琥珀色の戯言

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【読書感想】愛と欲望の雑談 ☆☆☆☆

愛と欲望の雑談 (コーヒーと一冊)

愛と欲望の雑談 (コーヒーと一冊)

内容紹介
女性性とうまく向き合えない自身を描いた『女子をこじらせて』で、世の女性の心を鷲掴みにしたライター・雨宮まみさん。
日常に転がる「分析できないもの」を集めた『断片的なものの社会学』で、社会学の新たな扉を開いた岸政彦さん。
活躍する分野も性格もまったく違うお二人による「雑談」、もう、止まりません!


私たちはときには譲り合うことなく対立しながらも(例・浮気の是非)、他者を信頼したい、他者とともに在りたいという思いについては、共有していたと思う。――「あとがき」より


 雨宮まみさんと社会学者・岸政彦さんの対談本。
 ミシマ社の「コーヒーと一冊」という、コーヒーを一杯飲むくらいの時間に読み終えられるような長さの本のシリーズのなかのひとつなので、100ページにも満たない薄い本です。
 内容も本当に「雑談」という感じで、あまり明確なテーマも設定されていません。
 だからこそ、おふたりの「今、考えていること」が浮き彫りにされているような感じがしたんですよね。


 これを読んでいると、人間の愛とか欲望って、結局、そのときの流行みたいなものの周りをぐるぐる回っているだけで、「普遍的なもの」(あるいは、万人にとっての正解)は存在しないのではないか、という気もしています。
 それでも、「正解」みたいなものがあるのではないかと突き詰めずにはいられなかった、雨宮まみさんという人の生きざまも。

岸政彦:個人的なことなんですけど、僕は「かけがえのない本当の欲望っていうのは社会規範と絶対違反するはずだ」みたいな考え方ってすごい嫌いで、「俺は普通でいいぞ」と思うんですね。政治的に正しい欲望って、本当の欲望じゃない、みたいな考え方があるでしょう。


雨宮まみありますね。アナーキーな欲望のほうが、より本当の欲望だ、という。


岸:社会規範から抑圧されていてみんな欲望を我慢しているけど、剥ぎ取って裸になってもっといろんなことをするんだと言っても、たかがSMとかくらいでしょう。そんなもん別に普通のことですよね。


雨宮:90年代頃は、そういう社会的規範から外れたものがかっこいうという考え方が強かったように思います。その頃、新宿の青山ブックセンターに「欲望文化」という棚があったんですよ。いまでいうサブカルチャーの棚がそんな名前だったんですね。「Quick Japan」とか、青山正明さんや秋田昌美さんの本が置いてあった。その頃は性的なことにしろドラッグカルチャーにしろ、そういうものを突き詰めている人がすごいし偉い、という雰囲気があったんですよ。援交してるほうが偉い、女といっぱいヤッてるほうが偉いみたいな。


岸:そうそうそうそう!(笑)


雨宮:本当にあのときは、文化祭って脆弱だなって思いました。みんな身体性にすごく弱いから、体験主義に弱すぎるんですよ。まぁ、私もその脆弱さを克服したくてAVライターになったようなもんですから、何も言えないですけど(笑)。
 でも最近は、そういう過激さがださい、っていう風潮を強く感じています。ドラッグなんてださいし、なんならお酒ももうださい。セックスに溺れてるとか、もちろんださい。身体性や特別な体験に振り回されてるやつのほうがださい、っていう空気がありますね。その転換って、むちゃくちゃ面白いです。


 僕もずっと「頭でっかちな人間」だったのですが、その一方で、自分が体験せずにものを言っていることに、すごくコンプレックスを感じてもいるのです。
 雨宮さんは僕より少しだけ年下だったんですけど、こういう「価値観の変遷」みたいなものに振り回されて、「で、結局、実際にやってみた自分って、何だったのだろう?」という取り残されてしまった感じもあったんじゃないかなあ。
 この対談のなかでは「面白い」と仰っているけれど。


 読みながら、九州で30年間以上も生活していて、その雰囲気が「あたりまえ」になっている自分、というものを考えさせられました。
 ああ、女性側からみたら、ここは、こんなに「男尊女卑」の世界だったんだな、って。


 この対談のなかで、お二人はこんな話をされています。

岸:僕が一番凹んだのが、「差別論」という授業で、いろんなマイノリティの話をしていくんですが、最後に自分の不妊治療の話をしたんですね。僕も手術を受けた話とかをすると、話を聞いて泣いてくれる学生もいる。でも、一度だけですが、授業のアンケート用紙に男の子が「嫁自慢乙」って書いてきてね。おうすごく泣けてきて、あれだけ辛い気持ちをみんなの前で正直に言ったのに、って。言えるようになるまでけっこう時間がかかったんですよ。だけど連れ合いがいるってところだけを聞いて、自慢やと思ってるんですよ。


雨宮:昔は、「持ってない」ことをバカにされるのが一般的だったと思うんですよ。
 持っている者が持っていない者をバカにするっていうのが定型だったのに、いまは持ってない者が持ってる者のことをバカにする。「お前なんか持ってるくせに、持ってない人間の気持ちなんかわかんねぇだろ」って。


岸:差別のあり方が逆転したんですよね。昔は「穢れてる」って言っていたのは、最近は「特権を持ってる」みたいな感じの攻め方をするんですよ。社会心理学者の高史明さんがそういう研究をしています。


雨宮:「特権を持っていれば叩いてもいい」ということになっていますよね。悪口も、「あいつ実は実家が金持ちらしい」とか、そういう方向になりましたね。「実は貧乏」じゃなくて、「実は金持ち」が悪口になる世界。

岸:ただ、自分が結婚してるという部分で、言いにくいものもあるんですよね。


雨宮:岸先生もそうだと小耳に挟みましたけれど、「僕も、必ずしも結婚しようと決めていたわけじゃないから」「たまたまそういう人が現れたから結婚したんです」とか、そういう感じに言っても素直に聞いてもらえないところがありますよね(笑)。


岸:これが社会学の難しいところで。本人がどの立場で話すのかが、すごく問われるんです。


雨宮:でもそれは、女性エッセイスト業界も同じですよ。本人のポジション、既婚か未婚か、お金持ってるか持ってないか、そういう自分自身の状況で来る仕事が全然変わってきます。それってむちゃくちゃ個人的なことなのに、それを「書け、書け」って……。精神的に、ストリッパーみたいな役割を求められる職業だなと感じてますね。どこまで脱げるか、脱ぎっぷりをみんな見ている。でも、ただ脱げばいいってもんでもない。
 とくにいまは弱い者たちが夕暮れ、強い者を叩く時代ですからね。「自分たちより恵まれてるやつはどこだ!」って、なまはげみたいに(笑)。そういう中で自分に近しい立場の人の共感を得られるエッセイを書け、という要求をされる世界です。すごい腹立つのは「雨宮さんは今後、どういう立ち位置に行こうと思ってるんですか?」っていう質問。立ち位置じゃねえよ、私の人生だよ、って。立ち位置なんかのために、結婚や出産なんかしねえよ馬鹿野郎、って心の中で思ってます。


 二人とも「他者を論評しているようで、実際は自分もまな板の上に乗せられている立場」であることを自覚しながら、あれこれ考えているのだな、ということが伝わってきます。
 ネット社会というのは、何かを発言しようとすれば、「じゃあ、お前は何なんだ?」と問われることから逃げられない。
 満たされていなければ苦しい、でも、それが燃料になって、創作につながることもある。
 ところが、そこで成功をおさめると、「あんなに『こじらせている』って言っているけれど、あいつの実家は金持ちだ」とか、「あんなに美人なのに」とか言われてしまう。
 僕にはいまひとつ実感できないところはあるのですが、雨宮さんの話からすると、女性のほうが、そういう「立ち位置」について、よりいっそう、気にされたり、気にしたりしやすいところはあるのかもしれません。
 僕は酒井順子さんやたかぎなおこさんのエッセイを読んでいると、「彼女たちは、相手もいそうなのに、『結婚してしまうことで、一部の読者から嫌われること』のリスクを考えて、結婚しないのではないか」という気がしていたんですよね(たかぎなおこさんは結婚されましたが)。
 アイドルじゃあるまいし、と言いたいところなのですが、アイドルとは違った「この人はこうあるべき」みたいなプレッシャーが、女性に「共感される」エッセイストにもかかっているようにみえるのです。
 いやほんと、舵取りが難しいよなあ。
 だからこそ、雨宮さんの年の重ねかたを見てみたかった、とも思います。


 岸政彦さんが「おわりに」で、こんなエピソードを紹介されていました。

 第一回目の対談が終わったあと、霧雨が降る大阪の天王寺の夜空を見上げるとそこには、できたばかりの、日本一の高僧ビル「あべのハルカス」の灯りがぼんやりと光っていた。
 それを見ながら雨宮さんは、遠い目をしてこうつぶやいた。
「わたし、あべのハルカスって、アイドルのユニット名だと思ってました」

 2017年、雨宮まみさんが見られなかった時代を、僕たちは生きている。


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