琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】東京の台所 ☆☆☆


Kindle版もあります。

朝日新聞ウェブサイト大人気連載の書籍化。東京に暮らす50人の台所を収録したビジュアルブック。収納や食材など実用コラムも満載。


僕はあまり他人の家を訪問する機会はないのですが、訪れると、つい、本棚にどんな本が並んでいるか、どんな家具を使っているのかなどを確認してしまいます。
その人がどんな人で、どんな日常を送っているのか、「他人が遊びに来られる状態」に片付けていても、伝わってくるものはあるのです。

この本、朝日新聞のウェブサイトに連載されていたものを書籍化したもので、単行本は2015年に上梓されています。
僕は2024年に文庫化されたものを読みました。

東京で生活している50世帯の「台所」が写真とともに紹介されている、ということで、覗き見のようなつもりで購入して読んでみたのですが、正直、僕がタイトルからイメージしていたものとは、ちょっと違ってはいたのです。

僕はもっと、東京で生活している人たちの、雑然とした、あるいは生活感あふれる「ありふれた台所」の写真が並んでいるのを期待していたのですが、ここで紹介されているのは、かなり古い家や、日常や小物、食生活にこだわりがある人たちの台所がほとんどでした。
そんな「意識高い系の台所」が見たかったわけじゃないんだけどなあ、丁寧な暮らし、とかじゃなくて、もっと殺伐とした台所をみて安心したかったんだよ!と。

でも、あらためて考えてみれば、「普通の台所」って、どんなものなのか。
みんな自分基準の「普通」を持っているけれど、実際は、全く同じ台所なんてひとつもないし、「100%普通の人」もいない。
みんなそれぞれのこだわりを持って生きているのです。

「片付けない」とか「家で料理はしない」というのもまた「こだわり」なわけで。
僕は日常生活へのこだわりがほとんどないので、こういう「丁寧な暮らし」をしている人たちに、ちょっとコンプレックスがあるのかもしれないな、とも感じました。

ベジタリアンの恋人どうしで生活している、という台所には、こんなエピソードが書かれていました。

 高校生の時、バイト先にいた大学四年生の先輩が、専攻する学問と全く関係のない会社に就職するのを見た。
「なんてもったいないんだろう。大学に行っても意味がないと思いました。一番学べるこの時期に、自分はもっと大事なことを学ぼうと決めたのです」
 その後、ワーキングホリデーでオーストラリア、ニュージーランドに渡り、料理と出会う。『神との対話』という本で「宇宙人は肉を食べない」という一行に触れ、ベジタリアンに。アメリカのローフードの料理学校でも学んだ。
 現在は、知り合いのカフェを定休日に借りて料理教室を開く。カフェを開かないのですかと聞くと、「縛られたくないのでやりません。カフェはゴールじゃないし、自由に生きたいから」。
 食卓の壁にはそれぞれの”ドリームマップ”が貼られていた。「~したい」ではなく夢を実現した形で書く自己啓発法である。「食を通じて平和を考えたい」と言うふたりは今、そのマップのどのあたりにいるのだろうか。


こういう、意識が高い(?)人の話を読むと、つい「宇宙人は野菜も食べないんじゃないですかね」とか言いたくなってしまうのですが、人にはそれぞれのこだわりポイントがあるし、ちゃんと理解があるパートナーも得られるのです。
これはこれで、本人たちにとっては幸せ、なんだろうなあ(いや、今どうなっているかはわかりませんけど)。

あわただしい仕事を終えて、夜遅くにタワーマンションでウーバーイーツで食べたいものを食べる生活をするのと、お金は使わなくても、食材とか調理法にまでこだわりを持って日常を生きていくのと、どちらが幸せなのだろうか。

 おいしい紅茶とお菓子があれば、それを彩る器にも興味がつのる。それまで百円ショップで器を買うこともあったという彼女は、スウェーデンのホガナス・ケラミックというブランドの器に魅了され、北欧デザインにも関心が広がった。器だけでなくポットや調理道具、北欧家具が少しずつ増えていく中で、それが似合う家が欲しいと自然に思うようになった。


僕は現在でも、器は百円ショップでいい、「だって、器としての機能は変わらないし」と考える側なのですが、世の中の高い器や北欧ブランドは、こういう人たちが買っているのですね。
それを言うなら、僕が買いたくなる古い本やゲーム、電子機器などには全く価値を見いだせない人も世の中には大勢いるのです(というか、そちらのほうが多数派)。

宗教上の戒律や食へのこだわりがほとんどない(カープ競馬ファンなので、鯉と馬肉はなるべく食べないようにしていますが)し、日常生活はただ「生きるため」にやっているだけの僕にとっては、人の価値観というのは、本当にいろいろあるし、自分の人生ではすれ違うだけの人も、それぞれの物語を持って生きているのだな、と考えずにはいられなくなります。

長年住んでいた思い出が詰まった家が取り壊されることになり、記録として遺しておきたい、と取材に応じた人たちもいます。
家って不思議ですよね。しばらく寄り付かなかった実家でも、入ってみれば、なんだかすごく落ち着く。
台所に置かれているものも、すべて、誰かが何かの意図をもって持ち込んだもので、自然発生することはない。

正直なところ、「物語に乏しい、生活感がない台所」も含めた、現在の台所のビッグデータみたいなものを期待してはいたのですけど。

たぶん、「興味がある人にはたまらないし、もっとカラーで大きな写真を見たかった」と思うのではないでしょうか。
それにしても、これだけインターネットでいろんな人が発信をしている時代でも、「その時代の普通」みたいなものは、なかなか記録されないものなのだな、と、あらためて考えさせられました。
実際は、発信されていても誰も注目しないだけなのかな。散らかった台所なんて人に見せたくはないのが「普通」だろうし。


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