琥珀色の戯言

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『ロッキー・ザ・ファイナル』感想 ☆☆☆

http://movies.foxjapan.com/rockythefinal/top.html

 いくらなんでも、ボクシングってここまで甘くないだろ……
 33戦30KOのチャンピオンが、こんなに不人気っていうのはありえないのでは……
 スタローン、ドーピングしすぎ……

 など、ネガティブな感慨が入り乱れつつ観た、この『ロッキー・ザ・ファイナル』なのですが、観終えたときには、正直ちょっとウルウルしてしまっていました。いや、それはこの『ロッキー・ザ・ファイナル』という作品そのものに感動したというよりは、今までの『ロッキー』シリーズそのものへの感謝と感傷だったとは思うのですが。
 今まで『ロッキー』なんて観たこともない、という人にとっては、この『ファイナル』は、たぶん「オッサンのドリーム映画(http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20070416参照)」にしか見えないのではないでしょうか。いや、本当にその通りなんだけれども。ロッキーが闘う意味も満足した理由も、僕にはいまひとつ納得できなかったし。
 ただ、なんというか、ずっと「なんだこのベタなアメリカ映画は……」とか言いながらも惰性で観つづけていただけの観客である僕でさえも、「ロッキーは映画の中だけの『フィクション』にもかかわらず、現実のどんなヘビー級チャンピオンよりも、多くの人々に愛され、生きる力を与えてきたんだよなあ」と、ロッキーにスタンディング・オベーションをしたい気分にはなったのです。
 なんのかんの言っても、僕も『ロッキー』好きなんだよね、たぶん。たまにはこういう幸せなフィクションに騙されてみるのも悪くない。『ロッキー』の「1」が好きな人は、観て損はしないと思います。幸福な『ファイナル』なのではないかと。


以下ネタバレです。未見の方は御注意ください。

 本当は、僕がいちばん感動したシーンは、本編終了後に流れるスタッフロールの横でたくさんの一般の人たちが次々にあの有名な広場(あそこは、フィラデルフィア美術館なのだそうです)で、ロッキーの真似をして階段を駆け上がり、天に向かって両手の拳を高々と突き上げてロッキーの真似をしている映像だったのです。本編では「ああ、『あしたのジョー』みたいに真っ白になってロッキーが死んだりしなくてよかったなあ」というくらいの気分だったのですけど、あれを観ていたら、「ロッキー1」が公開されてから、本当にたくさんの人々があの広場でロッキーの真似をし続けてきたのだなあ、というのが伝わってきて、「ロッキー」というスクリーンの中にだけしか存在しないはずの「ヒーロー」の素晴らしさ、「多くの人に夢と希望を与えたフィクション」の偉大さをあらためて思い知らされた気がしました。
 ベタベタな話だし、ボクシングはあんなに簡単なものじゃない(というか、練習風景だけ観ていたら、絶対にロッキーがディクソンに勝てるわけないだろ!と思いましたから)というのは「事実」なのだけど、それでも、「ロッキー・バルボア」というキャラクターは、夢をあきらめきれない人たちの「希望の星」として、第1作が公開されてから、この世界にずっと存在してきたのです。それこそ、モハメド・アリジョージ・フォアマンよりはるかに強く輝きながら。
 ロッキー云々っていうより、「映画の力」「フィクションの魅力」みたいなものをすごく感じさせてくれるシーンでした。
 僕もあのシーンを観ていたら、あそこで一度はロッキーの真似をしてみたいなあ、と思いましたしね。

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