食の実験場アメリカ-ファーストフード帝国のゆくえ (中公新書)
- 作者: 鈴木透
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/04/19
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
先住インディアン、黒人奴隷、各国の移民らの食文化が融合したアメリカの食。そこからバーベキュー、フライドチキン、ハンバーガーなど独自の食文化が形成されたが、画一化されたファーストフードや肥満という問題をも引き起こした。そしていまアメリカではスシロールをはじめとする、ヘルシーとエスニックを掛け合わせた潮流が生まれ、食を基点に農業や地域社会の姿が変わろうとしている。食から読む移民大国の歴史と現在。
アメリカの食事といえば、ハンバーガーとフライドチキン、それにフライドポテト、みたいなイメージを持っていたのです。
まあしかし、それは日本人の思い込みであって、現地に行けば、いろいろな選択肢があるのではないか、とも予想していたんですよね。
そんななか、1か月ほどアメリカのさまざまな土地に滞在してみて実感したのは、ホテルのレストランで出てくるような料理は、ステーキを中心にどこでもあまり変わらず、外食で安く済ませようとすれば、ハンバーガーやサブウェイのようなファーストフードが中心になる、ということだったのです。
もちろん、現地でずっと生活している人たちには、それなりの「家庭料理」みたいなものもあるのでしょうけど。
それでも、日本のような多彩な料理の選択肢は、旅行者にはなかったのです。
著者は、アメリカの食文化について、その歴史とともに紹介しています。
アメリカは比較的歴史が浅い、移民の国だけに、建国当初は「さまざまな土地、民族のローカルフードが入り混じった国」だったのです。
現在でも、広いアメリカでは、それぞれの土地にローカライズされた食べ物が少なくありません。
例えばシカゴに行けば、シカゴスタイル・ホットドッグとか、シカゴスタイル・ピザと呼ばれるものがある。フランクフルト(ドイツ料理)もピザもイギリス起源ではないが、さらにそれが一風変わったスタイルに進化しているのだ。シカゴのホットドッグは、フランクフルト以外にも、トマト、タマネギ、ピクルス、ハラペーニョなどを、まるでハンバーガーのような感覚でパンに挟む一方、定番のケチャップは使わないことが多い。また、シカゴのピザは、ディープディッシュ・ピザと呼ばれ、生地が分厚く、中にソーセージやマッシュルーム、ピーマンなどが埋め込まれている。アップルパイのような形状で、パイの中身の部分にチーズとともに具がぎっしり詰まっている姿を想像してもらえばよい。1929年の大恐慌から第二次世界大戦にかけての食糧難の時期に、一回の食事で十分な栄養を取れるようにしようと普及した食べ方が、今やローカルフードとして定着しているのだ。
このように、典型的なアメリカ料理と思われているものは、実際には非イギリス起源であるだけでなく、世界の他のどこにも存在しなかったようなユニークな姿に変身している例もある。一方、日本では一般にはあまり知られていないことかもしれないが、映画鑑賞の必需品ともいうべき、アメリカを代表するスナックのポップコーンは先住インディアン由来の食べ物だし、フライドチキンは黒人奴隷と深い関わりを持つ。パーティメニューの定番、バーベキューに至っては、先住インディアンと黒人奴隷の両方の存在なくして成立しえなかった料理だ。
アメリカという国の食文化は、イギリス料理の伝統を受け継いでいるというわけではなく、この土地で生きてきたさまざまな人種・立場の人たちがもたらした食べ物のハイブリッドともいうべきものなのです。
白人入植者たちが食糧確保の困難に直面した時、先住インディアンたちは、彼らの進んだ農業技術を提供した。両者の関係は、結果的には武力弾圧の歴史へと向かうのだが、両者が遭遇した当初は、食料確保の必要から白人側が平和的にアプローチすることも珍しくなかった。一方、先住インディアンには、土地の私有という概念がなく、神から与えられた共有財産たる土地に関しては、他者にも便宜を図るのが彼らの流儀であった。その結果、先住インディアンの農業技術が白人へと伝わり、白人入植者は生き延びることになったのだ。その後の歴史を考えれば、ある意味では白人たちは恩をあだで返しているともいえる。
先住インディアンが白人入植者に勧めたのは、トウモロコシ、カボチャ、豆類のスリーシスターズの栽培だった。しかし、これら三種類の作物は、いずれも当時のヨーロッパではなじみ深い食材とはいえなかった。そこで、白人入植者たちは、いわばこれを代用品として受け入れることで、食生活をまかなう道を模索し始めたのだった(ちなみに、ハロウィーンに欠かせないジャック・オー・ランタンも、元来アイルランドではカブをくりぬいて作っていたが、19世紀に大量にアメリカに押し寄せたアイルランド系移民がカボチャで代用するようになり、現在の形が定着した)。
アメリカに移住してきた人たちは、ヨーロッパとの気候や風土の違いもあって、食料を確保するのに苦労していたのです。
そこで、彼らをサポートしたのが、先住民たちでした。
先住インディアンのその後の苦難を考えると、本当に「恩をあだで返した」としか言いようがありません。
映画を観ながらポップコーンを食べる、なんていうのは、いかにも「アメリカ的」な感じがするのですが、トウモロコシも、ポップコーンも、もともとは「アメリカ先住民たちの文化」だったそうです。
アメリカの食文化を代表する存在である「ハンバーガー」の誕生についても著者は書いています。
ハンバーガーがいつアメリカに出現したのかには諸説あり、特定するのは難しいが、およそ以下のような経緯をたどったと考えられる。まず、挽き肉を焼いたハンバーグ・ステーキというべき料理はすでにヨーロッパに存在していた。ドイツやスカンジナビア半島からの移民がアメリカに渡る際、出航地となっていたのはドイツのハンブルクで、19世紀半ばにはニューヨークとの間に定期船も就航していた。そして、彼らとともにアメリカに広まったのが、こうした挽き肉のステーキで、出航地にちなんでハンバーグ・ステーキと呼ばれるようになったらしい。1876年に開催され、半年間にのべ1000万人が来場したといわれる、建国100年を記念したフィラデルフィアの万国博覧会の会場では、ドイツ料理の店が設置され、ハンバーグ・ステーキを提供していた。万国博覧会は、新しい製品や技術の見本市としての性格や外国紹介の要素を持っており、エスニック理が一般庶民に普及していく重要な契機となったであろうことは容易に想像される。
だが、当初それは肉料理であって、パンに挟む食べ方ではなかった。そうした新たな食べ方が登場してくるのは1880年以降で、それが普及する大きなきっかけとなったのも、万国博覧会などの大きな催し物やスポーツイベントだった。これらの会場には、模擬店が出店し、立ったままでも食べられるものが求められた。それには、ナイフやフォークを使わずに済む、フィンガーフードが理想的だった。そこで、様々な人々が新たなフィンガーフードを考案し、その中で人気を博することになったのが、ハンバーグ・ステーキをパンに挟んで食べるハンバーガーだったのだ。ハンバーガーの普及の大きな転機になったのは、1904年のセントルイスでの万国博覧会だったといわれる。
こうして、ハンバーガーをはじめとするファーストフードがアメリカで「便利な食べ物」として広まっていくことになります。
レストランで食べるのに比べて、短時間で済み、広い国土を移動しながらでも、あるいは、屋外でも食べられる、というのは、大きなアドバンテージにもなりました。
その一方で、「食の画一化」や「効率と価格重視で、安全性に問題がある食べ物」であると考える人たちも増えていき、アメリカでは、「ファーストフードの、その先」も模索されていったのです。
そのきっかけになったのが、日本からやってきた「寿司」の隆盛だったと著者は指摘しています。
カリフォルニアロールなどは、日本人からみれば「異端」なのですが、アメリカ人からみれば、「アメリカ人に食べやすいようにローカライズされた食べ物」なんですよね。
ただし、「健康的な食事」は、今のアメリカでは、かなり高価になりがちで、富裕層のファッションとして、庶民には縁遠いものになっているのです。
ファーストフード店で働き、その安い賃金では、ファーストフードや冷凍食品、スナック菓子を食べて生きていくのが精いっぱい、という人たちが再生産されているのです。
これは、格差がどんどん広がっている日本の近い未来像かもしれません。
アメリカは、ジャンクフード帝国という印象があったのですが、実際は、さまざまな人種や文化の融合による、新たな食を生み出す試みが、絶えず行われてきた国なのです。
ファーストフードの先にあるものは、何なのだろうか。
スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで (中公新書)
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