さんざん話題になっている↑のエントリなんですけど、僕は正直これを読んで、「そりゃあなたのところはうまくいっているみたいだからいいですけどねえ……」みたいな不快感(というか嫉妬かもしれないねこれは)を感じるのと同時に、「でも、世間一般の『大人の女性』には、このエントリに共感する人が多いのだろうな」とも思いました。
そして、もし増田さんがこれを読んでいたとしたら、耳に痛い話だとしても、あなたを擁護するたくさんのコメンテーターやブックマーカーに癒されるよりも、この「叱咤激励」に従ったほうがプラスになるよ(というか、ラクに生きられるよ)、とも感じます。世間の普通の親とか女性っていうのは、はてなの人たちみたいな「問題意識のかたまり」じゃないしね。
とくに、緊張を緩和するのに酒に頼るのはやめたほうがいい。それは、アルコール依存症へのワープルートです。アルコールに依存しても世間でなんとか許されるのは中島らもさんのような特別な才能で相殺できる人だけで、あとの大部分のアルコール依存症患者は、家族にすら懼れられ、見放されています。自分でも記憶がないままに家族に暴力ふるったり、家に火をつけたりしたいのなら止めませんが、どこか無人島ででも飲んでください。酒って、ある一線を越えると、自分の意志の力だけでやめられるようなものじゃないしね。
閑話休題。
僕は別にiGirlの人を責めたり擁護したりしたいわけじゃないんだけど、↑のエントリを読んで、どうしても書きたくなったことがあるので、これからそれを書きます。かなりネガティブな内容です。すみません。
こっちが憂鬱だ。あほか。こんな人がいつか子の親になってしまう可能性があることを考えただけでも憂鬱。
↑のエントリの冒頭部分ですが、僕はこの「こんな人が子供の親になるなんて!」とか「こんなヤツは親になる資格がない!」という言葉が、ものすごく苦手なんですよ。
いや、僕だってテレビのワイドショーを観ながら、「ひどい親だ!」とか「それなら子供なんて作るな!」と言ってしまうことがあるんです。でも、僕は最近すごく怖いんだよ、自分が「親」になるかもしれないことに対して。
僕は、すごく「イヤな子供」でした。
父親は毎日夜遅くまで仕事で、しかもしょっちゅう仕事のあとは外でお酒。酒癖もあまり良いとは言えず、子供としては、「どうしてこの人はこんなに毎日酒ばかり飲んで、家族に迷惑をかけているのだろう?」と思っていたものです。
仕事が忙しくてあまり話をする機会もなく、たまに一緒にご飯を食べていると「勉強しろ」ばかり。自分からいろいろねだって玩具を買ってもらっていたにもかかわらず、僕は自分の父親に「子供への愛情に乏しく、モノやお金で解決しようとしている人」だと軽蔑していました。
「あなたのお父さんが医者だから、勉強ができるの当たり前よね」とか近所のおばちゃんに言われるのもイヤでイヤで、僕の成績が良いのは、自分で勉強してるからに決まってるだろ……と、ひたすら憂鬱だったのです。誰かの子供に生まれるだけでテストで高得点取れたら、苦労しねえよボケ。
でも、最近よくこんなことを考えるようになりました。
父親がいまの僕の年齢のときには、僕はもう小学生だったんだな、と。
そして、今の僕が、あの頃のような敵愾心にあふれた子供時代の自分とうまく接することができるのだろうか?と。
世の中お金じゃない、うちの親には愛情が足りない、どうしてモノでしか愛情表現ができないんだ、とあの頃の僕は思ってた。
ところが、自分がそういう年齢になってみると、「子供が食べるのに困らないくらいのお金をしっかり稼ぐこと」だけでも、ものすごく大変なことだというのがよくわかるのです。「モノで解決しようとしている」というのは、別に手抜きをしていたわけじゃなくて、「他にうまく愛情を伝えるための術が無かったから」だったのでしょう。そもそも、いくら相手が自分の子供だからといって、自分の小遣いを減らして何かを買ってあげたり、仕事の合間のほんのわずかな「自由な時間」を削って旅行に連れていったりするのは、そんなに簡単なことじゃないはず。僕が基本的に「子供が苦手」だからなのかもしれないし、世の中には「そうやって子供と接することこそが人生の幸せ」だと感じている人も多いのだろうけど、大人って、子供のとき思っていたほど大人じゃないんだな、とつくづく感じるのです。
極論すれば、「子供を放置してパチンコ屋に行きたいときだってあるだろうな」と思うんですよ。
ただし、それが「危険だからやっちゃいけないこと」だというのもわかりますし、それを実行した親が責められるのはしょうがない。
でも、「そんなことを考えるヤツは、『親になる資格』がない」「人の親なら、そんなことしないのが当たり前」と言われると、なんだかすごく違和感があるんです。
子供を持つっていうのは、そんなに人間を「聖人」に変えてくれるものなのだろうか?と。
人は、「資格があるから」親になるわけじゃありません。
ある男女は望んで、そしてある男女は望まないにもかかわらず、「親」になります。
他所からみると「子供を育てるなんて難しいのでは……」と感じるような女性が妊娠・出産することもあるし、「子供ができないこと以外は完璧」な夫婦だっています。
そして、「子供が欲しい」から親になる資格があるというわけでもないし、どんなに子供が欲しくても、「資格がないから」親になることができない、というわけでもない。
セックスして、受精すれば、子供はできます。
逆に、どんなに望んでも、できない場合もあるのです。
ただ、それだけのことです。
「子供がいる」というのは、それだけでそんなに素晴らしいことなのだろうか?
誰かに対して、「こんな人が子供の親になるなんて!」と言い放てるほど、「完璧な親」が、そんなに存在するのだろうか?
あなたは、「親合格」だと、自信を持って言えますか?
僕は、怖い、すごく怖い。子供も、子供を持つことも。
たぶん、客観的にみれば、多少の問題がありこそすれ、僕の子供時代は「幸せ」だったのだと思う。
それでも、主観的には、あまり「生きててよかった」と感じたことはなかったんですよね。
せいぜい、美味しいものを食べたときと、面白いゲームや本に触れているときくらいだった。
年を取るにつれて、少し生きるのがラクになってきているのですけど。
iGirlの人は、ものすごく幸せな子供時代を送ってきて、現在も、ものすごく幸せなのだろうか。
それとも、子供の頃のことは、忘れてしまったのだろうか。
子供時代の自分と、うまく向き合っていける自信があるのだろうか。
「こんな人がいつか子の親になってしまう可能性があることを考えただけでも憂鬱」という剥き出しの「自信」に触れると、僕はすごく不安になります。
ああ、こんな情けない大人は、自分だけなんじゃないか、と。
僕のこういう気持ちは、いわゆる「パーフェクト・ベビー願望」みたいなもので、現実というのは、ワイドショーで幼児虐待のニュースを観ながら、「まったくしょうがない親もいるもんだねえ〜」なんて言いつつ、しょっちゅうお互いに罵り合っているような家族ばかりであり、それで世の中それなりにうまくいっているのかもしれません。おそらく、「そんなもの」なのでしょう。いや、そうであってくれないか……