琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

増田文芸部(2)〜人のことを本気で好きになったことがない。

人のことを本気で好きになったことがない。

 これはしみるなあ……
 というか、僕も正直、「自分は人のことを本気で好きになったことがあるのだろうか?」って疑問に思うことがあるんですよ。
 30年+α生きてて、結婚もしているのに。

 今でもときどき、「本当に『好き』っていうのは、もっとこう津波にさらわれて居ても立ってもいられないようなものなのかな……」とか、ふと感じることがあるのです。自分にも妻にも申し訳ないのだけれども。
 僕は基本的に、「つかずはなれず」というか、ちょっとそれっぽい言葉にすると「メランコリー親和型性格(詳細はこちらを参照)」なので、特定の誰かに対して強く思いいれを感じることはほとんどないですし、距離が近づきすぎたら、ちょっと離れたくなってしまうのです。

 ただ、この年になると、結局のところ「本気で好き」かどうかなんて、別れてみなければわならないのかな、という気もするんですよね。今から考えると、「ああ、あのとき自分は、あの人が『本当に好き』だったのかもしれないな」って、ふと思い出すことがあります(逆の場合もありますが)。
 「本気」っていうのは、別に「彼女のためならすべてを犠牲にしてもいい!」とか「ずっとベタベタしている」っていうような、そんな刹那的なものではないんじゃないかな、って。
 少なくとも、僕にとってはそうです。

好きになれなくてごめん、と思う。告白してくれたのに、悲しくなってごめんと思う。誰のことも好きになれない自分が情けないとも思う。相手のことより、自分のことや家族を愛することと真剣に向き合わないといけない、という勝手な優先順位みたいなものも脳裏を過ぎって苦しくもなる。でもそんなこと全部相手には関係ない、こちらの事情で。嫌な性格だなぁと思う。

少なくとも、「好きになれなくてごめん」とか、「自分のことや家族を愛することと真剣に向き合わないといけない」という気持ちがある人は、それだけで、「人のことを本気で好きになろうとしている」と僕は感じます。

情けない話なのですが、僕はこの年になってようやく、「親は自分のことを愛してくれていたんだな」と理解できるようになってきた気がするし、妻に対しても「こういうのが、愛情なのかもしれないな」って思えるようになってきました。
僕はたぶん、少しだけ弱い人間になり、そして、少しだけ大人になったのでしょう。


以下は以前書いたものの再掲です。これを書いていて、どうしてももう一度紹介したくなったので。

谷川俊太郎さんの「やわらかいいのち〜思春期心身症と呼ばれる少年少女たちに〜」という詩のなかに、こんな章があります。

 あなたは愛される
 愛されることから逃れられない
 たとえあなたがすべての人を憎むとしても
 たとえあなたが人生を憎むとしても
 あなたは降りしきる雨に愛される
 微風に揺れる野花に
 えたいの知れぬ恐ろしい夢に
 柱のかげのあなたの知らない誰かに愛される
 何故ならあなたはひとつのいのち
 どんなに否定しようと思っても
 生きようともがきつづけるひとつのいのち
 すべての硬く冷たいものの中で
 なおにじみなおあふれなお流れやまぬ
 やわらかいいのちだから

 この詩は、ある人に教えてもらったものなのですが、僕はこれを読むたびに、ものすごくあたたかい気持ちと、ものすごくいたたまれないような居心地の悪さを感じてしまうのです。
 人は結局、「愛されることからも逃れられないのか」と。
 どんなに自分ひとりの力で生きているつもりでも、誰かが作ったパンを食べ、誰かが作ったパソコンのキーボードを叩き、誰かが作ったケーブルを使ってネットをしている。
 それは「愛」なのか?と思われるかもしれないけれど、たぶんそういう「生きていくためのつながり」みたいなものが「愛」なんだよ。少なくともパンに毒は入っていないし、僕が「C」のキーを押せば、画面には「C」が表示されます。

 「誰からも愛される人間」っていうのがいないのと同じように、「誰からも愛されない人間」なんて存在しない。
 でも、そうやって、孤独にすらなれないということに、僕にとっては、ときどきすごく行き詰まりを感じるし、自分の無力に泣きたくもなるのです。
 「愛される」というのは、ある種の「業」みたいなものなのかもしれないな、と感じることがあります。
 そんなものがなければ、そんなことにこだわらなければ、もっとラクに生きられるのに、って。

 それはたぶん、ものすごく「贅沢な閉塞感」ではあるのだろうけれど。

 「愛したい」「愛されたい」って希求している時点で、たぶん、その人はもう、「愛している」あるいは「愛されている」のではないでしょうか?
 そんな感情がすべて消え去ってしまったら、もう少しラクに生きられるのかもしれないんだけど。

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