琥珀色の戯言

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【読書感想】仕事休んでうつ地獄に行ってきた ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
地方の局アナから、キー局の看板ニュースキャスターへ華麗に転身。その容姿は「奇跡の38歳」と騒がれるほど。 キャリアと美貌、だれもが羨む人生の階段を上っていたある日、突如、始まったうつ地獄への転落・・・


日本テレビニュースキャスター・丸岡いずみが、重度のうつ病を発症し、奈落の底を這いつくばり、命がけで生還するまでを、赤裸々に語った自伝的エッセイ。
毎日をがんばるすべての女性に読んでほしい一冊です。


僕が丸岡いずみさんのことを知ったのは、丸岡さんが「うつ」から回復されてからのことでした。
映画評論家と結婚された、というのをニュースで知り、最近では『お試しかっ!』や『芸能人格付けランキング』に出演されていたのを観ました。
僕がこの丸岡さんの「闘病記」を読みながら感じていたのは、丸岡さんの「自負心」なんですよね。
僕にとっては、あまり興味の対象ではなかったし、そこそこの有名人ではあったものの、「大スター」というほどではなさそうなニュースキャスターでも、こんなに気張って働いていたのか、と。
「地元の徳島でもマスクが手放せなかった」とか「夫とのデートのときも、写真を撮られないようにずっと注意していた」とか。
AKB48のメンバーみたいに「恋愛禁止ルール」があるのならともかく、「丸岡さんが誰かとデートしていても、『まあ、恋人がいてもおかしくないよね』と聞き流す」人のほうが多いはずなのに。
もしかしたら、そういう「自意識」の強さや「責任感」が、丸岡さんの栄達の源であり、また、うつのひとつの要因になったのかもしれません。


この本を読んでいてあらためて感じたのは、「うつ」というのは、誰に、いつ起こるか、わからないものなんだな、ということでした。
ニュースの現場というのは、肉体的にも精神的にも過酷であることは間違いなく、丸岡さんも被災地への取材で目をそむけたくなるような犠牲の現場に立ち会ってこられました。
そんななかでも、その場ですぐ精神的に落ち込んだわけではなく「取材に行きたくないと感じたことが、一度もなかった」そうです。
職場環境や人間関係にしても、「休みたいといえば、休ませてくれるような、雰囲気の良い環境だった」と仰っておられます。
もちろん、ラクではなかったでしょうけど、「やりがい」もあり、「人間関係」にも(この本に書かれているかぎりでは)恵まれていた。
それでも(それだからこそ?)、丸岡さんは自分の限界を超えるまで頑張ってしまっていたのです。

 この日、キャスターになって初めて、原稿の中に出てくる「山」や「川」などのような、小学生でも読める簡単な漢字にさえ全部ふりがなを振りました。
「何が何でも、乗り切らないとまずい。失敗は許されない」と心の中ではそれだけを念じて、ひたすら耐え忍びました。
 そして、番組が終わった瞬間、とうとう踏ん張りがきかなくなったのが、自分ではっきりと分かりました。
「あっ、私、一線を越えた……」
 急にソワソワして落ち着かなくなりました。
「このままだと本番中にとんでもない発言をしたり、大失敗をやらかしたりして、番組に取り返しのつかない迷惑をかけてしまう。速報が飛び込んできたら、もうお手上げ。対応できない」
 

 たまらなくなって、上司たちに打ち明けました。
「私、もうダメです……」
「えっっっ!?」
「休みが欲しい。とにかく一刻も早く休みたいのです。実家に帰りたい。徳島に帰らせてください」
「丸岡、何、言っているの?」
 上司はまさに寝耳に水、あんぐりと驚いた様子で続けました。
「今日のオンエアー、あんなにバッチリだったじゃない?」

周囲の人たちは、状態が悪化してきた丸岡さんが、「もう限界なので、休ませてください」と休養を訴えたとき、すごく驚いていたそうです。
さっきの放送も、とくに問題なくやれていたのに、と。
「うつ」って、外からはわからないこともある。
こういう場合には、結局のところ、「予防」って難しいのではないか、という気もするのです。
「無理しないで」とは言うけれど、どのくらいが限界なのかは、壁にぶつかってみないと、本人にだってわからないのだろうから……


この本、闘病生活の内容については、あまり詳しく書かれていません。
ただ、いろいろ調べてみたところ、うつがひどい時期というのは、記憶があまりはっきりしなくなるようなことも多いそうです。

 ボーッとしていると、悪いことの連想ゲームが始まります。悪いことばかりがグルグル頭に浮かんでくるのです。
 これも地獄でした。一度ゲームが始まると、自分ではどうにも止めることができないのですから。
 花を見ると、「この花は、大嫌いな○○さんが好きだった花」となるのです。自然にそういうネガティブな思いが浮かんでくるから、大変なのです。そこから、嫌いな○○さんのことを思い出して、悶々とします。
 自分の手を見ていても、「シワシワで老人の手になっている。もうダメだ……」と寂しくなります。
 鏡で顔を見ていても、「小ジワがいっぱいでき始めている。このままボロボロになって、おばあさんになるのだ……」と悲しくなります。
 髪が数本抜けただけで、「このまま全部抜けるに違いない。もうダメ、もうダメ、もうダメだ……」と空しくなります。
 何をやっても止まりません。
「承諾を得たとはいえ、嫌がる人たちを無理に取材したこともある。今、その報いを受けているのかもしれない……」と気分が沈んでしまうこともありました。
 薬を飲まない限りは止まらないでしょう。
 主人に対しても、「本当はストーカーなのかもしれない」と疑うようになっていきました。

 丸岡さん本人はもちろん辛かったと思うのですが、御家族や、当時はまだ交際相手(といっても、2回デートをしたくらいだったそう)だった、夫の有村昆さんも、よく支え続けてきたなあ、と思わずにはいられません。
「病気のせい」だと頭では理解しているつもりでも、自分が知っている人に疑われたり、厳しい言葉を投げかけられるのは、ほんとうに辛いものだから。


 丸岡さんは、治療開始当初、大学院で学んでいた「認知行動療法」で自ら治療をするつもりで、「精神科の、心の病の薬」を真面目に内服していなかったそうです。
 それで、病状をこじらせてしまった面もある、と自戒しておられます。
「まずは、専門家である精神科医にまかせる」ことが大事なのだ、と。


 さまざまな方法で「うつを克服した!」という人の体験談を僕も書店でみかけるのですが、それぞれの人が置かれた環境も病状も違うのですから、まずは最大公約数的に効果が期待できる薬物療法をキチンとやってみることを、僕もおすすめします(精神科は専門じゃないですけどね)。


 あと、これを読んでいて考えさせられたのは「いまのニュースは、『伝えるべきではないこと』も、無雑作にばらまきすぎているのではないか?」ということでした。

 そうしているうちに、インターネットのヤフーのトップニュースに「丸岡いずみうつ病? 長期休暇の真相」みたいな記事が載って、心配した友人や知人から、「大丈夫?」と携帯電話に表示できないくらい大量のメールが一斉に送られてきました。
「世の中、大変なことになっている!」とびっくり仰天です。
 同時に、「もう私のことに構わないで。興味を持たないで。お願いだから、放っておいて!」という心境に陥り、すっかり心を閉ざしてしまいました。
 両親以外、誰とも会いたくない。
 そこからです。
 猛烈な勢いで、ガクーンと体調が悪化の一途をたどります。

 
 少しずつ回復しつつあったときのこと。

 彼(有村昆さん)以外の友人や知人からも、数えきれない量のメールが届いていたので、ゆっくりメールチェックも始めました。
「落ち着いたら、連絡ください」と一言だけ書いてあるうつ病の友だちからの連絡には、ホッとしました。
「大丈夫ですか?」
「心配なので、連絡ください!」
 正直に言うと、そういうメッセージには一番困りました。
「大丈夫じゃないから、入院していたのに」
「連絡ができるぐらいだったら、うつになっていないよ」
 それから、いたずら電話かと勘違いしてしまうほど、数多くの着信履歴が残っている人もいました。
 気にはなっていましたが、結局、返信できずにノーリアクションで通しました。どうしようもなかったのです。


 病気の人を見守る側って、こんなふうに「自分が心配しているアピール」をしてしまいがち、なんですよね。
 それは、相手のためにはならず、心配している自分を安心させているだけなのに。
 国の首相とか大臣クラスであれば、やむをえないのかもしれませんが、芸能人のプライベートな病気の情報が、ヤフーのトップページに掲載されてしまうのには問題があるのではないか、と考えずにはいられません。
 

 つい、がんばりすぎてしまう人、あるいは「自分ではそんなつもりはないのに、周囲から『がんばりすぎないように』と言われがちな人は、読んでおくと、いつか役に立つかもしれません。
 もちろん、役に立つ機会が来ないほうが良いのでしょうけど。

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