Kindle版もあります。
「上司に振りまわされる仕事」
現役銀行員が暴きだす、
業界の恥部と醍醐味
――語らずにいられないことM銀行は最近、世間を騒がせるいくつかの不祥事を引き起こした。
多くの行員がその対応、事後処理にあたり、私もその最前線にいたひとりだった。
ニュースで報じられる事件の裏側には、現場で汗を流し、時に罵倒され、頭を下げている人たちがいる。そんな生身の姿を知ってもらいたいと思った。
――四半世紀を超える銀行員生活で、語りたいこと、語らずにはいられないことがある。
何か読みたいけれど、あまり複雑なストーリーだったり、分厚かったりする本はきついな……というときに、僕はこの「三五館シンシャの中高年お仕事シリーズ」を手に取ることが多いのです。
第1作は、この『交通誘導員ヨレヨレ日記』だったのですが、書店で見かけたときには、「こんな、交通誘導員のおじさんの仕事日記とか、誰が読むのだろう?」と思いながら手に取った記憶があります。
読みたがるのは、自分くらいじゃないか?
ところが、実際はたくさんの人が、あの「けっこうきつそうな、それでいて、誰にでもできそうにも見えて、高齢者が多い」仕事の内容に興味を持っていたらしく、『交通誘導員ヨレヨレ日記』は、ベストセラーになり、続編として、さまざまなお仕事日記が発表され続けているのです。
今回は「メガバンク銀行員」として四半世紀以上働き続けている著者による、「銀行員日記」です。
ちなみにこのメガバンクは、文中では『M銀行』と、いちおうイニシャルになっていますが、近年、システム統合時のATMトラブルを起こしてしまった「み●ほ銀行」だと思われます。
著者は僕と年齢的にも近そうで、読みながら、高校時代の同級生で、銀行に就職した人たちのことを思い出していました。
25年前くらいの就職先としては、テレビ局や新聞社などのマスメディアと大手銀行、大手商社と官公庁は「花形」だったのです。
今や、テレビ局や新聞社はインターネット普及によってかつての地位は揺らいでいます。銀行も、AIやネットワークの発達で支店の統廃合が進み、人員整理が行われているのです。僕自身、最近はネットバンクやカードでお金のやり取りをすることがほとんどで、銀行を訪れる機会はほとんどな区なっています。
もちろん、2023年でも、マスメディアや銀行や商社は人気の就職先なのですが、25年前ほどの輝きは失われています。
僕の同級生、現在50歳くらいとなると、うまく出世できていれば、かなり上の役職になっているはずですが、銀行のビジネスモデルが大きく変わってきて、「こんなはずじゃなかった」とも思っているのではなかろうか。
いや、僕自身も、自分の人生については「こんなはずじゃなかった」し、大部分の人は、そうなのかもしれないけれど。
2002年と2011年、M銀行は2回も深刻なシステム障害を起こした。2002年にはさいたま新都心支店で、2011年には八潮支店で、それぞれ法人営業として、私はその渦中にいた。その後、日常の業務において些細な問題が起こっただけでお客から「おおっ、システムトラブル?」などと揶揄されたのも一度や二度ではない。いつのまにか「M銀行=システム障害」という負のイメージができあがった。
こうした汚名を注ぐため、M銀行は再起を図り、巨費を投じて新システムを開発した。社運をかけたプロジェクトだった。
2011年6月、本格的に開発がスタートする。われわれ支店の現場でもこの段階からオペレーションの練習がスタートしていた。今度は絶対に失敗させてはいけない。そんな空気が行内に満ちていた。
ちなみに、この新システム開発のプロジェクトには、四千数百億円が投じられ、これは、「東京スカイツリー7本分の建設費に相当する」そうです。
メガバンクのシステム開発って、利用者には「変化」が実感しにくいのだけれど、こんなに大きなお金がかかり、多くの人が動いていたのです。
M銀行の場合は、もともと3つの大きな銀行が合併してできた、という経緯もあり、そのシステムはかなり複雑に入り組んだものになっていたのです。
もう、システム障害は起こさないようにする……はずだったのが、結局、2021年2月28日に3度目の大規模システム障害が発生したのは、記憶されている方も多いと思います。
実際は、これほど大きな組織の「システムトラブル」に対しては、顧客と接する現場の銀行員たちには「目の前のお客様に謝り続け、なんとか混乱を最小限にしようとする」しかなかったのです。
これほどシステムが巨大化すると全容を把握している人はおらず、役職が上の高齢の人たちはコンピュータのシステムがどうなっているかなんて理解できていないし、誰が、何が悪いのかさえ、よくわからなくなってしまうみたいです。
僕は、「仕事でもプライベートでも、能力が高い人、やる気がある人は、自分で道を切り開けるのだろうな」と思って生きてきたのです。
残念ながら、僕はなんとなく流されてここまで来てしまったのですが。
著者が語っている「銀行員としての履歴」を読むと、「銀行員って、上司の覚えがめでたいかどうか、あるいは、どういう部署に配属されるかによって、こんなに職業人生が変わってしまうものなのか……」と驚かずにはいられなかったのです。
宮崎中央支店の寺川支店長は、病的なまでの完璧主義者だった。支店内でも他人のミスを絶対に許さなかった。
当然、支店長の評価に関わる人事担当者との面接についても神経質になった。面接を受ける者は完璧を求められ、想定されるあらゆる質問にパーフェクトの回答をするよう、事前に想定問答を叩き込まれていた。
しかし、アクシデントが起きた。当日、面接を受ける予定だった先輩がひどい風邪をひき、その日に出社することができなくなった。
すると、人事担当者は、赴任したばかりの私と面接したいと言い出した。そのことを私は当日の朝、知らされた。先方からの指名とあれば、断る理由もなく、面接に臨まざるをえなかった。
「支店長の経営方針を説明してください」
人事担当者が問う。赴任してまだ4日。寺川支店長の考えなど何も教わっていない。
「わかりません。4日前にこちらに来まして、引き継ぎの最中です。これから確認しようと思っていました」
「では、支店全体の預金残高、貸出残高はどうなっていますか?」
答えられない。「わかりません」と言い、人事担当者の顔色をうかがう。
「では、あなたが担当しているお客さま全体の預金残高と貸出残高はどうですか?」
さきほどの質問に答えられないのだから、この問いにも答えられるはずがない。人事担当者は私が答えに詰まるのを楽しんでいるようでもあった。
「それでは、支店長はどんな人か、ひと言で説明してください」
「……」
人事担当者は、次から次へと質問を浴びせた。質問の内容は昨日今日来たばかりの人間にとっては酷なものばかりだった。
私はいずれの質問にも答えることができなかった。悪夢の時間が過ぎ、憔悴しきって部屋を退出した。人事担当者が帰った後で、寺川支店長から声がかかった。
「ずいぶんなことをしてくれたみたいだね。俺の顔に泥を塗ってくれたね」
寺川支店長は明らかに苛立っていた。あの人事担当者が、寺川支店長に私のことを告げたのだ。
人事担当者はわれわれ行員を評価しに来たのではない。支店長評価のための面接なのだ。だから支店長は部下にヘマをされたくない。
「キミにはこのさき、冷や飯を食べてもらうわ。わかるかな? 十字架だよ。まあ、簡単には外れないからな。それぐらいのことをしてくれたんだよ。ナメるな!」
この一件が、その後の著者の銀行員人生に、大きなハンデとなっていくのですが、これ、本当に実際に起こったことなの?『半沢直樹』とかを観てつくったフィクションじゃないの?いや、フィクションであってほしい……
「顔に泥を塗った」って、状況を考えれば、どうしようもないだろこれ。
人事担当者も、昔のテレビドラマで観た、窓のサッシを手でなぞって「あら、こんなにホコリが!」って嫌味を言う意地悪な姑みたいだし。
この支店長は、ミーティングで著者を標的にしたパワハラを続けたそうです。
さらに、この支店長が著者に大きなマイナスの評価を下したことで、著者の行内での昇進は困難になってしまったのです。
今は「パワハラ」でみんなに伝わるのだけれど、当時は銀行という閉ざされた世界では、告発するという手段はなく、「耐えるか、辞めるか」しかありませんでした。
著者は、けっして銀行員としての能力が低かったわけではなく、のちに、自分に期待し、評価してくれる上司の元で、地元の人たちや仲間からも信頼され、素晴らしい営業成績をあげています。
ところが、その後の赴任先の大きな支店では、周囲からまともに仕事を与えてもらえなかったり、強引な勧誘で成績をあげていた同僚や上司に嫌われて、営業失格の烙印を押されたりしていくのです。
『置かれた場所で咲きなさい』というベストセラーがありますが、あまりに置かれた場所が酷い環境だったり、自分に向いていなかったりすれば、やっぱり「咲く」のは難しい。
著者の銀行員人生を読んでいると、考えずにはいられないんですよ。「人って、環境や巡り合わせによって、ここまで出せる力や結果が変わってしまうものなのか」と。
リーダーの、上司の、そして職場の環境の力って、こんなに大事なんですね。
でも、組織では、必ずしも「部下を、チームをやる気にさせ、結果を出せる人」が出世できるとは限らない。
寺川支店長(ちなみに、この本の登場人物は全て(仮名)だそうです)は、それなりに偏差値が高い大学を出て、銀行員としての成果をあげてきたからこそ、「支店長」という地位にいるはずなのだけれど、銀行の仕事の素人の僕からみても「来て4日目の著者が答えられないのは当たり前」なのに、自分の評価が下がったことへの怒りを、ぶつけずにはいられない人なのです。日本有数の銀行のはずなのに、この人事担当者もひどい。
この本の中には「営業成績はすごいけれど、稼ぐためなら顧客をどんなに不幸にしても『自業自得』だと割り切ってしまえる銀行員」も少なからず出てきます。彼らは上司に気に入られてどんどん出世していくこともあれば、心を病んで退場していくこともあります。時代の変化とともに、同じやり方では稼げないようになっていくことも少なくないのです。
いま、銀行で働いている人たちも、高金利であることは百も承知の「銀行カードローン」をわざわざ顧客に電話して勧めるような仕事は、けっこうつらいのではなかろうか。電話を受ける大部分の人にとっては「迷惑電話」だから邪険に扱われるでしょうし。
そういえば、半沢直樹を演じている堺雅人さんも、僕とほぼ同世代です。
25年くらい前、僕が大学を出たときに比べれば、世の中は、だいぶ「真っ当」になり、若い人たちも「告発」しやすい時代にはなりました。
とはいえ、そのハードルは、今でもけっして低くはないのだけれど。
『半沢直樹』や『水戸黄門』が視聴者にウケるのは、「現実には、あんな弱者が報われる大逆転は起こらない」からでもあるんですよね。
「いい会社に勤め続ける」のも、ラクじゃない。というか、「いい会社」の条件って、いったい何だろう?