Kindle版もあります。
72歳になった著者が他人事ではなく、鶴見俊輔『もうろく帖』の「老い」をじっくり考えぬく。家族にとっての老いは不朽の名作『恍惚の人』、谷川俊太郎の棺のそばで思ったこと、3歳下の実弟の死から身近な血縁、ひとりで死ぬことを思う。注目の思索エッセイ。
病院でずっと働いている僕にとっては「老い」「老いた人と向き合う家族」というのは、身近なテーマではあるのです。
僕自身も50代となり、自分自身の「老い」とともに、それを否定したい気持ちが入り混じっています。
自分では、まだまだ若い、というよりは、まだそんなに年を重ねるほど生きていないつもりだったのに。
この本の著者は高橋源一郎さんなのですが、僕が若い頃から作品を読んできた高橋さんが、もう72歳になられたことを知って、僕も自分の年齢を実感せざるをえませんでした。
高橋さんは、この新書のなかで、鶴見俊輔さんの『もうろく帖』で、本人にとっての「老い」の感覚、有吉佐和子さんの『恍惚の人』で、家族にとっての「老いた人、認知機能が低下した人」の存在について書き、最後に、谷川俊太郎さんと自らの弟さんの「老いと死」を語っておられます。
「老いること」は悪なのか?
「老人」は社会にとって「邪魔」なのか?
医療、という立場からみると、それまで頑張って生きてきた人が老いていったからといって、「役に立たなくなった」と見捨てるような社会は、あまりにも精神的にも経済的にも「貧しい」と思うのです。
ただ、現実の介護には時間も体力もお金も必要で、少子高齢化が進んでいる社会では、若い世代の負担が大きくなりすぎているのも事実です。
「高齢者の経験知」をみんなが求めたり、「年長者に敬意を払う」のが当たり前だったりする時代は、もう終わっています。
それでも、今のところ、自分の家族や友人・知人に対しては、できれば元気で長生き、それが難しくてもなるべく良い環境で大事にしてあげたい、と思う人が多数派ではあるんですよね。
僕自身も、高齢者を軽んじるような社会は悲しいと感じるのだけれど、それは高齢者が主な顧客の仕事をしている人間のポジショントークなのかもしれません。
高橋さんのこの新書を読むと、「老い」も人間のひとつの姿であり、なんだか崇高なもののようにも感じますが、現実の認知症の高齢者の介護は、そんな「きれいごと」でも「文学的」でもないんだよなあ、と言いたくもなるんですよ。
それでも、高橋さんや鶴見俊輔さん、吉本隆明さん、『恍惚の人』の登場人物たちの言葉は、いま、生きていて、「晩年」を迎えつつある僕の身に染みるものがたくさんありました。
「世界」はずっとつづくはずだ。でも、それは「人類」や「ぼくたち」にとっての「世界」だ。「人類」や「ぼくたち」は、その「世界」が存在することを、みんなでずっと、継続的に確かめることができるからだ。
でも「ぼく」にはできない。「世界」は、「ぼく」が生まれると同時に現れ、「ぼく」が死ぬとき、消えるはずなのだから。
後ろを振り返ってみる。歩いてきた道を。すると遥か遠くは霞んで見えない。黒いもやもやしたなにかが見えるだけだ。前を向いてみる、やはり前に続く道の彼方にも、同じようなものが見える。というか、「その先」は見えない。
その「見えない」過去から「見えない」未来の間に、「ぼく」の「世界」が広がっている。いや、そこだけが、ぼくの「世界」だ。それは、「ぼくたち」の「世界」よりずっと狭いのである。
それでも、あなたたちは、「いや、世界はずっとありつづけるよ。ぼくが生まれる前にもあったし、ぼくが死んだ後でもずっとつづくのだよ」というだろうか。確かに、そうかもしれない。けれども、そうだとして、そのことにどんな意味があるのだろう。
意味がある「ぼくの世界」は、間違いなく、「ぼく」と共に生まれ、「ぼく」と共に消えてゆくのだから。
ここまで来て、「世界は今も考える場所だ」の意味が、やっとぼくたちにはわかるのである。
「老い」とは、両方から「闇」が迫ってくるようなものだ。けれども、恐れる必要などないのだ。ぼくたちは、そもそも、「闇」から歩きだして、「闇」に向かって歩いてゆくものだから。だとするなら、「老い」とは、「生きる」ことそのもの、そsのもっとも純粋な形、期間なのかもしれない。
そして、そこでやるべきことは、「働く」ことでも、「挨拶」することでもない。もうそんな時間も、それができるからだもないのだから。だから、「考える」のだ。「世界」は「考える」場所なのだ。どうして、そのことに気づかなかったのだろう。。
そして、思わず、鶴見さんは呟くのだ。「死に近きときをむかえて、昔はものを思わざりしかな、と思う。」
そうなのだ。「老い」が来なければ、「世界」について「考える」必要さえなかったのだ。
僕は子どもの頃、「死ぬこと」「死んで全てが消えてしまうこと」が、すごく怖くて、寝て目覚めると、明日の朝は違う「何か」になってしまうような気がして、眠れないことがよくありました。
中高生から大人、中年にさしかかるまでのあいだは、眠れないことはあっても、「消えることへの恐怖」を意識することはほとんどなくなっていました。
でも、40代後半くらいから、また、眠れないときに、「消えてしまうことへの不安」を感じるようになったのです。
以前は「眠れない原因」だったのだけれど、いまは「眠れないときに、つい、そちらに思考が向いてしまう」。
睡眠導入剤を服用することもあります。
結局、人間っていうのは化学物質に抗えない生物なんだな、とか、ちょっと「負けた」気がしつつ。
年齢を重ねてくると、「世界」と「自分」の関係について、考えてしまうことが多くなりました。
自分は生きている意味があるのだろうか、とか、自分にとっての世界は、どうあがいても、自分が死んでしまったら「終わり」ではないのか、ならば、もう好きにしてしまって良いのではないか、自分が消えたあとのことなど、考えなくていいのではないか……
その一方で、せっかくこうしてこの世界に生まれてきたのだから、自分が存在したことで、世界というシステムをほんの少しでも良い方向に進めて死にたい、存在意義、みたいなものを遺したい、とも思うのです。
何かを信仰していて、「死んだら神のもとに召される」みたいな確信があればよかったのかな、でも、天国ってすぐ飽きそうだな、とか不躾なことを考えることもあります。
ただ、自分が「老いる」ことによって、若い頃よりも、もっと、広い世界のことや未来のこと、自分が子どもだったときの自分の親のことなども意識できるようになった気がするのです。
ずっと「こんな面倒な仕事はやめて、早く家で読書とゲーム三昧の生活をしたい」と思っていたけれど、「働けなくなる年齢」が近づいてくると「仕事があるというのは、ありがたいことではないか」と感じるようにもなりました(まだ、「めんどくさい」と半々くらいですけど)。
それが社会や世界や他者にとって役立つかどうかはさておき、老いるまで生きてきたからこそ、「これまで自分になかった発想」で、「考える」こともできるのです。
高橋さんは、こう書いておられます。
ぼくたちがほんとうになにかを「考える」ことができる時期、それが「老い」なのだ。
この本の「第2部 家族にとって『老い』とはなにか」のなかで、高橋さんは、私小説作家の耕治人(こう・はると)さんの晩年の作品を参照しています。
耕さんは長年、稼げない私小説を書きつづけ、妻の収入で生計を立てていたそうです。夫婦には、子どもがおらず、妻は認知症となり、夫はのちに末期がんと診断されます。
認知症の妻による火の不始末や物忘れの悪化などがつづくなかで、耕治人さんは、真夜中、眠っているときに、いきなり「ご飯の支度ができたから」と起こされるのです。
そして、午前3時の食卓には何も乗せられていない空の食器が並び、やかんが火にかけられていました。
耕さんは、「自分が最近原稿のために夜ふかしをするのを知っていて、ご馳走を作ろうとしてくれたにちがいない」と書いています。
それに対して、高橋さんは、こう仰っています。
「私」はようやく「認知症」の真実にたどり着くのである。
わたしたちはみんな、やがて、できていたことができなくなる。覚えていたことを忘れる。しかし「老い」の果てにやって来る「認知症」の恐ろしさは、そのことにあるのではない。忘れること、できなくなること、それらは、それ自体では、恐ろしいことではない。能力を失うことは哀しいことだが、恐ろしいことではないのだ。
まだなにかが出来てしまうことが恐ろしいのだ。その出来てしまうことに固執してしまうのが哀しいのだ。
本人は、「まだ自分ができることがある」と思っているし、それをやって、役に立ちたい。
でも、介護する側には、火事や、転倒による骨折、外を徘徊しての事故などの不安があり、いっそのこと、何もできなくなってくれたほうが介護しやすいのに、と思ってしまうようになる。
「哀しい」としか言いようがないのだけれど、その立場になれば、家族としては、「本人の身体と社会へのリスク回避」を優先せざるをえない。
何度か書いたことがあるが、ぼくは父が死んだときには悲しくはなかった。せいせいした、というのが正直なところだった。
それは、父が亡くなってちょうど十年たった頃のことだった。それまでも思いだしたことはなかった。ある日、洗面所の鏡の前で、三歳の長男の歯を磨いていた。すると、鏡に父が映っていた。心臓が止まりそうになった。父が化けて出たと思った。父のことなどどうでもいいとずっと思っていたからだ。けれどすぐに、それは父ではなく自分の顔だとわかった。なんだ、と思った。ばかばかしい、と。我に返ったのは、子どもがぼくを不思議そうに見て、こういったからだ。「パパ、どうして泣いているの?」
ぼくは泣いていた。「胸がいっぱいになって」いたからだ。
鏡に映っているのは父ではなくぼくだった。ただ父にそっくりになってしまったぼくの顔が映っていたのだ。それでも、そこに映っているのは確かに父だった。では、その父が歯を磨いている、その子どもは誰だろう。それは幼いぼくのはずだった。そして確かに、三歳の頃、ぼくは父に歯を磨いてもらっていたのだ。そのことを思いだしたとき、その頃の記憶が、いくつも鮮明に蘇った。父がどんな気持ちで幼いぼくの歯を磨いていただろうと思った。その瞬間、確かに胸を貫くような痛みが走ったのだった。それは、現実のどんな体験でも感じたことのないほど鋭く哀しい痛みだった。
僕も自分の子どもと接していて、親のことを思い出すことが何度もあったのです。
そんなに仲が良かったわけではなく、「なんでもお金で解決しようとする人」だと思っていたけれど、子どもとはいえ、自分ではない人間のためにお金と時間を使い続けて、食べていくこと、生活することに困らないようにする、そんな生意気なことを考えられる余裕がある暮らしをさせることが、いかに大変なことか……
でも実際、現実は綺麗事だけではないよね。
あんなに立派な人だったのに、と言われながら、病室でずっと食事を要求して叫び続ける人がいて、家族はそんな姿にため息しか出ない。
それもまた、社会全体でみれば「よくあること」でしかないし、そんな年齢まで生きられたことは幸運なのかもしれないけれど、やっぱり「哀しい」。そうとしか、言いようがない。










