琥珀色の戯言

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【読書感想】沈没船が教える世界史 ☆☆☆☆

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)


Kindle版もあります。

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)

沈没船が教える世界史 (メディアファクトリー新書)

内容(「BOOK」データベースより)
海底には、財宝と「真実」が眠っていた。キャプテン・キッド無敵艦隊元寇ローマ帝国…。世界史の常識を覆す「新発見」の数々。いま注目の水中考古学を知る。


 「沈没船」について僕が最初に思い浮かぶのは、宝探しとか、大和や武蔵といった有名な戦艦なんですよね。
 この本を読むまで、沈没船と世界史のつながりをうまく想像できませんでした。


 水中考古学が生まれるきっかけになったのは、1900年、ギリシャアンティキティラ島の近海で、等身大のダビデ像風の青銅製の人物像がスポンジダイバー(20世紀初頭にギリシャやトルコで活動した、地中海に潜って海綿(スポンジ)を採る漁師)によって発見されたことだったのです。

 アンティキティラ島での発見はたちまち考古学者の興味を惹きつけた。この青銅像は紀元前70~60年頃に作られたと推測された。考古学者はスポンジダイバーたちを雇って周辺海域を探索させる。この調査の結果、青銅像と乗せていた沈没船が海底に存在する可能性が高いと判断した考古学者は、初めてダイバーを使った沈没船の発掘に踏み切ったのである。やがてスポンジダイバーたちは実際に沈没船を発見、様々な遺物を持ち帰った。
 発見されたうち、もっとも有名な「遺物」は、「アンティキティラ島の機械」と呼ばれる、天体の動きを計算するために作られた世界最古の「アナログコンピュータ」だ。30以上もの青銅の歯車をもち、日付や太陽と月の位置、日の出の時間などを測ることができた。惑星の名前などが書かれていたから、惑星の位置を示すこともできたのだろう。紀元前2~1世紀にアルキメデスキケロ天体観測用の機械について言及した記録は残っていたが、装置は現存していなかった。この発見によって、初めてその実在が証明されたのである。


 当時は、考古学者たちが船上からダイバーたちに指示を出していただけだったのですが、その後、考古学者たちが自ら潜るようになっていったのです。
 「ダイバーを考古学者にするより、考古学者がダイビングを覚えるほうが簡単だから」ということで。
 いろんな研究をしている人の本を読むのですが、フィールドワークを積極的にやっている研究者って、実際にやっていることは「冒険家」「探検家」に近いんですよね。
 著者によると、潜るのは視界がきわめて悪い海が多いそうなので、娯楽としてのダイビングには程遠いものみたいです。
 そんな、レジャーとは程遠い条件でも、歴史上の遺物を発見する、というのは、歴史学者にとって、この上ない喜びなんですよね。


 日本でも、長崎県鷹島近辺での元寇の際の水中遺物の探索と分析が進んでいることが紹介されています。

 1994年、鷹島南岸の防波堤工事に先立ち、事前調査が行われることになった。調査を担当したのは、福岡在住の林田憲三氏が中心となって発足した、九州・沖縄水中考古学協会(現アジア水中考古学研究所)。林田氏は、ジョージ・バスがいたペンシルバニア大学出身である。
 この調査では、記念すべき発見があった。水深20mの海底から、砂に2mほど埋まった状態で、大型の木製アンカー(錨:いかり)が4本並んで発見されたのだ。
 アンカーは石と木材を矢印状に組み合わせた構造だった。現存する遺物は最大で長さ2.6m、幅3.12m。復元すれば8~9mの長さになるだろう。石は中国南部産であることが確認され、木材も同じ産地のものである可能性が高い。アンカーケーブルは竹で編まれており、これも昔から中国で使われているものだ。
 こうした遺物そのものも充分興味深いが、着目すべき点は、それぞれのアンカーが発見された位置関係だ。どのアンカーも、南に矢印が向くように埋まっていた。だとすれば、少なくとも4隻の船が、これ以上北に流されないよう、南に向けてアンカーを打ったことになる。つまり、これらの船が沈没したとき、強い南風が吹いていた可能性が高いのである。多くの船は、台風の強い南風に煽られ、鷹島の南岸に打ちつけられて座礁・転覆したのではないだろうか。このアンカーの位置は、元寇時に「神風」が吹いたことの証明になるのかもしれない。


 この新書を読んで、水中に沈んでいる「遺物」の研究には、大きな意義と可能性があるということに驚かされたのです。

 有機物は、酸素のある状態で腐敗が進行する。そのため陸上の遺跡では、穀物・野菜・果物・肉・魚介類などの食料品、麻布・綿布・絹・革などの服飾品、木工品・竹かご・紙類などの生活雑貨はすべて腐ってしまい、遺跡が発見されたときには、すでになくなっていることが多い。残るとすれば石器や土器などの無機物がメインである。
 ところが水中遺跡では、水中で酸素濃度が低かったり、塩分濃度が高かったりして、腐敗が思いのほか進まない。特に高緯度地方で水温が低かったり、海底の砂に埋もれて酸素が遮断されたりすると、有機物でも腐敗があまり進行せず、きれいなそのままの形で残ることが多いのだ。こうして、人々の生活に身近な種々の有機物が原形に近い状態で発見されれば、その時代の人々の暮らしを、われわれより具体的に知ることができる。特に火山が多い日本の土壌は酸性で、有機物の保存に向かないため、水中遺跡から学べることは多い。


 この「陸上の遺跡よりも保存状態が良いことが多い」という他にも、「船では積み込める量が限られているため、当時の人々にとっての『本当の生活必需品』がわかる」というメリットや、その沈没船の航行記録と照らし合わせると、当時の物流の経路(どのようなものが、どういうルートで運ばれていたのか)を知ることができる、ということも紹介されています。


 ただし、水中考古学には、ものすごくお金がかかるし、時間もかかるのです。
 沈没船を見つけて、遺物やその船を引きあげるまでで終わり、ではありません。

 遺物の保存処理について話すと、「大きな遺物はどうやって保存するの?」と、たびたび聞かれる。もっともな疑問である。たとえば、イギリスの軍艦「メリー・ローズ号」(全長32m・排水量800t)や、スウェーデンの軍艦「ヴァーサ号」(全長62m・排水量1200t)などは、1隻丸ごと引きあげられている。それれはいったいどうやって保存されたのだろう?
 引きあげた木材は乾燥させてはいけない。この原則は遺物の大小を問わずまったく同じだ。ただ、船を1隻丸ごとポリエチレングリコール溶液に浸すことは不可能なので、船が丸ごと入る体育館のような施設を作って、スプリンクラーで定期的に水をかけ続けるのである。そして脱塩処理が終わった頃から、水に少しずつポリエチレングリコールを混ぜ、濃度をあげていく。こうすれば、木材に溶剤が少しずつ浸透していき、空気中でも壊れないように固定化される。
 スプリンクラーという文明の利器を使うことで、水と薬品を効率よく使うことができる。ただし、時間の節約にはならないようだ。1982年に引きあげられたメリー・ローズ号は2010年現在でも、まだスプリンクラー処理が終わっていない。保存処理施設で働く考古学者は、相当に気の長い人でないと務まらないと思う。
 一方のヴァーサ号も、博物館に保存するまで20年近くを要した。最初にスプリンクラーを設置した人と、最後に撤去した人とでは、一世代離れている可能性もある。しかも、引きあげから半世紀過ぎようとしているが、まだすべての遺物の保存処理が終わったわけではなく、今日も研究が続けられている。
 なお、韓国の新安沈没船は、すべての部材をばらばらに解体してから保存処理を行い、その後、元のとおりに組み立て直して展示されている。遺物の大きさや状態、予算状況によって保存の方法も様々なのだ。


 これは気の長い話だなあ、と。
 なんでも時間が短縮されるのが当たり前の、現在の世の中ではなおさら。
 ちなみに、近年では、「無理に海中から引きあげず、海中の安定した環境に置いたまま研究をすすめていく」という手法がとられることも多いそうです。


 もう、地球上のほとんどすべての場所がグーグルアースで眺められ、「秘境」なんて存在しない、と思っていたのですが、「海底」があったのか!
 著者は、「ある統計データによると、世界の海にはまだ300万隻の沈没船が眠っている」と紹介しています。
 テレビ番組みたいに「海の水、全部抜いてみた」というのをやってみたい!
 できないだろうし、本当にやっちゃダメだけど。


木製帆船模型 ブラックパール号 80センチ 完成品

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