琥珀色の戯言

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【読書感想】食魔 谷崎潤一郎 ☆☆☆☆

食魔 谷崎潤一郎 (新潮新書)

食魔 谷崎潤一郎 (新潮新書)

  • 作者:坂本葵
  • 発売日: 2016/05/13
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

食魔 谷崎潤一郎(新潮新書)

食魔 谷崎潤一郎(新潮新書)

内容紹介
その食い意地こそが、最大の魅力。「料理は藝術。美食は思想」という哲学を生涯貫き、粋な江戸前料理からハイカラな洋食、京都の割烹、本場の中華まで、この世のうまいものを食べ尽くした谷崎潤一郎。「食魔」とも称された美食経験は数多の名作に昇華され、食を通して人間の業を描いた。「悪い女ほどよく食べる」「蒟蒻とサドマゾ」「東西味くらべ」など、斬新なアングルで新たな魅力を掘り起こす、かつてない谷崎潤一郎論!


 食通としても知られた作家・谷崎潤一郎
 その「食」にスポットライトをあてた新書です。

「僕は少くとも三日に一遍は美食をしないと、とても仕事が手につかない。美食は僕の日常生活に必須条件となっているのだ」(「上方の食ひもの」大正13年
 谷崎の生涯と文学にとって、美食はなくてはならないもの。健啖の美食家を自負する彼は、和洋中いずれの食にも造詣が深く、数々の名店を情熱的に渡り歩き、あらん限りの美食を貪った。「食魔」と自称した谷崎は、中華料理店で宴の最中火事が起こっても一人だけ逃げずに悠々と食べ続けていたとか、老人になっても「猿は木登りの名人おじいちゃんは食べる名人」と嘯いたとか、その種のエピソードには事欠かない。


 著者は、谷崎潤一郎の「食」へのこだわりの原点は、父親の事業が失敗したため、中学校時代に住み込みの家庭教師・書生として働いていたときのことが影響しているのではないか、と述べています。

 天下の秀才でありながら、毎日つまらない用事を言いつけられ、主人にペコペコ頭を下げて暮らさねばならないという屈辱。かつては自分も「お坊ちゃん」と呼ばれ、いつも乳母や女中にかしずかれるような身の上だったのに……。
 そんな悔しさもさることながら、谷崎少年がのたうち回るほど恨めしかったのは、「食い物」である。使用人の書生には、ご飯に沢庵、ひじきと油揚げの煮ものといった貧弱な食事しか与えられない一方で、ハイカラなホテルとレストランを経営している、裕福な北村家は美食三昧。三度の食事はもちろんのこと、おやつに至るまで贅沢なものだった。


 のちに谷崎は随筆で、こう書いているそうです。

 さう云う時の羨ましさ、、恨めしさ、ほんとに涙が出るほどでございましたな。
 後年手前が人並み外れた健啖家になり、喰ひしん坊になりましたのも、あの時分の経験がよくよく胸に応へてたせいかもしれまえん。(「当世鹿もどき」昭和36年


 谷崎さんの場合は、事業に失敗して家勢が傾くまでは、贅沢な暮らしをしていただけに、なおさらその落差が身にしみたのかもしれません。
 月並みな言い方ではありますが、「食べ物の恨みは恐ろしい」。


 著者は、谷崎作品のヒロインたちは「食」についてのある特徴を持っていることを指摘しています。

 さて、谷崎の悪女たちを「食」の観点から見ていくとある興味深い共通点を見いだすことができる。それは、彼女らが揃いも揃って「よく食べる」ということ、そして料理をしない女であるということである。

 悪女の代名詞である「痴人の愛」のナオミは、同時に、大食いだが自分ではろくに料理も後片付けもせず食い散らかすばかりという、だらしのないヒロインの代表選手でもある。
 浅草雷門のカフェで働いていた少女ナオミは、年上のエリート技師譲治に見初められ、彼に引き取られて後に妻となる。彼女の大好物はビフテキ。「ビフテキのあとで又ビフテキと、ビフテキの好きな彼女は訳なくペロリと三皿ぐらいお代わりとするのでした」というくらい肉が大好きで食欲旺盛だ。まるで、腹を空かせた肉食獣のようである。肉食と水泳によって、少女ナオミは西洋女性と見まがうような豊満な体つきに成長する。


 そういえば、村上春樹さんの小説にも、よく「食べる」シーンが出てくるのですが、「ビフテキ三皿ペロリ」というほど、よく食べる登場人物はあまりいないようです。
 しかも、谷崎作品の「悪女」は、食べるけれど料理はしないし、後片付けもしない。村上春樹作品の主人公の家事にマメな男性とだったら、ちょうど良い組み合わせになるかもしれませんね。


 ただ、この新書によると、こんなビフテキの描写が出て来るわりに、谷崎自身は洋食が好きではなかったようです。

 これだけ小説中に西洋かぶれの洋食描写があふれていながら、実生活での谷崎は、洋食は健康のために食うが決して好きではない、と意外なことをエッセイ「洋食の話」(大正13年)で述べている。

 私は糖尿病があるので仕方がなしに洋食を喰ふが、しかし旨いと思つたことはめつたにない。外国へ行けば知らぬこと、日本でたべて一番うまいのは支那料理、その次ぎが日本料理、——まあここまでは料理と云へるが、洋食と来たら料理のやうな気がしない。

 好きになれない理由としてはまず単純に味がまずい。日本国内で供される洋食の調理法が拙いわけではなく、洋行経験のある人の話を総合するに、本場だろうが洋食は元来うまいものではないのだろう、と辛辣な評価だ。

 谷崎の洋食嫌いの理由は味だけではなくて、礼儀作法のやかましさも嫌っていたようです。
 谷崎さんにとっての美食の極みというのは「色気やお洒落をそつちのけにして、牛飲馬食するところ」なのだとか。
 本当に「食べること」そのものが好きな人だったんですね。


 谷崎は、家での食事についても、大変なこだわりがありました。

 この家では、昼と夜の献立を決めるのは主婦ではなく、谷崎であった。その日の気分ということもあるし、どこそこからいいお肉や魚をもらったから……というようなことを元に決める。順序としては「夜はビフテキにするので昼は軽くしておこう」など、本命の晩餐を決めてから逆算して昼の最適解を求めるような感じだろうか。彼がメインの一、二品を決めると、それに合った残りのおかずや汁物を考えるのは重子の役目。和可奈など行きつけの料理屋に、何かいいものが入っているか問い合わせたりしながら決める。
 三時はおやつの時間。熱海のレストラン・モンブランのチーズトースト、洋菓子三木のクッキー、ラングドシャ、アイスクリーム。京都から、松屋のみそ松風、道喜のちまき。岡山の初平の水蜜桃、金沢の森八の和菓子、中津川すやの栗きんとん、東京空也の和菓子などを季節に応じてお取り寄せ。
 夕食はきっかり六時半から。全員がきちんとした格好をして、時間通りに揃わないと谷崎は機嫌が悪い。そのため六時過ぎになると、女性たちはお化粧をし直したり身だしなみを整えたりと慌ただしかった。


 洋食のマナーは嫌っているはずのに、家族は「自分の食事ルール」に従わせる大谷崎
 いかにも、というエピソードではあるのですが、晩年、昭和30年代後半に、ここまで食にこだわることができた人というのは、そんなにいなかったと思われます。
 とくにこのデザートの充実っぷりといったら!

 「食」からみた、大文豪の生き様と作品世界は、なかなか興味深いものでした。
 というか、食に関する、ものすごく人間らしいところと、恐ろしくなるほどのこだわりというのは、まさに谷崎作品そのもの、ではありますね。


谷崎潤一郎 作品全集

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