのままでいい」という言葉を疑いなく受け入れられるほどの自己肯定感は、「社会側から自分は一切認められなくてもいい」という諦めと一体なのだ。
僕は人間なんてみんな一緒で個性なんてないのだから、何者かになる必要なんてないと言われたほうがほっとする。
あなたがオンリーワンかどうかは他人が決めている。「誰もが特別なオンリーワンなのだから自信を持とう」というロジックは、「悲しみも脳の勘違いにすぎないのだから気にするな」というのに似ている。そう言われても悲しみがなくならないように、いくらオンリーワンと太鼓判を押されても、自信が持てるわけではない。
自分らしくあればいいと言われても、自分らしさとはいったい何かということがわからないから人は苦悩しているのだ。そんな人に「そのままでいい」と言ったところで、むしろ「自分らしさを持たなければならない」とさらに追い詰めていることになりはしないか。
究極的には、誰にも自分らしさなどないのではないかと思う。
まあ、「それぞれ特別なオンリーワン」って歌っていた人たちは、誰もが知っている国民的グループでしたし、この本だって、トップアスリートの為末さんの本だから手に取るのであって、書いているのが、どこの馬の骨だからわからないオッサンだったら、あんまり説得力はないんですけどね。
諦めるのは、ネガティブなことではなく、「選ぶ」ことのひとつの形なのだ、ということが丁寧に語られている本です。
為末さん自身も、この心境に至るまで、いろんな葛藤があったのだということも、伝わってきます。
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