琥珀色の戯言

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【読書感想】蜜蜂と遠雷 ☆☆☆☆

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷


Kindle版もあります。

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)

内容紹介
俺はまだ、神に愛されているだろうか?


ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。


著者渾身、文句なしの最高傑作!


3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?


 第156回直木賞受賞作。
 恩田陸さん、もう「候補から卒業」かと思っていましたが、ついに受賞されました。


 少し前に『ショパン・コンクール』という新書を読みました。
 ピアノコンクールで日本人が入賞した、というニュースを新聞の片隅で見つけても、「ふーん、でも入賞くらいじゃねえ」というのが、クラシック音楽に疎い(その他の音楽にも詳しいとはいえませんが)僕の感覚だったのですが、ピアノコンクールに出場してくるコンテスタント(コンテスト参加者)とそれを審査している人たちのせめぎ合いの片鱗を知ると、なんて過酷な世界なんだ、と感嘆せずにはいられなかったのです。
 そもそも、「音楽を評価する」というのは、とても難しい。
 コンテストに出てくる人たちは、とりあえず「間違ったり、弾けなかったり」ということはありません。
 そのうえで、「ひたすら譜面に忠実に弾くべきか」「自分なりの解釈をこめ、個性をアピールしたほうがいい」のか。


 この『蜜蜂と遠雷』を読んでいると、恩田陸さんの音楽、そしてマンガへの愛着と研究の成果が込められているように感じます。
 演奏される曲には、それぞれちゃんと「その曲についての解説」がなされており、「なぜ、ここでこの曲を演者が選んだのか」も書かれています。
 専門家のアドバイスもあったのかもしれませんが、それにしても、大変な手間がかかる作業だったはずです。
 キャラクターも『ピアノの森』かよ!って思うところはあるのですが、これはまさに確信犯で、恩田さんはそう言われることは百も承知でしょうし、「面白いマンガをアイディアの起点にして『小説化』する」ということにためらわない人なのは『チョコレートコスモス』からそうだったし。
 そういうところに「小説の優位」というプライドを持ちこまず、「面白いものは面白いのだ」という姿勢が、恩田陸さんの凄さなんだろうな、と。
 そして、これを読んでいると、「ありきたりの定型文に頼らず、ひとつひとつの演奏というのを言葉で表現していくという小説家の意地」も感じます。
 音楽を表現する言葉って、こんなに多彩なんだなあ。


 題材がコンテストで、参加者は読者にとっては未知の人物ばかりで、多くの主人公がいる群像劇ですから、誰が勝つのか(あるいは、誰も勝てないのか)わからない、という「先を読む楽しみ」もありますしね。
 

 ただ、率直に言うと、この小説は、長すぎるのかもしれません。
 半分くらいまでは、時間を忘れてどんどん読み進めていけたんですよ。
 でも、途中からは、読んでいて息切れしてしまって。
 参加者たちの演奏から結果発表、曲の説明+素晴らしい演奏の文学的表現、という流れが、一次から三次までの予選、そして本選と繰り返されていくと、こちらも慣れるというかダレてきます。
 音楽というのをこんなにいろんな言葉で表現できるのか、すごいな、すごいけど、こんなに「すごいすごい」ばっかりで押してこられると、なんかもう飽きるよ、というかこれって、作家の「こんなに私はいろんな表現ができるんです自慢」なのでは?


 作中に、あるコンテスタントについて、こんな評価がなされています。

 想像通り、ダイナミックで見事な演奏が繰り広げられ、観客から声にならない感嘆のどよめきが上がっている。
 が、感心しつつも亜夜はなんとなく醒めていた。
 ダイナミックなのに単調、ということもあるんだなあ。技術は申し分ないのに。ご馳走を目一杯食べてもうこれ以上食べられない、お腹いっぱい、という感じ。


 僕にとっては、この『蜜蜂と遠雷』の後半は、まさにこんな感じでした。
 すごい、間違いなくすごい作品なのだけれど、ちょっと「やりすぎて」しまっている。
 技術が作品の面白さに奉仕しているのではなく、「技術を追求するための技術」になっている。
 コンクールで認められるって、こんなに簡単なものじゃないだろう、とも思うしね。


 間違いなく「面白い作品」であり、「素晴らしい音楽小説」なんですよ。傑作です。
 ただ、少し「やりすぎた」のではないかと僕は感じました。