琥珀色の戯言

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【読書感想】オレたちのプロ野球ニュース: 野球報道に革命を起こした者たち ☆☆☆☆

内容紹介
76年から94年まで、18年間にわたってお茶の間にプロ野球の魅力を伝え続けた『プロ野球ニュース』。初代キャスターを務めた佐々木信也の軽妙な司会によって、番組はすぐにフジテレビ深夜の看板番組に成長。当時はほとんど報じられることのなかったパ・リーグの試合も含めて、すべての試合を均等に、という方針により、日本のプロ野球文化発展、ファン拡大に大きく貢献した。この番組がもたらしたものとは? 当時の関係者の証言で綴っていく。


 僕も子どもの頃から観ていました『プロ野球ニュース』。
 1976年にはじまったこの番組は(正確には、1961年から5年間、「第一期」が放送されていたそうです)、佐々木信也さんのスマートな司会進行と、当時は巨人の話ばかりだったスポーツニュースのなかでは、異色の存在でした。
 カープの試合もけっこう長く採りあげてくれていた『プロ野球ニュース』は、僕にとって、ありがたい存在だったのです。
 インターネットで試合経過が能動的に追えるようになる前までは「贔屓のチームの途中経過を知るために、観たくもない巨人の試合中継を流している」というような状況だったんだよなあ。
 この本では、『プロ野球ニュース』の創生期から、佐々木信也さんの司会で「スポーツニュースの革命児」となるまで、そして、佐々木信也さんの突然の降板劇から、中井美穂さんらが起用されて、「女子アナがスポーツに関わるようになるきっかけ」になったこと、さらに、スポーツチャンネルの多様化に伴う、その後の衰退期までが関係者への丁寧な取材をもとに語られています。


 いまとなっては当たり前のことになってしまった「スポーツニュースの公式」を、この番組はたくさん編み出しているのです。

 巨人一辺倒の時代に、あえて「12球団公平」をモットーに掲げ、パ・リーグの試合も平等に扱うことにした。これは当時としては斬新な試みだった。この番組を通じて、「動くパ・リーグの選手を初めて見た」という視聴者は多かった。
 さらに、「見て楽しい映像作り」とこだわった。従来のスポーツニュースでは現場音のない映像に勇ましいマーチ調の音楽を流して、ナレーションによる経過説明を行うのが主流だった。
 しかし、『プロ野球ニュース』では磁気トラック付きのフィルムを使用することで画と音の同録(同時録音)が可能となり、迫力ある映像とともに打球音と歓声を同時に楽しむことができるようになる。その結果、他局にはない臨場感あふれる放送が可能となった。


 いまの若いプロ野球ファンからすれば、この番組で「動くパ・リーグの選手を初めて見た」なんて信じられないと思いますが、本当にそうだったんですよ!

 『プロ野球ニュース』は、一試合時間に割り当てられた時間が長いこともあり、それまでの「最低限の試合経過と結果のみ」のスポーツニュースとは違った切り口を視聴者に提供することができたのです。


 関西テレビのディレクターだった難波秀哉さんは、こう仰っています。

「普通のスポーツニュースが1分間だとしますよね。そうすると、ホームランを打ったシーン、得点シーン、試合終了のシーンなど、ポイントとなる場面を並べるだけで終わってしまうんです。でも、『プロ野球ニュース』の場合は映像だけで4分、5分ありました。そうすると、たとえば、“ここでホームランが出ました”だけでなく、その直前の一球が、ストライクだと思ったのにボールとコールされて気落ちしている投手の姿を映すことができる。その審判のジャッジが、実はその試合のポイントかもしれない。『プロ野球ニュース』はそれを見せることができるわけです。“実はね、このホームランの前の一球。ご覧ください。ほら、これ入っていますよね。ストライクに見えますよね”って放送できる。あるいはファーストがファウルフライを落球した。その直後にタイムリーヒットを打たれた。その落球を見せられるんです。それはテレビマンとしてはたまらない贅沢ですよ」


 キャスターの佐々木信也さんのこの番組への献身にも驚かされました。

「当時の私はフジテレビ入りする前に必ず、都内近郊の球場に足を運ぶことにしていましたが、試合前のグラウンドでは多くの選手が近づいてきて、いろいろな情報を話してくれました。そこで得たエピソードを本番で話すことで、番組がますます活気づいていったことを実感しました。とても良好な関係が芽生えていました」

 僕は司会をしている佐々木さんしか観ていなかったのですが、佐々木さんは毎日放送前に球場に足を運んで、自身で取材もされていたのです。
 そこまでこの番組のために尽くしていた佐々木さんがキャスターを降板した経緯についてもこの本には書かれているのですが、制作側への、なんだかなあ……という疑念と、あの時期での降板だったからこそ、『プロ野球ニュース』の佐々木信也さんは「伝説」になったのかな、という感傷の両方が頭に浮かんできました。
 これは、野球選手が「ボロボロになるまで現役を続けるべきなのか」というような「美学」の問題でもありますよね。


 また、番組名物の「オフ企画」のこんな話も。

——数ある「オフ企画」の中で、最も印象に残っている企画は?
 佐々木信也に尋ねると、間髪を入れずに答えが返ってきた。
「ヤクルトのエース・松岡弘とキャッチャー・大矢明彦。このバッテリーに日本海沿岸を旅してもらう企画を放送しました。でも、ただ周るだけではなくて、二人でできるだけ多くの駅弁を食べてもらいました。確か2泊3日の行程で、二人で百個以上の駅弁を食べたんじゃなかったかな? “あれだけ多くの駅弁を食べたのに、夜は宿で夕食も出る。もう食べ物を見るのがイヤになりましたよ”と二人は笑っていましたね(笑)」
 調べてみると、放送は81年オフのことだった。企画タイトルは「オフを楽しむ」で、さらに「松岡・大矢の日本海駅弁めぐり」と副題がついていた。
 放送は月曜から金曜までの全5回。各6分程度で、佐々木が言っていたように松岡と大矢が出雲から秋田まで、ただひたすらに駅弁を食べ歩くという内容だった。


 これ、リアルタイムで観た記憶があるんですよ。懐かしい。
 こんな『黄金伝説』みたいな企画を、プロ野球選手でやっていたんだよなあ。


 僕は中井美穂さんが大好きで、大学時代に『プロ野球ニュース』で中井さんを観るのが楽しみだったのです。
 でも、スポーツ経験が全くなかったという中井さんは、この大抜擢に泣いて抵抗し「フジテレビを辞めます」とまで言っていたのだとか。
 これがきっかけで人気アナウンサーとなり、ヤクルトの古田選手と結婚することになるのですから、人生というのはわからない。

 中井を推薦した矢野が述懐する。
「一緒に熱海に行ったディレクターが、“今年入った新人の中井というアナウンサーはいいですよ”と言っていたことが記憶にありました。僕には女性を見極める目はないので、その言葉を信じました。また、これは後の話ですが、彼女は下手でも一生懸命取り組む姿に好感が持てたし、ミスをしても素直に“ごめんなさい”と言える人間らしさがありました。そうした人間性は、あの当時の『プロ野球ニュース』にピッタリだったと思っています」


 その後、Jリーグ人気や『ニュースステーション』のスポーツコーナーの躍進などもあり、『プロ野球ニュース』は時間が短くなっていき、地上波では2001年3月31日に番組終了となりました。
 現在でも、CSでの『プロ野球ニュース』は人気番組として続いています。


 往年の『プロ野球ニュース』ファンには、佐々木信也さんをはじめとする歴代のキャスターや関係者へのインタビューや番組制作の裏話など、読みどころ満載の一冊です。
 現場では、こんなにいろんなことを考えてつくっていたのか、と今さらながら感慨深いものがあります。
 この番組が大好きだった人には、おすすめですよ。

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