解説: バスケットボールに青春をささげる高校生たちの人間的成長を描いた、井上雄彦の人気コミックを映画化したアニメーション。ボイスキャストは宮城リョータ役の仲村宗悟、三井寿役の笠間淳、流川楓役の神尾晋一郎、桜木花道役の木村昴、赤木剛憲役の三宅健太などが名を連ねる。監督と脚本を原作者の井上自身が担当する。
2022年22作目。
公開から10日くらい経った平日の夕方の回を観ました。
観客は30人くらい。
『週刊少年ジャンプ』で、1990年から1996年にかけて全276話にわたり連載され、アニメ化もされた『SLAM DUNK』。
僕が大学に通っていた頃なのですが、当時はまだ紙の雑誌が書店やコンビニでたくさん売れていた時代で、僕も『ジャンプ』『マガジン』は欠かさず読んでいた記憶があります。連載後半は、学校や仕事が忙しくなって、あまり記憶に残ってはいませんし、僕は運動が苦手なので「スポーツマンガ」というジャンルにもあまり思い入れがないのですけど。
『SLAM DUNK』は、主人公は僕が嫌いなヤンキーだし、スポーツものだし、当時の世間の評判ほど印象には残っていない、というのが正直なところです。
それでも、連載終了後に作者の井上雄彦さんが、廃校になった学校の黒板に『SLAM DUNK』のキャラクターの絵を描いた、というニュースは、なんだかずっと忘れられないのです。
この映画、アニメ版との声優さんの交代への戸惑いや、登場人物の設定が変更されている、回想シーンが多くてテンポが悪い、という批判もかなり見かけました。
基本的に、ネタバレを推奨していない作品ということもあり、内容については極力触れないようにしますが、原作にもアニメにも思い入れがほとんどない僕にとっては、素晴らしい「映画」でした。
「思い入れが乏しいからこそ、『あれが違う、これが違う』という気持ちにはならなかった」し、「原作をまた最初から読み直して見ようかな」という気持ちになったのです。
あの「伝説の試合」の結末は、『SLAM DUNK』を読んだことがある人なら、誰でも知っている。
あまりにベタな「お涙頂戴」みたいな部分には、観ていてちょっと引いてしまうところもある。
リアルなバスケットボールの試合のアニメでの映像は、「まるでテレビゲームみたい」にも感じます。
「回想シーンでテンポが悪くなる」というのは、褒め言葉でもあるんですよね。歴史上の人物を扱ったNHKの大河ドラマのように「結末」はみんな知っているはずなのに、「早くこの試合の続きが見たい!」と気が急いてしまうからこそ、「回想シーン」をテレビで放送されている映画の途中に挟まるCMのように感じてしまう。
もしこれが、淡々と試合のシーンだけが続く映画であれば、「映像はすごいけれど、何か物足りない」のではなかろうか。
僕はこの試合の結果を知っている。
それでも、「この先を見たい!」とスクリーンに釘付けになっていました。
30年前の僕は『SLAM DUNK』に対して、「ヤンキーが主人公の、苦手なスポーツマンガ」で、「いくら体力や運動神経がすごい『天才』でも、数ヶ月頑張ったくらいでこんなに全国の強豪相手にやれる選手になるわけないだろ」と思っていました。
こんなのご都合主義だ、マンガかよ!って(マンガです)。
結果を知っているはずなのに、これは「フィクション」なのに、僕はこの映画の試合にのめり込んでいきました。
湘北の物語や成長だけではなくて、憎らしいほどの相手の強さも描かれているのです。
こんな相手に、勝てるわけないよな。
超人的な能力を持つプレイヤーの活躍でもなく、劇的な出来事があるわけでもなく。
それでも、試合の「流れ」は変わり、会場の雰囲気も変わっていく。
フィクションなのに、「すごい試合を見た!」と僕は感動せずにはいられませんでした。
アニメってすごい。
例えば、ボクシング映画だったら、『ロッキー』でも、「ドラマチック」ではあるけれども、試合の内容は、テレビで観る普通のボクシングのタイトルマッチとは、やっぱり違いますよね。
「ダウン寸前だったボクサーが、テーマ曲とともに猛反撃して、最終ラウンドで逆転KO」なんて展開は、現実ではまずありえない。
エンターテインメントとして観客を楽しませることは大事だし、スタローンがいくらトレーニングを積んでも、プロボクシングの世界タイトルホルダーと同じことはできません。
人間の役者にできることには、限界があるのです。
でも、アニメーションであれば、キャラクターに、「本当にハイレベルかつリアルな動き」をさせることが可能だし、これほど「バスケットボールの試合」を緻密に描いた作品が興行的に成り立つのも『SLAM DUNK』だからなんですよね。
あの試合は、フィクションであり、創作なのに、多くの心を動かし、「バスケットボールをやってみたい、見てみたい」という人を増やしてきたのです。
正直、原作やテレビアニメに思い入れがある人にとっては「しっくりこない」し、「いろいろ言いたくなる」のもわかります。
僕だって、『ドラえもん』の声優さんが変わったり、ヤン・ウェンリーが富山敬さんじゃない『銀河英雄伝説』を観たりすると、「ちょっと受け入れ難い」と感じていました。
その一方で、自分の子どもたちにとってのドラえもんは水田わさびさんだと認めざるをえないのです。
同じタイトルの作品でも、ずっと続けていくためには、新しいものを取り入れていかなくてはならない。これまでの読者や観客は、どんどん歳を重ねて退場していくのだから。最近の「ドラえもん』を観ると、僕が子供の頃よりも、ずっとテンポが早くなって、軽妙になっています。
『シティハンター』のアニメのように、アニメのオリジナルキャストにこだわり続けている作品は、オールドファンとしては嬉しくなるのですが、正直なところ、声優さんの声を「あの頃」と比べて、衰えを感じてしまうことはあります。
この映画は、井上雄彦さんが「いま、つくりたかった『SLAM DUNK』であり、観る側である僕も「人にはそれぞれ事情や背景がある」とか「負けることの意味とその後」とかを語りたくなったのです。
そういうのは『バガボンド』でやってくれ、と言いたいところもありますが、『バガボンド』は2015年からずっと休載しているのか……
安西先生の、あの名ゼリフの今作での扱いにも、「井上先生もここまで、いろいろなことがあって、あの頃と同じスタンスで『SLAM DUNK』と向き合うことは難しかったのだろうな」と勝手に想像してしまいます。
当たり前だよね、30年前と全く同じ人生観で生きて、創作できる人がいたら、それは「人間」じゃない。
これが、井上先生にとっては「いま、描きたい『SLAM DUNK』なのだと思うし、これが好きになれないのであれば、それはそれで仕方がない。
これは「乱心」だとノーカウントにして、原作マンガや以前のアニメを観ればいい、それだけのことです。
……とか書けるのも、僕の『SLAM DUNK』への思い入れの無さがなせるわざ、なのかもしれませんね。
この映画、『SLAM DUNK』という歴史に残るマンガのタイトルは知っているけれど、実際に読んだり、アニメを観たりしたことがない人たちにも観てもらいたいなあ。
きっと、原作を読んでみたくなる、この「ルーツ」を辿ってみたくなる、そんな映画だと思います。
まさに、『THE FIRST SLAM DUNK』!