琥珀色の戯言

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【読書感想】奇書の世界史2 歴史を動かす“もっとヤバい書物”の物語 ☆☆☆


Kindle版もあります。

奇書に潜む真実を知ったとき、「歴史っておもしろい」ではすまされない…。

ベストセラー『奇書の世界史』待望の第2弾がついに書籍化!前作を超える、驚きの奇書とその歴史を紹介。

ノストラダムスの大予言』……世界一有名な占い師はどんな未来もお見通しだった!……のか?
『シオン賢者の議定書』……かの独裁者を大量虐殺へ駆り立てた人種差別についての偽書
『疫神の詫び証文』……伝染病の収束を願って創り出した、疫病神からのお便り
『産褥熱の病理』……ウイルス学誕生前に突き止めた「手洗いの重要性」について
『Liber Primus』……諜報機関の採用試験か? ただの愉快犯か? ネットに突如現れた謎解きゲーム
盂蘭盆経』……儒教と仏教の仲を取り持った「偽経
『農業生物学』……大飢饉勃発!科学的根拠なしの「“画期的な”農業技術」について
『動物の解放』……食事の未来を変えるかもしれない、動物への道徳的配慮について


 2019年に上梓された『奇書の世界史』の第2弾です。
fujipon.hatenadiary.com


 このシリーズでは、時代の変化や時間の経過によって人々の受け止め方が変わってしまった、数奇な運命をたどった本、というコンセプトでさまざまなジャンルの作品が集められているのです。
 この『2』の最初に出てくるのは『ノストラダムスの大予言』なのですが、この本に関しては、1970年代初頭に生まれた僕としては、懐かしさや「1999年に人類は滅亡する」という「予言」の現実への影響を思い出さずにはいられませんでした。
 僕たちは半分本気で、「自分たちは30歳にもならないうちに死んでしまうのだ」と思っていたのです。
 当時の世界は、アメリカとソ連の冷戦が続いていて、「恐怖の大王=核戦争」という解釈には、リアリティもありました。
 ソ連の解体、ベルリンの壁崩壊などもあり、冷戦は終わりました。

 僕は『と学会』という「トンデモ本」を徹底的に分析するのが趣味の人たちの著書で、『ノストラダムスの大予言』が過大評価、あるいは、「商業的な目的で利用されたり、都合よく解釈されている」というのを知って、けっこう衝撃を受けたんですよね。
 本当に世界が滅亡すると思い込んで、勉強しなかったり、自暴自棄になった人たちをどうしてくれるんだ!
 ノストラダムスの大予言は、あのオウム真理教の教義にも影響を与えたとされています。

 今となっては、そう簡単に人類が滅亡するわけないだろ!しかもそれが西暦1999年とか出来すぎだろ!と思うのですが……
 なんであのときは「予言」を信じてしまっていたのか……

 世界にはまだ人類を何度も絶滅させられるくらいの核兵器が存在し続けているんですけどね。


 ただ、『ノストラダムスの大予言』『シオン賢者の議定書』の最初の2つの項は、僕にとってはもう何度も詳しく読んだ話を数十ページにまとめたダイジェスト版のような感じで、物足りなくはあったんですよね。
 2000年以降に物心ついた人たちは、『ノストラダムスの大予言』なんて「(笑)」って感じで、どんな内容だったか聞いたことがないかもしれず、かえって新鮮というか、はじめて聞いた、という人もいそうではありますが。


 『シオン賢者の議定書』の項の冒頭には、こう書かれています。

『シオン賢者の議定書』とは、1897年8月29日~31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた、「第1回シオニスト会議」における議定書、という体で書かれた書籍です。
ユダヤ人の他民族に対する優越性」「ユダヤ人による世界支配の計略」などが全24項目にわたって露悪的かつ挑発的な文体で書かれており、読む者にユダヤ民族の脅威を感じさせる内容です。


 この『シオン賢者の議定書』が世に出て、信じてしまった人も多かったのですが、多くの研究者やジャーナリストがその信ぴょう性に異議を唱え、偽造であることが明らかになっていったのです。
 ところが、「偽物」であることが極めて濃厚になったにもかかわらず、この本の影響は続いていきました。

 こうして偽造の証拠が次々に見つかっていったことで「議定書」の影響力は低下していった……、かと思えばそうはなりませんでした。アドルフ・ヒトラーは、第一次世界大戦での敗戦と戦後賠償にあえぐドイツ国民に対して、「ドイツ民族の人種的優位性」や「ユダヤ人排撃」を語り、圧倒的な支持を得ました。
 ヒトラーは自著『我が闘争』のなかで、議定書の成立自体は偽書と認めつつも、その内容自体は「実際のユダヤ人の本質をよく示している」と述べています。つまり、偽造であったとしても、ユダヤ人たちがこれを必死に否定している事実が、逆に図星である証拠である、というあまりにも強引な論法で「議定書」の内容を支持するのです。すでに偽書であるという証拠が上がっていたにもかかわらず「本物であるか否か」について多くは触れず、一方で、その内容と影響力のみを活用しました。事実、ベースの議論においては慎重な態度を見せつつも、それを上回る印象論の勢いで最終的な優位をさらっていこうとする論法は現代でも有効な手法の一つといえます。
 1934年、ヒトラーがドイツの最高指導者である「総統」の地位に付いたとき、国民投票投票率は9割を超え、そのうちの賛成票もまた9割近くに達していました。第一次世界大戦以降、誇りを大きく傷つけられ、不満の矛先を探していた民族にとっては、ヒトラーもまた「自身らがすでに信じていることをもっともらしく語ってくれる」存在でした。その点でいえば、ヒトラーが支持を集めた構造は、議定書と同じ構図だったのかもしれません。


 これを読んでいて、僕は『江戸しぐさ』のことを思い出したのです。

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 『江戸しぐさの正体』の著者は述べています。

 さて、私は2013年の春頃から、「江戸しぐさ」の成立に関する調査状況をツイッターに上げ続けてきた。その初期の頃に寄せられた意見に次のような大意のものがあった。

 江戸しぐさがフィクションだったとしても、モラルが低下している現代ではそれに基づいて道徳を教える意義がある。モラルハザードファシズム台頭の引き金にもなりかねない。

 しかし、フィクションを現実にあった事柄として教えるのは、結局虚偽である。虚偽に基づいて道徳が説けるものだろうか。教え子がその虚偽に気づいたなら、虚偽に支えられた道徳もまた軽んじられるのが落ちだろう。
 また、虚偽によって人々を自分の主張に誘導するというのは、ファシストがよく行う手口である。「江戸しぐさ」の実在は虚偽だと知りつつ、自分の考える道徳に教え子を誘導するのに便利だから使うというのは、ファシズムに抗するどころか教師がファシストに近づく第一歩になりかねない。
 そもそも、教育の場で教師が堂々と嘘をつくこと自体、深刻なモラルハザードなのである。虚偽を根拠に道徳が説けるわけはない。


 ヒトラーも「たとえこれが『偽造』であろうと、『シオン賢者の議定書』は、ユダヤ人の本質をよくあらわしているのは間違いない」し、「ユダヤ人がこの議定書を否定するのは、痛いところをつかれているからだ」と言っていたのです。

 黙っていれば、ウソを本当のことにされ、抗議すれば、「身に覚えがあるから強硬に否定するのだろう」と決めつけられる。それなら、ユダヤ人はどうすればよかったのか?
 
 人々は往々にして、「さまざまな検証やデータにもとづく真偽の鑑定」よりも、「自分がそれを信じたいかどうか」を重視してしまうのです。人は、信じたいものを信じるし、それは100年前も現在も変わらない。

 この本で紹介されているさまざまな「偽書」や「多くの人々に損害を与えてしまった書物」の多くは、「ウソや捏造、一部の人に都合が良い解釈である」ことが、有識者から再三指摘されていても、影響を持ち続けていました。

 1930年代から70年代にかけて、ソビエト連邦の農業政策の基盤となった、トロフィム・ルイセンコ著『農業生物学』も紹介されています。

 ルイセンコはウクライナの小作農の子として生まれました。彼が初めてソビエト農学会で注目されるきっかけとなったのが、小麦栽培における「春化処理」の発見です。春化処理とは、芽吹く前の小麦の種に適切な温度処理を施すことで、開花タイミングを操作することが可能であるとする理論です。
 一般に小麦は、春に撒いて秋に収穫する「春撒き」と、秋に撒いて春に収穫する「秋撒き」の2種類が存在します。「秋撒き小麦」は、一般に「春撒き」よりも収量が高いとされていますが、生育において厳しい冬を経なければならないため、冷害や農作業時の負担など様々なリスクがあります。ルイセンコは、この「秋撒き小麦」を「春に撒くことができる」よう改良することで、収穫量の向上を狙ったのです。

 ルイセンコの理論は、ご都合主義的な内容を含むため学問としては穴だらけといえます。しかし奇妙なことにその検証結果は、本人の期待どおりとなりました。当のルイセンコは学術的な訓練を十分に受けておらず、実験手法は正確とはいえないにもかかわらず、です。
「春化処理によって小麦の収量が増えた」という結果は、土地ごとの肥沃さや気候条件などの正規化がなされておらず、疑問が残ります。また実験は、「水温が何度の水に、何時間漬けたのか」「そのあと室温が何度の部屋に何時間置いたのか」という具合に、非常に繊細で複雑な技術が求められます。本来科学者によって行われるはずの実験は、主に集団農業に従事している労働者たちの手で実施されていたのです。
 それでも結果は満足なものとなった。それはなぜか──。
 つまり万が一、理論と著しく異なる実験結果が上がってこようものなら、「実験を故意に妨害しようとした咎」で、粛清の恐れすらあるからです。”本当の結果”が得られるのは限りなく無理筋というわけです。


 現代遺伝学の知見を無視したルイセンコの理論を批判する科学者もいたのですが、ルイセンコはスターリンの庇護下にあり、「西側のブルジョワ的思想に基づく農業を打ち破るヒーロー」として聖域化されていました。

 結果、ソ連の農業は長年停滞、退化することになり、多くの人民が飢えることになったのです。

 「科学者はつねに実験データや現実に起こっていることを重視する、客観的な存在である」のなら良いのですが、実際は、それまでに大きな実績を残していたがゆえに、若者の発想や新しい研究結果を受け入れられず、知見の更新を妨害する「大御所科学者」も少なからずいます。
 科学者が科学的な態度を取り続けるのは、簡単なことではないのです。

 本当に「ヤバい」のは書物そのものではなく、それを書き、読む人間なんですよね、結局のところ。


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