琥珀色の戯言

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【読書感想】タクシードライバーぐるぐる日記 ☆☆☆


Kindle版もあります。

ベストセラー『日記』シリーズ最新刊!!
50歳で失業、以降15年間にわたってタクシードライバーとして勤務した著者による、怒りと悲哀と笑いの録。

「おい、どこ行くんだ!」
後部座席のお客が大声で怒鳴る。私は思わず急ブレーキを踏んでいた。
「すみません。お話し中だったものですから」私は詫びた。
「しょうがねえなあ。八重洲と言っただろ?」
「まだこのあたりに詳しくないもので……」
「チッ」 30前後と思われるお客はあからさまに舌打ちをした。(「はじめに」より)

今回もすべて実話の生々しさ。


 『交通誘導員ヨレヨレ日記』がけっこう話題になり、シリーズ化された「高齢者お仕事日記」の「タクシードライバー編」です。


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 僕自身が、いつのまにか「高齢者」と呼ばれてもおかしくない年齢になってきたことや、「こんな仕事があって、けっこう高齢者が働いているのか……」という興味もあって、このシリーズはずっと読んでいるのですが(一冊読むと、なんだか同じような装丁の他の「日記」も気になりますよね)、この『タクシードライバー日記』に関しては、つまらなくはないのだけれど、タクシー日記はこれまでけっこう読んできたし、そんなに目新しさはなかったな、というのが率直な感想です。
 

 著者は、長年やっていた商売がうまくいかなくなり、経済的な理由で50歳のときにタクシー運転手に転職したそうです。

 タクシードライバーになることだけは決めた。
 しかし、タクシー会社を選択するすべがわからない。どの会社がいいのだろうかと迷っていたとき、たまたま「どうせやるなら大手」という宣伝コピーを目にした。私が就職活動を始めた2000年当時、タクシー会社各社は競って社員募集をしていた。業界大手4社のうちの一社で、その会社の名前は私も知っていた。
 電話で問い合わせると、「何日に来られますか?」と聞かれた。適当にいくつかの候補日を伝えると、面接日が即決された。実際には無職の私に都合の悪い日などなかった。
 この問い合わせが、採用条件の一次試験だったことをあとで知った。
「ねえ、今、運転手募集してるの?」
 こうした言い方で電話してきた人間はすべてその場でお断りしていたのだという。
 後日、指定された日時に会社に赴く。会社内の会議室には15名ほどの応募者たちが集められていた。書類に入社希望理由の記入を求められた。
 ふつうは「御社の将来性を考えて」とか「この仕事が自分を生かす道と思い」などと記すのであろう。それでもこの仕事選びに積極的な気持ちなどなかった私はなんと書くべきかと逡巡した。私も含めて多くの人が戸惑っているのを見たのであろう担当者は、
「この仕事のほかになかった、と正直に書いてもらっても構いませんよ」
 と言った。多くの人にとってそれが本音だったのだろう。会場から安心したような笑いが漏れた。


 正直、乗車する側からすると「困ったタクシー運転手さんたちの話」もたくさんあるし、僕自身は、「金銭的な問題よりも、車という密室で知らない人と一緒にいて、話しかけられたりするプレッシャーのほうが憂鬱」で、公共交通機関を利用することもあるのです。
 こういう本で、「働いている人たちの事情」を知れば知るほど「ワンメーターの距離だと、乗りにくいなあ……」などと考えてしまいますし。


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 運転手も乗客も、お互いに「良い人に当たればいいんだけどなあ……」と不安なところはありますよね。
 外国ではタクシーで脅されたり、不法な料金を請求されたり、なんて話も僕が若い頃はよく聞いていましたし。
 日本でも、やたらと運転が荒い人とか、プライベートなことまで遠慮なく立ち入ってきたりする人とかもいるのです。
 客の側も、せっかくだから車内で会話を楽しみたい、という人もいれば、僕みたいに、「なるべく放っておいて、話しかけないでほしい」というタイプもいます。
 運転手の側も、料金をごまかしてきたり、不当なクレームをつけてきたりする「客」に少なからず困らされている、ということも書かれていました。

 班長のひとり、50代で痩身に丸メガネをかけた篠崎さんは誠実な人柄で私も尊敬していた。
 あるとき、その篠崎さんが私に「客の中で一人どうしても許せない奴がいましてね」と話しかけてきた。ふだんの篠崎さんは紳士然とした人物で、お客ばかりか同僚の悪口を話すのを聞いたこともない。
 彼がそこまで言うのならよほどのことがあったのだろうと、興味津々でその話の先を聞いた。
「奴」とは有名な女性コメンテーターだった。
 篠崎さんは無線で呼ばれ「奴」の住むマンションに行った。都心の大規模なタワーマンションだったという。
 そこで彼女を乗せて目的地に向かう。タワーマンションの地下駐車場は広く、複雑なところが多い。篠崎さんは出口がわからず、彼女に「出口はどこでしょう?」と尋ねた。
「そんなこと私が知っているわけないでしょう!」
 彼女は突然、大きな声で怒鳴りつけた。
 行き先は横浜市青葉区にある緑山スタジオだった。
 目的地付近に着き、念のため篠崎さんが「あの建物でしょうか?」と問うと、「初めてなんだから、私にわかるわけないでしょう!」
 また大声で怒鳴られた。篠崎さんのクルマに乗っているあいだ、彼女が発したのはその二言だけだったという。
 篠崎さんは20年以上この仕事をしているが、酔客でもない客から、自分のミスでもないのに一方的に怒号を浴びせられたことなどないと悔しがっていた。まるで奴隷か下僕にでも対するような言い方だったらしい。
 そんな「奴」がふだんは庶民の味方のような顔をしてテレビに出演している。
 タクシーという密室がそうさせるのか、ふだんなら絶対に見せないであろう顔をのぞかせることがある。それが彼女の本性なのかどうか。
 それ以来、篠崎さんは「奴」が出てくるとテレビのチャンネルを替えるようになったという。

 こういうのを読むと、人間の表の顔と裏の顔について考えてしまいます。
 以前、林修先生が、著書に、こんな話を書いておられました。


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 今でも目に浮かぶ光景があります。大学時代、講義前にトイレに行こうとしたら、清掃中の札が掛かっていました。そこでほかのトイレに行こうとしたんですが、後ろから来たのがなんとその講義の教授でした。
 もちろん僕はあわてて頭を下げました。すると、教授は僕と同じくらい、いや、僕以上に深々と頭を下げられたのです。それだけではなく、ちょうど出てきた掃除のおばちゃんに対しても、まったく同じ角度を下げられたうえで、「お疲れ様です」と、挨拶されたのでした。


(中略)


 その後、講義が始まったんですが、僕はずっと「挨拶」の意味について考えていました。そして、そのとき初めて、挨拶の本当の意味をわかったような気がしたんです。
 挨拶を誰にするかといえば、もちろん声をかけるその相手です。しかし、挨拶はその人にだけでなく、世間が挨拶する僕を見る機会でもあるのです。
 僕にとって一番の衝撃は、僕と、掃除のおばちゃんに対してまったく同じお辞儀を先生がされたことです、ちなみに、その先生は日本の法曹界の大御所と言ってよい、東大法学部の教授の中でも特に有名な方でした。


 林先生は、この話のポイントは、「誰に対しても同じように深く頭を下げること」だと仰っています。
「挨拶は大事」なのだけれども、それだけでは、あたりまえのことです。
 ましてや、偉い人の前では深々と頭を下げ、掃除のおばちゃんは無視する姿は、傍からみれば「ゴマスリ人間」にしか見えないんですよね。
 それだったら、「みんな無視」のほうが、むしろ清々しく見えさえするのです。
 でも、当事者になると、なかなかこの「平等にちゃんと挨拶する」のは難しいんですよ。
 ちなみに、林先生は「頭を下げるコストはゼロなんだから、有効に使ったほうがいい」とも仰っています。


 今の世の中は、「プライベートでの行動」のつもりでも、それがSNSで拡散されてしまう可能性も少なからずあるのです。
 
 正直、こういうタクシーの中でのエピソードを読むと、「ひどいコメンテーターだな」と思うのと同時に、名前がわからないようにしてあるとはいえ、タクシーの運転手さんが、いくらひどいことをされたとはいえ、こういうことを本に書いてしまうのだなあ……とも思うんですよ。
 このコメンテーターだって、何か不機嫌になるような理由があったり、体調が悪かったり、ものすごく緊張していたりしたのかもしれませんよね。だからといって、この態度はあまりにもひどいけど。
 人が見ていない、公の場ではないからこそ、自制心をはたらかせる、というのが現代社会での処世術なのでしょう。


 ちなみに、タクシードライバーの収入について、著者が所属していた大手タクシー会社ではこんな感じだそうです。

 一般的に、早朝に出社し、深夜に帰庫する。
 帰庫してからも、納金、日報提出、座席のシート交換、洗車……と仕事は続く。
 その日の売上げの60%がドライバーの取り分となった。
 5万円の営業収入があれば、取り分が3万円となる。月に12回の勤務だから、これで36万円の月収となる(ここから税金等が引かれるので手取りはさらに減る)。ただ、この5万円というのが私にとってはなかなか難しいラインであった。


 月収36万円は悪くない気はしますが、とにかくハードな仕事であることは間違いなさそうです。
 コロナ禍では、お客さんが激減し、車内の消毒もドライバーの仕事になっています。
 仕事とはいえ、見知らぬ人を乗せての運転というのは、ストレスも大きいでしょうし。
 

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